記憶探偵と忘却のマリア

新たな依頼

新宿駅の南口で記憶喪失者へのレクチャーをしている男が金をせびっているのを横目に、俺は新宿のネットカフェへ向かっていた。 新宿は都会であるのと同時に、魔界だと思う。 髪色を特殊な蛍光カラーに染め、ぎらぎらと光る金や銀のピアスや装飾品を身につけた若者たちが闊歩していると思いきや、ぼろの黒い服を着てコンクリートの歩道に座り込んでいる浮浪者とおぼしき老人が煙草を吹かしている様子も見て取ることができる。 不思議な街だ、新宿は。 新宿駅の南口から街道沿いを歩いて五分ほどすると、青を基調とした看板を掲げたネットカフェが見えてくる。 俺は入口の自動ドアをくぐり、地下へと潜ると、ネットカフェのカウンターで受付をせずに自分の専用シートへと進んだ。 B59。 そう札の掲げられた扉を開けると、デスクの上に置かれたパソコンとリクライニングシート、ヘッドフォンのみが配置された一帖ほどの空間が現れる。 ネカフェ店員には『雅楽川(うたがわ)シート』と呼ばれている。 雅楽川シキが定住しているシートだから、『雅楽川シート』。 一ヶ月先払いで、俺がいないときに清掃をしてくれるようになっている。 アルコールスプレーで除菌し、軽く拭き掃除をするだけなので清潔な環境とは言えないけれど、そこにはさほど期待していない。 ネカフェ暮らしをはじめたころは周囲の客に気を遣うのが苦痛だったが、慣れてくると居心地がいい。 今日も今日とて『雅楽川シート』に掛ける。 ひびの入ったフェイク革のリクライニングシートはきしきしと音を立てて、俺を出迎えてくれた。 まるでこのシートは、現在の俺みたいだ。 傷だらけで、何もかも安っぽくて俗悪、だけどそのことにもすっかり慣れてしまったという感じ。 俺はさっそくスマホをUSBケーブルでパソコンに繋いで充電をはじめる。 ネカフェ内にある自動販売機から出てきたコーラの入った紙コップを左手に、人心地つきながら今回の失敗について考えた。 今回の案件——記憶喪失者の(かさね)イクエについて。 彼女は記憶をうしない、このネカフェに寝泊まりしていた放浪者だった。 だからネットカフェ内でも顔を合わせたことが何度かある。 イクエは自動販売機の前でしばしば首をかしげていた。 見るからに記憶喪失者だとわかる感じの態度をしており、艶のある栗色のウェーブヘアを見ていると、記憶をうしなう以前は近所の高校か大学に通っていただろうと推察できた。 事実、彼女の『記憶さがし』をして発覚した内容と、ほとんど相違ないパーソナルデータだった。 「あの……何の飲み物がほしかったのか、忘れちゃったんですけど。おすすめはどれですか?」 彼女がネカフェ内で意を決して話しかけた相手は俺だった。 年齢が近いと判断されて安心感があったのだろう、事実、俺の年齢は十七で、イクエは十九だったのでその判断は間違っていない。 親密になって彼女が『記憶さがし』を俺に依頼したところまでは、よしとしよう。 問題はそのあと。 俺が『記憶さがし』をして、累イクエから目を離していた間に、彼女が『記憶の大渦巻(メモリシュトローム)』に巻き込まれてしまったことが、すべての元凶だった。 彼女は、『記憶探偵(メモライザー)』に依頼したことすら忘れてしまっていたのだ。 気づいたときにはあとの祭りだ。 「報酬はゼロ……か。ついてないな」 俺は隣人のことを気にせずつぶやくと、シートに全体重をあずけて嘆息する。 正義に受難はつきものだ。 しかし、受難が多いなかで『正義』を貫くことに小さな達成感を覚える。 累イクエの件は災難だったが、あそこで対価も得ずに彼女を救済してしまっていたら、きっと今後も尾を引いていただろう。 ――俺には二本の腕しかないから、無差別に救いの手を差し伸べていたら立ちゆかなくなるのはわかっているのに。 