ノーマディック・スプライサー

読了目安時間:19分

Case.40 コザリティ

「大丈夫よ。ほら、行きましょう」  何度目だろうか。足を止めるたびに恋人に促される。  最初のうちは暖かだった、腰に宛がわれる手や寄り添う身体も、今は無機質な杖のようだった。  舗装された道、周囲にはデザインされた緑と放し飼いの小鳥や小動物。  保全用のロボットや、中性的で優しげな表情をした警備アンドロイドも往来している。  見上げれば清潔感のある白の建物。これに近付くにつれて、ぼくの心には黒が忍び寄っていた。  やや辺境(マージナル)に置かれた欧州部隊の軍病院。  クスティナはここに居る。  操られたティーン機のレールガンは、彼のコクピットを確実に打ち砕いていた。  だが、彼はさいわいにも……あるいは不幸にもその一命をとりとめていた。  瀕死の重傷を負い海中に投げ出されたが、防衛チームのアニムスのパイロットが泳いで助け出してくれていたらしい。  手術により彼の命は繋ぎ止められた。  ぼくはその話を自分のパイロットメンバーからでなく、ルネを伝って知った。  ただ、「生きている」とだけ。 「パーシモンさんも元気だったんだから、クスティナさんも平気よ」  ミサイルの雨に突っ込まされて木っ端みじんになったはずのパーシモンは二日後になってから発見された。  爆発のショックで上空へと高く打ち上げられて、運良く無事だった最終手段のパラシュートを開き、極寒の世界をその脂肪とパイロットスーツに隠し持っていたチョコやカレーペーストで生きながらえたのだという。  彼は減量した体重のことで騒ぎ立てはしたが、少々の凍傷と、冷めた笑顔で出迎えた上官からの暴力行為以外にケガは無かった。  ぼくはというと、帰投して解放されてからは、一度も基地に顔を出していなかった。  機体は修理中。大作戦のあとということで、公式に特別休暇も与えられている。  それでもやることはあったし、基地では祝勝会のたぐいだって開かれていた。  でも、ぼくは行かなかった。  ティーンの放ったひとことが胸に刺さって、いまだに抜けず痛み続けていたからだ。 『あんたのせいだ』  戦いによるアドレナリンが切れれば残ったのはこれだけだった。  現実的な打開策がぼくのファイア・フォーゲルによる特攻しかなかったのは事実だ。  クスティナが後押ししようとしなかろうと、ぼくは突っ込んだだろう。  だが、彼がぼくのあとについてティーンに撃たせしめることに繋がったのは、彼がぼくの場当たり的な熱血に影響されたからであり、そもそも、彼が再びシートに座れたのも、ぼくが彼を治療したからに他ならない。  ぼくは情けないことに、これを恋人に泣きながら懺悔していた。  彼女は受け入れ、慰めてくれていた。だが、ぼくのエビングハウス回路はやはり不能で、これを忘れさせてくれない。  正義とは、己のたましいの叫びのままに動き、それが利他にも繋がることを言う。  ぼくの正義は、正義ではなかったのだ。  病室のベッドで身を起こしていた友人には、両腕が無かった。  下半身を隠すシーツのふくらみも片側が平らに欠けていた。 「キミが気に病むことはない。サイバネティックスか遺伝子工学を待つかというだけの話です」  右に眼帯をした当人の言う通り、手足の欠損を補う方法はなくはない。  義肢によるサイボーグ化手術や、自前の細胞を培養して肉体を育てて繋ぎ直したり。  リハビリを加味すればどちらも時間が掛かる方法ではあるが、日常生活どころか、再びパイロットに返り咲くことも可能だ。 「そういう問題じゃない、って顔してますね」  クスティナはいつもお見通しだ。 「痛むのか?」 「痛む?」  腕無しの青年は首を傾げる。 「無いはずの手足が痛んだりはしないか?」 「幻肢痛(ファントム・リム)というものですね。感覚はありますよ、確かに。でも、それは痛みじゃない」  クスティナは視線を落とした。その先には、彼に寄り添って眠る少女が居た。  彼女の頬はまだ濡れていた。 「無いはずの手が温かいんですよ。不思議なことに」  ぼくにも見えた気がする。彼の手は優しく少女の頭を撫でている。 「すまない。