転生憲兵は悪食属性~140センチは燃費が悪い~

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序章 神を殺せよ、憲兵中尉

第一節 帝都1945 最後の憲兵

「憲兵中尉よ、現人神(あらひとがみ)を誅戮せよ!」  一九四五年、師走。  東京大空襲を辛くも間逃れた私は、恩人の別宅に身を潜め、夜空を見上げていた。  縁側に座布団を布き、その上に正座し、ピンと背筋を伸ばす。  傍らには丁寧にたたんだマントと、国防色の軍帽。……帯剣はすでに、認められていない。  庭では桜の古木が狂い咲き、はらはらと花弁を散らしている。  桜花嵐に(けぶ)る夜空。  同じように、私の心中も穏やかではなかった。 「神を殺すのだ、有木(ありき)中尉!」  背後にある暗闇から響くのは、血を吐くような切迫した叫びだった。  私はヒトよりも恵まれた体躯をしているが、その怒号の内容には、無様に背筋を粟立たせるしかなかった。  失禁脱糞しても、おかしくはなかっただろう。  現人神とは、すなわち天皇。  この国の盟主たる御方を手にかけるなど、不敬極まることではないか。  だが── 「そうだ、有木(ありき)希戮(きりく)中尉。戦争は終わったのだ(・・・・・・・・・)。我が国は負けたのだ。もはや天皇陛下は、現人神ではない」  声が言うことは、公然の事実だった。  玉音放送は、私とて耳にした。  今上天皇御自らが、己は現人神ではないと神州全土に知らしめて、そして戦争が終わったことを周知されたのだ。  どうしてそれを、知らぬ存ぜぬなどと言えるだろうか。  陛下はもはや、神ではないのだ。 「恐れながら閣下」  私は、恐怖を払拭するように、確認の言葉を暗がりへと投げる。 「では閣下は、私に誰を──なにを殺せと仰るのですか」 「おまえは砲兵であったか、有木中尉」 「いいえ、自分は憲兵中尉であります、閣下。以前は前線におりましたが、砲兵ではありませんでした」 「ならば耳を(ろう)した訳でもなかろう! 命令は暗殺だ。有木中尉には、神殺しをやって貰いたい!」  ……天皇は、すでに現人神ではない。  しかし、このかたは神を殺せと私に言う。  となれば、私は重い息を吐き出すほかなかった。 「自称天皇の暗殺ですね(・・・・・・・・・・)?」 「無論である!」  それは、巷間を騒がせている物狂いのたぐいであった。  終戦の混乱に乗じ、自分こそが南朝の血統を継ぐ正当なる皇位継承者であるとほざく輩が、頻出したのである。  天皇を僭称(せんしょう)する詐欺師。  それが、自称天皇だ。  頭の痛いことに、そのうちひとりはすでに、GHQと接触した事実まである。  本来なら彼奴らの対処は、軍に代わって内閣府が行うべき仕事だ。  戦後である。  軍隊などすでに解体されているし、本来なら私のような憲兵など残っていてはならないのだ。  だが、自称天皇の中には、真に奇跡を(・・・・・)起こす輩がいる(・・・・・・・)。  嘘を現実にする詐欺師、人心を惑わし洗脳する逆賊は、確かに敗戦処理に負われる内閣府では荷が重い。  であれば──死んだところで問題にならない、存在していないはずの軍人を凶手(ころしや)に仕立て上げるというのは、なかなかの妙手であると言えた。  つまり、憲兵()の出番である。  憲兵とは治安を守り、天皇の(ノリ)を世に行き届かせるもの、威光を知らしめるもの。  なにより私には、陛下への多大な恩義があった。  だから。 「その人否人(にんぴにん)──」 「賊の名は廻坐(かいざ)乱主(らんす)という」 「廻坐めに、必ずや私が、誅伐を下してみせましょう。たとえ、この一命を賭してでも、差し違えてでもです」 「中尉……」  私の決意を聞き知ってか。