せめてもの手向けに

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最期だけでも

「嘘よ」  唇は震え、口の中が一気に乾いていく。 「嘘よ」  視界が高速で回転し、足元の感覚が無くなっていく。 「嘘だよって言ってよ。いつもの通りに笑ってよ、アカシア……!」  朝日が窓から差し込むベッドの上で瞳を閉じている私の幼馴染み――アカシアの胸はもう、動いていなかった。私の流す大きな涙の粒が、床に何個も何個も落ちていく。  私と同じく、まだ14歳。この村では唯一の同い年の女の子。少しだけ産まれるのが早かった私とアカシアは、それこそアカシアが産まれた時からずっと、いつも二人で過ごしていた。  私が10歳の時に流行り病でアカシアの両親が死んでしまった時から、彼女は一人で家に住んでいた。この村では珍しいことだったけど、私のお母さんが言うには、15歳になるぐらいから一人で暮らすということはこの国の中では割とある事らしい。  一人になってしまったアカシアだったけど、元々手先が器用だったアカシアは木の枝や綺麗な石を組み合わせて小さな細工を作っては、それを売って生計を立てていた。森の中へ材料を採りに行くときは私も一緒に歩いていって、細く長い木の枝を拾い、白く瑞々しい花を摘んではアカシアに手渡していた。  少しでも彼女の手助けになればと思ってはじめた行動だったけれど、私にとってそれは、忙しくなってしまったアカシアと一緒に過ごせるかけがえのない時間だった。  それでも、私たちの家族や村長様を含めた村の人達はまだ大人とは言えないアカシアにさまざまな手助けをして、彼女はなんとか笑って日々を過ごせていたと思う。アカシアがどう思っていたかもう確かめることはできないけれど、最低でも私自身はそう思っていた。  昨日も私はアカシアの家で彼女が作業をするのをじっと見つめていた。ランプの火が柔らかく光る部屋の中、ベッドの上に座りながら木の塊をナイフで削っていく姿はとても大人びていて、私より遅く産まれたとはとても思えなかった。  ここ最近、急に寒くなったからか少しだけ咳き込みながら、昨日のアカシアは小さく呟いていた。 『風邪、ひいちゃったみたい』  微かに口角を上げて笑うアカシアのウェーブがかかった金色の髪が、咳き込むたびに柔らかく揺れていた。ランプの光に照らされた彼女の髪は、まるで篝火のようだった。 『平気? 無理しないでね。アカシアが元気じゃなかったら、とっても寂しいんだから』 『平気よ、この程度でお母さんたちのところに行くわけないじゃない』  私の心配する声を気遣うように、アカシアは先ほどより少しだけ大きく高い声で応えた。机の上のランプの中で淡く揺れる炎が、私たちを仄かに照らしていく。 『冗談よ』  それでも食い下がるよう私の気持ちを察したのか、アカシアは小さく舌を出しながら悪戯っぽく笑う。その表情に、いつもの元気な彼女を思い出す。恵まれた環境で煌びやかに咲く花ではなく、荒野にひっそりと儚く咲く花のような微笑みに、私の心は徐々に平静を取り戻していった。 『じゃあ、我儘言っちゃおう、かな』  少し気まずいような一瞬の沈黙の後に、アカシアの口から漏れ出たのは自身の願望だった。 『シオンの作ったロイゼユのパイが食べたいな。とっても甘いやつ、ね』  自身の言葉が恥ずかしかったのか、それとも熱が出てきたのか。頬を上気させ、額に汗をかくアカシアの姿が妙に艶かしくて、思わず視線を逸らしてしまう。村の同年代の男の人ならともかく同性の、それもアカシアの姿に僅かにでも胸の中心が蠢いてしまったことに私自身が驚いていた。   『うん、たくさん作るから、たっぷり食べて元気になってね』  再び騒めく頭の中の感情を再び押し留め、いつものようにアカシアに笑いかけた。布団を被り、瞳を閉じた彼女に小さく『おやすみ』と囁き、家のドアを静かに開ける。そうしてアカシアの家を出てすぐに夜の帳が完全に降りた村の砂利道を走り抜け、村の門をこっそりと抜け出した。  あの時はお母さんに怒られることなどは、まるで考えていなかった。何も考えずに人や獣の歩いた道で慣らされた道をひたすらに走り続け、しばらくした先にある川縁にたどり着いた。  ランプも松明も持っていなかった私は、星の光だけを頼りに繁っているロイゼユの実を片っ端から摘み取った。