できれば元のキミの腕で……」 「謝るな。アルツが撃たれていた可能性もあったんです。あの場でしくじれば全員が終わっていた。脳まで無くなっていればこの不思議な認知だってありはしない」 「……これからどうするんだ?」  ぼくは小声で訊ねた。まるでオールドの映画に出てくる泥棒が番犬を警戒するように。 「彼女にはもう操縦桿を握らないように言ってます。上にも班長を通して伝えてもらっています。判断待ちですが、最近は本人も上層部もルネさんとの仕事のほうを大切にしてるから大丈夫でしょう」  彼はぼくの背後に向かって笑いかけた。  病室に着くまでは励まし続けていたルネも、すっかりと押し黙ってしまっていた。 「キミは?」 「私のほうは決めかねてます。復帰してもいいし、この子が嫌がるなら年金暮らしも悪くない。キミなら分かるでしょう? 私は私で、軍に身を投じた価値をひとつ掴めましたから」 「そうだな……」 「ですが、親友がそういう顔をしてると心残りになってしまう。せっかくキミのことが分かりかけてきたのに」 「ぼくなんかの無茶に付き合う必要はない。ぼくも、本当にこれからは控える」 「キミの勇敢なやりかたは、これからも何度も必要になるはずです。  カッコ良さを追求するそのスタイルは、誰かに褒められるためにやっているわけじゃない。  その自己満足すらも利他と固く結びついている。それは無謀や蛮勇ではなく、勇者のありかたです」  少し前だったら、最高の褒め言葉だったろう。 「この戦いは……ぼくたちは本当に正しいのだろうか?」 「それは私にも分かりません。でも、私たちはまだこうして話ができているのは事実です。あるかどうか分からない天国よりも、確かなものですよ」  ……。  沈黙しているとクスティナが溜め息をついた。 「アルツ」  彼は真っ直ぐとこちら見ていた。ぼくは……少し視線を逸らしているように思う。 「親友として言います。キミはキミの道を行け。ただカッコ良く、己の思うがままに正義を貫くんだ!」  ぼくは彼の大声に驚き、ティーンが目覚めないかと不安になった。 「……うーん。どうもしっくりとこない。らしくなかったですか?」  友人は残念そうに笑った。  励ましはありがたい。  彼の示したスタイルは、かつてのぼくのそれと同様だ。  だが、ぼくの正義はもう……。 「私は執拗(キツツキ)ですから、もう一回。私らしく言葉を送っておきましょうか」  友人は表情を引き締める。 「ファッカ教徒の言う“神”とは、人格を有した“人間の延長線上のもの”に過ぎません。  全てにおいて絶対である神ならば、そういった実際存在的な認識の上にあるものではない。  神とはそれすら超えた存在、いわば“構成”であり、“因果”です。  それでこそ万物の創造主足りえて、予測者足りえるのです。  聖であるか邪であるかは、結果に対する主観的な観測に過ぎません。  神は最大の観測者であり、究極の客観視点であるからして、常に意図を持たないはずです。  そのため私たちは自分で考えて判断しなければなりません」 「……どういうことだ?」 「分かりませんか?」 「……」 「残念。キミがしてくれたように、なんとかうまくやりたかったんですが、難しいですね。励ましは恋人さんに任せましょう」 「え、ええ。任せてください。折角やりたい放題するチャンスなのに、こいつったらすっかり萎えちゃってて……」  ルネが答えると、ティーンが寝言で彼女の名を呟いた。  ぼくは身を固くしたが、ルネがぼくの腕を引っ張ってくれた。 「そろそろ行きましょ」 「あ、ああ……」  ぼくらは逃げるように病室をあとにした。クスティナは「最後まで支えてやれなくてすまない」と言った。  軍病院を離れ、センターの街へ。  ここは戦場から離れた地域だが、かつてはデザイナーたちが躍起になって飾りつけていた商業ビルのショウウィンドウは、営業中にもかかわらずカラになっている。  ぼくはしきりに何かを話す恋人に腕を引かれながら、冷たい嫌疑を向け合う人々のすれ違う中を歩いた。  互いにテロリストではないかと疑わなくてはならないなんて悲しい。だが、その視線はぼくらに向けられることはない。  