しばらくシートにもたれていると、心が安らいで、瞼がどんどん重みを増していく。 疲れからか、そのまま眠ってしまいそうな心地さえしている。 そんなさなか、俺を現実に引き戻すようにスマホから電子音が流れた。 一定量充電されて復旧したからだろう。俺は左手でスマホを取ると、習性でディスプレイを確認した。 「……仕事の依頼、あるかな」 スマホのディスプレイには『着信件 水葬楽(すいそうがく)アリア』と表示されている。 水葬楽アリア。 俺の同業者で、ネカフェ暮らしの俺と交流がある数すくない人物だ。 俺がかつて記憶喪失になったときに担当してくれた『記憶探偵』が彼女で、俺を『記憶探偵』の道に導いてくれたのも彼女。 歳は二十代後半で『記憶探偵』歴も駆け出しの俺より五年ほど長い。 いわゆる姉貴分といった存在だ。 そんなアリアが、何か俺に用事でもあるのだろうか。 興味深く思いながら折り返して電話をする。 「はい、こちら水葬楽です」 「俺だ。雅楽川だけど」 「あら、シキ君。繋がってよかったわ〜」 安堵したような、アリアののんびりとした声。 野良犬のようにこの街に打ち棄てられていた俺をこの世界にに引き込んでくれた、命の恩人だ。 「……何かあったのか?」 「ふふ。ぜひともシキ君に『記憶さがし』をしてもらいたくて。仕事を流すって感じなのだけど、どうかしら?」 アリアの仕事を、俺が代わりに請ける、ということだろうか。 つまり、報酬の一割は仲介料としてピンハネされるということだ。 アリアが俺に初めての仕事を持ってきたときにも、「これは決まりだから」と徴収されたのを覚えている。 もしさっきの累イクエの案件のように無報酬なんてことになると、タダ働きどころじゃなく仲介料のぶんだけ損するということもある。 少し迷って、俺はアリアの依頼を却下した。 「自分で請けたらいいだろ」 「つれないわね〜? シキ君にはうってつけの案件だと思うのだけど」 「というと?」 「実はいま、記憶喪失の女の子を保護してるのよ〜。あなたに似た境遇だと思わない?」 「……ふむ」 「子供が記憶喪失者の案件って、大変だから。あなたにしか頼めないのよね」 「俺にしか頼めない、か……」 アリアの言うとおり、子供の記憶喪失者を助けたところで報酬のあては薄い。 両親が健在ならそこに請求してもいいかもしれないが、今回の件は記憶喪失者バンクに登録がない案件なのだろう。 だが、記憶喪失の自分を救ってくれたアリアが、俺にしか頼めないと言うのなら、受けてみるべきなのかもしれない。 『記憶探偵』に救われたものとして。 『正義のヒーロー』を名乗るものとして。 「どう? 彼女の『記憶さがし』をする気になったかしら〜?」 「わかった。代わりに金を貸してくれ。それと治療も。手を怪我してるんだ」 「はぁ、また無茶したんでしょ〜。……気をつけてちょうだいね」 「はいはい。言われなくてもわかってる。それより、今から事務所に行けばいいか?」 「うふふ。家族が帰ってくるみたいで嬉しいわ。事務所、綺麗にして待ってるからね〜」 アリアは俺のことを心配してくれているようだった。 事実、アリアだけには俺が暴力を用いて正義を執行していると知られたくない。 身寄りのない俺にだって――いや、身寄りのない俺だからこそ、か。 優しくしてくれるひとには『仕事』の様子を悟られたくはない。そう思いながら、スマホのタッチパネルを操作して通話を終了した。 アリアの事務所は西新宿にあり、『探偵協会』の本部からそう遠くない。 一時間と滞在していなかったネカフェから退出し、夜の新宿へと歩きだした。

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