♪♪
天界の中心部にある地下牢は俗に、特別牢獄と呼ばれている。
その最下層に囚われている大罪人の様子を定期的に報告すること――それが、俺が「あの人」から直々に託された仕事だった。
石造りの螺旋階段を下っていく。壁掛けのランタンが薄暗い石畳を照らす。光の届かない地下に雫の音が反響していた。
最下層にある牢屋を目指し進む。湿った空気に鉄錆の臭いが充満していた。赤く錆びれた柵の外側を歩くのはたった一人だけで、鬱屈した細い廊下にコツコツと自分の革靴の音だけが響いていた。
目的の場所に辿り着いた俺は、鉄格子の奥の存在に声を掛けた。
低い天井から吊り下がったランタンが隙間風に揺れる。
「……また、来たのか」
目的の人物は、今日も低い声でボソリと呟いた。
痩せこけた身体は寒さに震え、窪んだ瞳は相変わらず何も映していないようだった。
「罪人の私がそんなに気になるのか? お前」
「はは。そこまで悪趣味じゃないさ。仕事だよ、仕事」
「悪趣味、か。言うようになったな、青年」
ボサボサになった長い髪の毛が、笑い声とともに小刻みに揺れる。
先日リストで目にした端正な顔立ちも、目の前にいる彼女は今やげっそりと痩せこけて老婆のようにすら見える。
「なあ、お前。何で人間なんか転送したんだ」
奴の笑い声がピタリ、と止まった。
「人間の魂を転送したってことは、お前は一度下界に行ったってことだよな。そもそも何で下界に行ったんだ?」
「……またその質問か。そんなこと聞いて、何になる」
上階にある他の牢より一際頑丈に作られた鉄格子の奥で、囚われの大罪人は僅かに顔を持ち上げ、虚ろな瞳を俺に向けた。
「さあな。憎かったんじゃないか。殺したってことは」
光の届かない地下牢に、雫の滴り落ちる音が響く。
この特別牢獄に、罪人達の声は響かない。
最早、日課のようにすらなっていた。
俺はコイツに決まって同じことを聞き、コイツはいつも同じような答えを俺に返す。
感情の籠らない言葉を淡々と並べて。
「お前も分かっているだろう? この牢獄に囚われた者は記憶を消される」
それからコイツは、自嘲するように笑うのだ。
「記憶を失った今、私は過去の私のことなど知らない。未来の目的も存在しない。殺した人間に何の感情を抱く事もない」
「……そうか」
天界の中心部に位置するこの牢獄に囚われる罪人達は皆、自らの罪の記憶を消される。
それがどのような意図をもってなされているのかは分からないが――己の罪の記憶を消され「リセット」された罪人達は、自らが罪人であるという称号を背負いながら、生きる屍宛らの状態で牢獄に閉じ込められるのだ。
「今の私に残っているのは、己の罪を悔いることすら叶わない空しさだけなんだよ」
鉄格子の向こう側。奴の紫水晶の瞳は、いつも暗闇だけを映していた。
♪♪
「お前はあの時、自分には目的が存在しないと言ったな」
窓の縁に腰掛ける大罪人は目を逸らし、埃を被ったベッドを見つめた。
俺は言葉を続けた。
「なら何故、こんなことをした」
大罪人チサ。俺は、お前を追い掛けて下界までやって来た。
生きる目的を失っていたお前が。
この世の全てがどうでもいいといった目をしていたお前が。
「何故、牢獄の警備兵を倒してまで、こんなところに逃げてきたんだ」
牢獄を抜け出して、こんな騒ぎを起こしてまで成し遂げたいと思ったことは何なんだ。
お前に何が起こったというんだ。
《何故かお前の事を守らなければならないと思った》
《お前の事など、知らない筈なのに》
《ようやく会えたな。高弘》
「高弘って、一体誰なんだよ……!」
机の上に積み上げられた参考書。ベッドの上に放り出されたファッション雑誌。壁にピンで留められた付箋紙には「紗英ちゃんに渡す!!」と誰かの文字が殴り書きされていた。
壁に蜘蛛の巣が張り巡らされた部屋は、まるでこの部屋の人間が生きていた頃のまま――
「そうか。お前の記憶はまだ完全ではないのだな」
窓の縁から降りた瞬間、腰まで伸びた真っ直ぐな髪がサラリと揺れた。
目前の死神は神妙な面持ちで言葉を紡いでいく。
「先刻、お前は私が何故牢獄を抜け出して下界に来たのかと聞いたな」
《この牢獄に囚われた者は記憶を消される》
《記憶を失った今、私は過去の私のことなど知らない。未来の目的も存在しない》
「ようやく思い出せたからだ」
窓の外。
明かりの消えた薄暗い部屋に月の光が差し込んだ。
それは、あの日と同じよく晴れた満月の夜だった。
「傍で支えたい、と思った人間がいたんだ。守りたい、と思った人間がいたんだ。それを思い出した」
「お、まえ……」
「だからもう一度下界まで来た。探したんだ。その人間のことを」
俺から目を逸らした大罪人チサは、苦悶の表情を浮かべていた。
奴は肩を上下させ、震える声で言葉を紡いでいく。
「下界に降りて半年。この部屋に辿り着いた私は、ようやく思い出した」
「…………」
「その人間は、とっくに死んでいたのだと」
壁に掛けられた時計の針は止まっていた。
ベッドの上に広げられた雑誌は随分と色褪せていた。
《なあ、お前。何で人間なんか転送したんだ》
「私が殺してしまったんだ。二年前の今日。下界時間で言うと