少しだけ赤みがかかっている方が甘くてパイに適しているのだけれど、この暗闇にはそれを選んでいる余裕はない。夜の闇に隠れてしまうような、親指の爪ほどの丸く黒みを帯びた果実をひたすらに服のポケットに詰め込んでいった。  私はポケット一杯に詰められたロイゼユの実を溢れないように、潰れないように、それでも急いで踵を返して元来た道を戻っていった。全てはアカシアに早く元気になって欲しかった、ただ、それだけなのに。 「どうして、どうしてよ、アカシア。パイ、焼いてきたんだよ? 食べたいって言ってたじゃない。これぐらいでおばさんのところに行かないって、言ってたじゃない。どうしてよ、答えてよ……!」  空はこんな日に似つかわしくほどに晴れて、眩い程の光を放っている。いくら叫んでも、嘆いても、彼女の肩を揺らしても。決してアカシアの長い睫毛が動くことはない。本当に眠り続けているだけならば、どれだけよかったのだろうか。明らかに生気の感じられないアカシアの薄く紫色になった唇は、もう2度と開かれることはないということを受け入れることなどできなかった。  私の足元で、薄手の布に包まれた焼き立てのパイが熱を放ち続けている。アカシアの為に不慣れながらもなんとか焼き上げることが出来た、甘みの強いロイゼユがたっぷり入った薄手のパイ。何年も前に私のお母さんに手伝ってもらいながら作ったものを食べてからずっと、好きだって言ってくれたものなのに。もう、二人で木の下に座って食べることも叶わない。  ドアの向こうで事情を察した大人たちの騒ぐ声が聞こえる。それほど時間がかからないうちに大人たちの手によってアカシアの身体は運び出されて、狭い棺の中に納められて墓地に入れられてしまうのだろう。なんだかそれがとてつもなく悲しく思えて、再び私の二つの目から涙が止まらなくなった。 「ねぇ、ねぇ、お願いだから、目を、覚ましてよ、アカシア……!」  ベッドの中で永遠の眠りについてしまったアカシアに縋り付き、声を上げて泣き叫ぶ。こんな事をしても、彼女が戻ってくるはずなど無いのに。目を擦りながらあの細く高い声で「おはよう」と私に優しく笑いかけることが、もう二度と起こらないという事実が私の胸の中でささくれを持ったまま高速で膨らんでいく。  私の胸の痛みや涙など知る由もなく、背後で木製のドアが軋みながら開く音や足音がする。私のお母さん達をはじめとした、村の大人たちが入ってくる音だろう。みんなアカシアによくしてくれた、とても優しい人達。 「シオン、辛いだろうけどね。村のみんなも、私も、娘が亡くなったみたいで、悲しいんだよ。でも、泣いてたらアカシアは笑って大地の下に行けないんだ。笑って、笑っておくれよ、シオン」  私の肩に置かれた、お母さんの温かい手。その右手の温もりが、アカシアの身体の冷たさを改めて認識してしまう。私の止まることのない嗚咽を、大人の人達はただ見つめる事しかできずにいた。  涙で霞む視線を動かすと、普段の彼女が作業をしている小さな部屋に長方形の大きな木箱が置かれていた。昨日のアカシアの家にはなかった、あまりにも質素で無垢な印象を受ける箱は、恐らく先ほど大人達が持ち入れた物なのだろう。その大きさから用途を察することはあまりにも容易な事だった。  この箱が、アカシアが最期に納められる棺なんだ。このほとんど何も入らなそうな狭い棺に入れられて、地面の奥の奥に埋められて、長い長い年月をかけてこの広大な大地と一体となり、世界と共に悠久の時を過ごしていく。  それがこの村で伝わる伝承であることを、アカシアの両親達を亡くしたあの流行り病の時に葬儀を取り仕切っていた村外れにある墓地や祠を守っているお爺さんが教えてくれた。いずれ人は皆、大地に還る。死んでしまった人達とは、大地の下で再び会うことができる。死とは一時の別れなのだと語っていたが、昔の私はそれを理解することはできなかった。  今の私には、大事な大事なお友達の命の火が消えてしまった。今はただ、その事実だけが私の胸に重く深くのしかかっていく。  深い悲しみに包まれて身動きが取れなくなってしまった私をよそに、大人達は音を立てることなくベッドからアカシアを抱え、静かに棺へと運んでいく。  慌てて立ち上がりアカシアを追いかけるが、そこまで広くない彼女の家のなかでは部屋と部屋の距離などそう長くはない。気づいた時にはもう、アカシアの身体は棺の中に納められていた。  大人たちが目に涙を浮かべながら、永遠の眠りにつくアカシアと棺の壁の隙間に一枚一枚の花びらが大きいことが特徴のマリガルの花を詰めていく。