曾祖母が亡くなる四日前の記録

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本編

 四年前の交通事故により、曾祖母は寝たきりとなりました。  これまでの間、私と祖母は彼女が健やかでいられるよう努めて参りました。その甲斐あってか、去年の十一月の朝、見た事もないような日本晴れの下、安らかに旅立って行きました。四センチの腹部大動脈瘤、誤嚥肺炎の恐れと隣り合わせであったにも関わらず、最期の最後まで果敢に奮闘し、見事大往生を果たしたのです。  以下、曾祖母が亡くなる四日前の記録。 ◇  午後六時三十二分  曾祖母がもうダメらしい。余命二週間。誤嚥の恐れもあるので、訪問看護師の監視がなければ飲食もままならない。  祖母は選択を恐れてしまった。  父母がいない私は、彼らの代わりに選択を迫られた。  私は、家で看取ることを選んだ。  老衰。  私は医師に「なるべく楽に逝ってほしいんです。瘤の破裂や肺炎などで、苦しみを堪えながら死なせるより、楽に」と願った。  医師は、一縷の希望を見せる蜃気楼を私から断ち切るように言った。 「誰もが望む事ですが、やはり死には苦しみが伴います」  私は、愛しき彼女を殺めたいと思った。安らかに。  しかし、そんな勇気など私にはなかった。今この走り書きを綴っている間でさえ、背後で曾祖母が妙な寝言を立てるだけで、私は生きた心地を失うようだった。  いや、実際、私も死に近付いていた。  彼女の身近に感じる事で、私自身も死ぬような気さえした。  これは、彼女と私の遺書なのだ。  このような事態になっても、強欲にも私は、この稀有な経験を脳髄のドコかに留めておきたく、このように小説のカタチに落とし込んでいる。  トテモ浅ましい。浅ましい人間だ。  恥知らずな人間だ。  又、これを書いている間に電話が掛かってきた。彼女が通っていた医療施設の職員からであった。その時、私の喉の奥からは信じられないほど弱々しい、優しげな声色が漏れ出ていった。  悲しいのだろうか。  いや、(なみだ)は流れていない。  私は、恐いのだ。  彼女を通して死を()るのが恐い。  死ぬのが恐い。  苦しみに襲われる事が恐ろしい。  又、それほどまでに受け入れ難い苦痛を、間もなく彼女が味わうであろう事実が恐ろしい。  もう、なす術は残されていなかった。  私は、死の前で手も足も出なかった。  自然の摂理である。  彼女は幸せだっただろうか。  ヒトとは、死ぬ為に産まれてきたのだろうか。  何の為。  私は、もはや言葉も発せぬ彼女の心の中に、何かごく僅かにでも後悔が残されているかもしれない事が恐ろしかった。彼女は、近いうちに、その後悔を抱きながら、又、私の腕に抱かれながら、苦悶を湛えて亡くなるのだ。 ◇  作家の想像力には限度がある。  故に、事実経験に基づく記録は貴重である。  人間の死という重大な要素を「創作物越しのフィクションであるから」と無意識に単純化してしまう現代……向精神薬の流通、肥満した倫理観、SNS浸透による社会的・人間的孤独の廃滅等々……産まれ、死にゆく事への覚悟の欠如。  さながら捕えた昆虫の四肢を()ぐ児童の様。  母の(はら)臍帯(へそのお)から断たれた瞬間、吾々は、およそ七、八、九十年、百年後に遭遇する「必然の死」を孕んだ。それは私の胎に、又、これを読まれている貴方の胎にも居る。それは時折、事故や病気等のカタチをもって、吾々の胎の内壁を蹴ってくる。 「ママ、早く私を産んでちょうだい」  私は常々思う。 「何故、貴方がたは正気でいられるのだ」  菓子麵麭(かしぱん)のアタマをした英雄の行進曲(マーチ)を耳にする度に、ハタと我に返る事がある。  人間は、何の為に産まれるのか。  人間は、何の為に生きるのか。  それが分からないまま死んでゆくのは、恐ろしい事だ。

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