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藍ねず
沢山ビビッとしたい所があったのですが、ポイントが枯渇してしまいました。大罪人と、彼女を監視していた死神。その過去が憑いていた死神と守られていた者って……感情ぐちゃあっとなった気分です(良い意味で)。しかもチサさんの言葉、ミタさんが未玖さんに言ってた言葉と一緒で、あ、あぁ……(拝)
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藍ねず
2022年1月25日 8時37分
優月 朔風
2022年1月25日 23時29分
ああああ……!! 大事なポイントを沢山くださり、本当に本当に嬉しいです。(拝) 「同じ過ちを繰り返している」の意味は、第六章でようやく明らかになりました。二十年前の不審死の真相と併せ、サブタイトルに繋がるようなラストへ向かっていきます。
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優月 朔風
2022年1月25日 23時29分
白井銀歌
罪を犯したけど自分が何をやったのかわからないのは辛いだろうなぁ……と読み進めていたら、えっ? ここ、めちゃくちゃ重要回じゃないですか! どういうことだ⁉となっております(*゚ー゚)
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白井銀歌
2022年3月10日 14時25分
優月 朔風
2022年3月11日 0時01分
そうなんです! 死神ミタが追い続けていた大罪人は、実は生前の彼についていた死神だった。第六章では二十年前の不審死「XX」の真相と、「呪われた運命」の意味を明かしていきます。 次回からはまたちょいちょいギャグも挟みつつ進めていきますので、また是非遊びにいらしてくださいませ✨
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優月 朔風
2022年3月11日 0時01分
希乃
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希乃
2022年1月26日 0時45分
優月 朔風
2022年1月26日 23時58分
まれさん、後半もありがとうございます!! 彼等の気持ちが少しでもお心に届いていましたら嬉しいです。 二周目はきっと違った見え方で見えるんじゃないかと思っています。それぞれのキャラの発言に隠された真意が分かると楽しめるシーンも沢山あるので、お楽しみいただけましたら幸いです✨
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優月 朔風
2022年1月26日 23時58分
seokunchi
ビビッと
1,000pt
2022年1月25日 7時30分
《口を開こうとした途端――引き裂かれるような痛みが頭を襲う。やがて脳の奥に閃くものを感じたかと思えば、フィルムに焼き付けられた鮮やかな色彩が己を中心に螺旋を描き、周囲を流れ始めた。》にビビッとしました!
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seokunchi
2022年1月25日 7時30分
優月 朔風
2022年1月25日 22時45分
seokunchiさん、後半も応援くださりありがとうございます!! 第六章のイメージは「映画」です。一昔前にあったようなフィルム映画のような雰囲気を出していきたいと思います。 来週からは「高弘」視点の物語ですが、全十七話予定、予測出来ないオチを目指して頑張ります!
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優月 朔風
2022年1月25日 22時45分
アカポッポ
んんー……またまたコレは、こじれて来ましたね…… ミタとチサの関係は、今のミクとの関係に近いものだった、と。 そして、チサの考えはミクに通じる所があって。。。 ミタの心がどう揺れるのか、今後の展開が楽しみです。
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アカポッポ
2022年1月29日 12時39分
優月 朔風
2022年1月30日 15時50分
アカポッポさん、コメントありがとうございます!! お返事遅くなりました💦 死神ミタ、ならぬ、高弘が人間としてどんな過去を生きてきたのか。時折ふざけながら楽しんで書いていきたいと思いますので、ご自愛いただきながら、またお楽しみいただけたら幸いです。
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優月 朔風
2022年1月30日 15時50分
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