ペルソナ アナグラム2

読了目安時間:4分

エピソード:8 / 15

凛良・下

「心配しないで、弾けなくても途中でもいいの。櫻子さんの『音』が聞きたいだけだから。きらきら星かG線上のアリアなら、覚えていない?」  その二曲は、初心者用の曲でそう難しくない。困った様な表業を浮かべる櫻子に、凛良は自分の高価なヴァイオリンに肩当を付けて弓と一緒に差し出した。 「調弦は済んでるわ。さっきまで、今日の演目の練習をしていたから」  後で篠原は聞いたのだが、音楽家はあまり自分の楽器を人に触られたがらないという。『癖』が付くので、嫌だそうだ。車やバイクもそうだな、と妙に篠原は納得した。彼の兄が車好きで、自分の車を人に貸すのを嫌っていたからだ。 「――では、少しだけ……」  断れない雰囲気に、櫻子はマンション程の価格にその楽器を受け取った。ヴァイオリンを構えて暫く瞳を閉じる。遠い記憶の底の、楽譜を思い出しているのだ。  櫻子がゆっくり弓を引くと、最初はたどたどしい音楽が流れた。きらきら星だ。この曲なら、篠原も分かる。戸惑いを滲ませる曲が、次第にはっきりとした音程になってくる。凛良は、楽しげな表情でその姿を見ている。紫苑も篠原も木崎も、櫻子の弾く様子に微笑む。  だが、凛良のアシスタントの高畠だけが、違う表情を浮かべていた。どこか、睨むようにヴァイオリンを演奏する櫻子を見つめていた。  演奏が終わると、その場の皆拍手をした。高畠は、まだ表情が硬いまま、小さく拍手をしている。 「何時ぐらいぶりなの?」 「大学までは弾いていたけど、警視庁に入ってからは機会がなくて――指が()りそうだわ。有難うございました」  櫻子はゆっくりとヴァイオリンの構えをやめると、大事そうに凛良に返した。 「真っ直ぐで一生懸命で……素敵な人ね、櫻子さん」  ヴァイオリンを受け取った凛良は、曲から感じた櫻子をそう表現して微笑んだ。 「でも……癖が全くない調律ですね。この調律なら、誰でも弾きやすいように思います。凛良さんの癖を、感じませんでした」  櫻子は再びソファに腰を落とすと、紅茶を一口飲んだ。 「ええ、誰でも弾きやすいように調律してるの。私に何かあっても、変わりが出来るように」 「え?」  意味深な言葉に櫻子が思わず聞き返すも、凛良はにっこりと笑ってヴァイオリンをケースに仕舞った。そうして、同じように紅茶を一口飲んだ。 「危害を与えてくるような人は、分かっているんですか?」  不思議な空気感になったので、篠原が口を挟んだ。それに答えたのは、木崎だった。 「凛良お嬢様に何らかのアクションを起こした人物のリストを、用意しています。昼食の後にでも、お届けに参ります――それでよろしいでしょうか?」 「あ! もうお昼やん! それでええやん、ね? 櫻子ねぇ」  『昼食』と聞いて、紫苑はスマホで時間を確認して声を上げた。豪華な食事が用意されていると聞いていたので、紫苑はそれを楽しみにしているのだ。 「私達は、他の乗船者にはなんと説明されているのですか?」 「一条様は、凛良お嬢様の遠縁のご親戚。朽木様は、一条様のご友人。篠原様は、凛良お嬢様の護衛を任されたご友人、と説明しています。問題あるでしょうか?」 「いえ。篠原君が一番近くで護衛出来るのは都合いいわ、有難うございます――では、篠原君。貴方は凛良さんの友人で護衛よ、彼女がみんなの前に出る時は必ず傍に居てね」 「なら、私の事は凛良と呼んでね、大雅君」  凛良が再び篠原の腕に凭れ掛かると、篠原は赤くなりながらも「は、はい……」と頷いた。 「では、今はこれで失礼します。私達の連絡先は、木崎さんから聞いて下さい――凛良さん、昼食は?」  櫻子が紅茶を飲み干して立ち上がると、隣の紫苑が櫻子が手を付けなかったマカロンに手を伸ばした。 「部屋に運んでもらいます。人が多いと、疲れるの」 「では、演奏会の前に」  櫻子が頭を下げると、篠原はやんわりと凛良の腕を解いて立ち上がって、同じように頭を下げた。篠原のマカロンも手にして、紫苑も立ち上がった。 「よろしくね」  手を振る凛良に背を向けて、三人は部屋を出た。 「お嬢様は篠原に、気ぃあるんかな?」  部屋を出ると、楽しげに笑った紫苑は篠原の分のマカロンを口に運ぼうとした。篠原は腕を伸ばして、それを取り上げた。 「そんな訳ないだろ――ん、美味い」 「うちのマカロンー!」  取り上げたマカロンを口に入れた篠原は、美味しそうに食べた。 「先ずは、無事に初日の演奏会を終えるのを見届けないとね」 「はい!」  元気よく返事をした篠原に、櫻子は少し困った顔で言葉を続けた。 「篠原君は、凛良さんの傍を離れないようにね?」 「は、はぁ……」  その言葉に、篠原は櫻子のように困った顔をして頭を掻いた。

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