この村の大地によく咲いている、死者を弔い再び会うことを約束するための花。そこまで時間がかからぬうちに彼女の周りには沢山の白い花で包まれていた。  言葉を発することなく、棺の元へと歩いていく。薄い板で作られた棺に納められた、マリガルの花で彩られたアカシアの姿を床に座りながら見ていると、それはまるで、絵画の一枚のような幻想的で荘厳な美しさのようなものを感じた。  大地に力強く咲くマリガルの花を見る度に、喪った人を思い出せるように。世界が有る限り、繋がりは途切れることがないように。そのような意味をもって敷き詰められる白い花は、大地へと還っていくアカシアを世界の深いところへと道案内しているようだった。 「シオン」  私を呼ぶ声に振り向くと、お母さんが私の流したものよりもずっと大きな涙の粒を今にも落としそうになりながらも、小さく笑いながら私を見つめていた。お母さんは私がずっとずっと、それこそ産まれたばかりの頃からアカシアと一緒に日々を過ごしていたことを知っているし、私もお母さんがアカシアのことを娘の私と同じぐらいに大事に見守り続けていたことも、知っている。だからこそ、お母さんも私と同じぐらいに辛くて悲しいこともわかっていた。 「アカシアはね、あたしにとってもうひとりの娘みたいなもんなんだよ。余程のことがなければ、シオンより私の方が先にアカシアのいる大地の下に行くんだ。いつか、その時にもう一度、パイを焼こうじゃあないか。今度は、3人で」  それでも、お母さんは気丈に笑っていた。涙を見せる姿など、大地と共に長い時を生きていくことになるアカシアを送り出すには相応しくないと自分自身に言い聞かせているようだった。  お母さんをはじめとした大人達は大事な友人を亡くしてしまった私を気遣ってくれたのか、本当は出来るだけ早く棺を持ち出して墓地の方に持っていかなければならないのだけれど、最後に幾ばくかの時間を私とアカシアを二人っきりにしてくれる為に家の外に出てくれた。閉められたドアの向こうで誰かの小さくすすり泣く声が聞こえるが、アカシアを偲ぶ気持ちを汲んで聞かなかったことにした。 「アカシア、ねぇ、アカシア。おじさんとおばさんを亡くして、一人で生活して、一人で死んじゃうなんて。嘘みたいな話よね」  私とアカシア以外に誰もいなくなった部屋で、いつものようにアカシアに向かって話しかけても、言葉が返ってくる事はない。今この時が私が見ている夢であればよかったのに。そう願っても、胸の中で鼓動と同じリズムで軋む痛みが、これが紛れもない現実だということを認識させてしまう。 「ねぇ、アカシア、貴女は、幸せだったのかしら」  日の光を浴びて光るアカシアの髪の毛を丁寧に撫でていく。絹のような手触りをした彼女の髪の毛を、もう触ることも叶わない。  嗚呼。  嗚呼。  もう大地の上で会うことのない、私の、大事なお友達。大地と一体になる前に白いマリガルの花に抱かれたまま眠る貴女への、せめてもの手向けに私の大事なものを一足先に連れていってもらおう。 「私は、貴女と一緒に過ごせて、幸せだったよ」  眠り続けるアカシアの顔に、私自身の顔を近づけていく。昨日の今頃であれば、彼女の体温や息遣いを感じることができただろう。もうそれは叶う事はないが、今この瞬間の私にとってはとても些細なことだった。  瞳を閉じながら、もう氷のように冷たくなってしまったアカシアの唇に自分の唇をそっと重ねる。これがこの場で私が彼女に渡せる唯一の大事なもの。はじめてした口づけが同性の、それも永久の眠りについてしまった人にするなんて。普段の私であったならまずしなかっただろう。  それでも、一人で生きて死んでしまって、間もなく大地の下に埋まっていく私の大事なお友達に、なにかを残しておきたかった。そして、私がアカシアを永遠に忘れない為のなにかを与えておきたかった。  最後に触れたアカシアの唇は、マリガルの花の柔らかい香りがした。  その香りに包まれたとき、いつものように優しく笑っていた彼女に一瞬だけれど、もう一度会えたような気がした。今の私にとってはそれだけでもう十分過ぎた。

「百合」の本質を理解していない僕が、手探りで書いた作品です。宜しければ感想等お願い致します。

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