ぼくらはそれと無縁だった。ルネがお目当てにしているストアに辿り着くまで、何度も握手やサインを求められた。  彼らにとっての癒しのひとつで、これも社会貢献だとも捉えられるが、自分たちばかりがズルいのではないかとも思えた。 「お互い、人気者はつらいわね。そんな顔してるとファンがガッカリするわよ」 「ああ……」  ぼくは頬を両手で叩き、なんとか笑顔を作ろうとするが、表情筋のない警備アンドロイドのように頑なだ。 「私ね、最低なの」  ルネがポツリと言った。 「何がだ? キミは最高のパートナーだと思うが」 「でしょう? だから最低なの。あなたが元気を出すためだったら、目の前で誰かがピンチになってくれてもいいなんて思っちゃう。例えば、テロが起きたりなんかしてね!」  不謹慎だ。だが彼女の顔には冗談の欠片も見えない。 「ああーーーーっ!」  遠くで子供の悲鳴らしき声。 「えっ!? いや、冗談だったのに……」  ルネは顔を青くして声のしたほうを見る。ぼくも、どうも今の叫びは“たましい”に響かなかったようで、視線の追従は鈍重だった。 「アルツじゃんか! こっちに来てたんなら言ってくれたら良かったのに!」  視線の先に居たのは、声と同様に元気の良さそうな印象の、艶やかな黒髪に太陽色の褐色肌の少年。  笑顔と共にぼくらを指差している。 「ビックリした。ファンの子か……」  ルネは胸を撫で下ろして、駆けてくる少年に向き直った。 「アルツ、このまえメッセージ送ったのに、なんで分からないフリをしたんだよ! すっかり別人みたいになっちゃってるしさ。あの時、話はあとだって言ったの忘れてないからな!」  いやに馴れ馴れしい少年。あの時? 何の話をしているんだ……? 「この子はアルツの知り合い?」 「い、いや……」 「忘れちゃったの? オレだよ。ロマだよ!」 「ロ……マ……」  まただ。後頭部が、頭が痛む。 「ロマくん! 番組の初日におたよりをくれた子よね?」 「そうだよ、ルネさん。……って今気づいたけど、その三つ編み! オレ、憶えてるよ。駅のホームで突っ立ってて他のお客さんの邪魔してたねーちゃんだ!」 「え? なんの話?」 「憶えてないかあ。……ま、いいや。アルツ、ちょっと耳貸して」  少年に言われるまま身を屈める。  ――刹那、激しい爆発音がした。  ――ぼくの頭の中で? いや、現実でだ!  爆発するビル。降るは落命いざなう瓦礫。  いつかどこかで見た光景。  ぼくのそばには女子供。加えてたくさんの通行人。  ――守れ! 叫ぶは、たましい!  脚部でカロリーを燃焼し、跳躍。  思考と認識の加速がぼくに世界を遅く見せる。  止まった瓦礫群を正義のこぶしが次々と打ち砕き粉と化した。 「こんなところにまでフォーエフが!」  誰かが叫ぶ。  着地。天を見上げれば灰色の翼。レーザーの収束光。  パイロットの経験値が算出した角度は最悪(ワースト)。  ぼくは少年を突き飛ばし、恋人を抱いて飛んだ。  更なる不運(バッド)。またも巨大な瓦礫が降る。いかにも押しつぶすために作られたかのような、平べったく大きな壁だ。  レーザーによる左腕消失。右腕は守りに使え。腕が無くとも脚がある! 「カロリック・インパクト!」  ぼくは何かのワードを叫び、地面を背にしたまま両脚で迫りくる巨大な瓦礫を蹴り砕いた。  すぐさま立ち上がり、その場を離れる。 「大丈夫か?」 「え、ええ。見間違いかしら? 今、ありえないことが起こったように思えたんだけど……」 「ぼくが瓦礫を砕いたのがか?」 「そう、それよ!」 「ありえなくない。筋肉とガッツだ!」  両腕で力こぶを作り……つまりはフロントダブルバイセップス! ボディビルダーさながらに笑顔を見せてやる。 「なんだか知らないけど、元に戻ったってわけね」  ルネは苦笑を返し、安堵のため息をついた。  だがそれは、見る見るうちに青くなる。 「あなた、腕が!」  指摘されて気付く。ぼくの左腕が、無かった。 「キミが守れたんだから安いもんだ。クスティナも褒めてくれるだろう」 「カッコイイこと言って! すぐに止血しなきゃ。痛くないの?」  ぼくはしゃがんでルネに傷を任せる。  