暗がりの誰かは、声音を弱々しいものに変えた。  すっと、差し出された手は枯れ木のように老いたもので。  竹の皮の包みを、携えていた。 「これは?」  問えば、年老いた声で、閣下が言う。 「未来を託すべき若者を、戦地に追いやり、ましてやいま、使い潰そうとしている。我々老人が生きながらえ、また貴様らを死地に送り出す。このような餞別しか渡せぬことを、恥ずかしく思うのだ、中尉。我々とて、羞恥の心は持っているのだから──」 「ゆめゆめ、陰腹など召されませぬように」 「──っ」  自死を思いとどまらせる直接的な私の言葉に、閣下が息をのむのが解った。  矍鑠(かくしゃく)としていた彼も、いまは年相応の覇気しかない。  それでも、この人は必要なのだ。  この混沌の世を立て直すために。天皇陛下が心穏やかでおられる、誰もが餓えず傷つかない世の中を作るために。 「なかをあらためても?」 「無論だ」  許可を取り、包みを開けると、握り飯が二つ出てきた。  白米ではない。  軍に入れば白米が食えるという戦中の宣伝も、もはや形骸化してしまった世の中である。  それは、玄米の握り飯だった。  暗闇にそっと視線を向ける。  首肯の気配を感じ取り、私は握り飯を一つ、手に取った。 「いただきます」  一口にかぶりつく。  塩すらついていない、粗末な握り飯だ。  しかし口の中には香ばしさが広がり、噛めば噛むほど甘みがあふれてくる。  頬を、熱いものが伝った。 「希戮君! 泣いているのか……?」 「はい、みっともないとお怒りください。同じ味でしたので、つい」 「男が泣くのだ、理由を聞くとも。同じ、とは?」  ……先に述べたとおり、私は以前、前線にいた。  何日も密林の中に潜伏し、ぬかるみに足を取られ、数ヶ月ほとんど飲まず食わずで行軍した。  ほとんどの同輩たちがそのとき死に、私は奇跡的に生還した。 「その折、天皇陛下から恩寵として下賜された物資の中に、これと同じものがありました。数ヶ月ぶりに口にした握り飯と、これは同じ味です」 「中尉、それが、まさか」  そう。これが私の、天皇陛下に対する恩義と忠義の要石。  私の死の運命を覆し、今日まで生き延びさせた命の糧。  ゆえに──御心の安寧のためとあれば、この命など、惜しくはない。  ペロリと、指先についた飯粒を舐め取り、私は手を合わせる。  残りの握り飯は丁寧に包み直し、懐にしまった。 「ご馳走様でした。大変な手向けの品、確かにちょうだいいたしました。これで、もはや思い残すところはありません。それでは、大手を振って死出の旅へと」 「待て、待つのだ希戮君!」  立ち上がり、マントを羽織る私に、老人は叫ぶように言った。 「『生きよ』」 「……? なんですか、それは?」 「これは、陛下自らによる〝勅〟である! 逆賊を討ち取り、必ず生き抜けと、陛下は……!」 「────」  口元が、自然とゆがむ。  慈悲の心を受けて、魂が昂ぶる。 「──意気軒昂に委細承知! それが天皇の御言であれば、否応なく!」 「行きて帰れよ、希戮君! 今日が明日を作るまで! 今日が明日を作るまでだ! 君たちだけが、この国の未来を担えるのだからな!」  閣下の逼迫した声。  これを聴くのは、此度が最後になるのだろうかと思うと、少しだけ寂しくはあった。  だが、もはやここには帰れないのだ。  なぜなら私は、臣民の明日を守る防人(さきもり)なのだから。  国防色の軍服、マント、そして軍帽をかぶり。  私は、最後の戦場(イクサバ)へと一歩を踏み出す。  これが、歴史に残る有木希戮元憲兵中尉の、最期の足跡になるのだと理解しながら。 「偽神、誅戮すべし!」  私は、夜の帝都へと走り出した。

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