彼女は脳科学研究所に入ったさいに、基本的な医療知識もインストールされている。  ナイスパートナーだな。 「……何よ、これ」  傷口に触れた彼女の手は真っ赤だった。 「何って、血だろう?」 「違う。これは血液じゃない。この傷口も……!」  ルネが後ずさる。どうしたっていうんだ? 「私には分かる。これ(・・)は人間を模して、精巧に作られたものだわ!」 「何を言ってるんだ? アドレナリンが切れたら痛みで悶絶する気がする。フォーエフも気になるし……」  立ち上がり詰め寄れば、ルネはそのぶんだけ逃げた。 「アルツ、あなた本物なの?」 「当然だが? ははあ、分かったぞ。助ける時にキミの名を叫ばなかったのが不満なんだな?」 「くっ……、そのズレかた! ああもう、ウソでしょ……」  彼女は足元に手をやる仕草をした。今日はコルネットケースを持ってきていない。 「ルネ、病院に戻ろう。左腕は再生医療ではなく、武装を積んだ義手の方向でいきたいんだが、いいか?」 「ああもうこのバカ! どう考えても本物だわ!」 「そうだが? 混乱してるようだな、ハグしてやろうか?」 「その身体! 今だってもう、勝手に血が止まってる! これまでの事故で無事だったのだって、そういうことだったのよ! さっき瓦礫を吹き飛ばしたのだって! あなたはアンドロイドなのよ!」 「本気で、言ってるのか……?」  確かに、先程ぶっとばした瓦礫は目方でも数トンの重さがあった気がする。  左腕もレーザーによって切断されているが……。  またも強烈な頭痛に襲われた。切断部にも痛みが戻りつつある。  あるが……それよりも、頭の中で何かがひっきりなしに「演算されている」のが知覚されたのが問題だった。 「ぼくは、ぼくはいったい、何者なんだ?」  アンドロイド? 人間じゃない? 何かが崩れてしまいそうだ。俺は、ぼくはいったい……。  ぐにゃり。世界が歪む。自分が芯の部分から粉になっていくような……。 「アルツ、どうしたんだよ? もしかして、自分のことを忘れちゃったの?」  ロマなる少年が駆けて来た。 「……キミも、無事だったか」 「まあね。ルネさんは大丈夫? ケガのほうじゃなくって、心のほうが」 「大丈夫じゃないわよ。あなた、何か知ってるの? 彼はなんなの!?」  ぼくはなんなんだ? 目的は? 価値は? 意味は? 「うーん、オレもよく分かんないんだけど、知ってる範囲で言うなら……」  少年は腕を組み唸る。 「正義のヒーローとして作られたアンドロイドってところじゃないかな?」  正義のヒーロー!  ……ビビッと来た。 「そうだったのか……!」 「いや、あなた……それで納得するの?」 「だって、カッコイイだろう?」 「カッコイイとかじゃなくって! 人間じゃなかったら色々と問題があるでしょうが!」 「あるのか? これまでの生活で特に不便は無かっただろう?」 「これまでが良くても、これからはどうするのよ!? 私、ずーっとこんなのに惚れてて、毎晩迫ってたわけ!?」 「こんなのとは心外というか、今更だな」  ルネは両手で頭を抱え、その指は髪に食い込み酷くセットを乱していた。 「キミは、ぼくのことをもう愛していないのか?」  問い掛けると、ルネは中指を立てた。  ……が、すぐにぼくの胸の中に飛び込んできた。 「行動に矛盾があるな」 「無いわ。今のはクスティナさんが言ってた“因果”ってヤツにやってやったのよ。私の気持ちは神様なんかより、私自身がよく知ってるんだから。あなたのことだって、そう……!」  硬い抱擁。片腕だが、イメージすれば両腕で彼女を抱くという感覚(クオリア)をまざまざと感じることができる。 「お熱いことで。ノマド姉ちゃんが見たらヘソ曲げるよ」  ロマは肩をすくめて歯を見せている。 「ノマドとは誰だ?」 「は? ちょっと待って、本当に忘れちゃってるの!? ルネさんの前だから隠してたんじゃなくって!?」 「そうだ、キミのことも分からない。できれば教えて欲しいんだが。だが今は、フォーエフがどうなったか……」  空を見上げると、何かがふわりと降りてきた。 「わたしがミスをしたっていうの?」  ローズアッシュの髪。白いマント。そこから覗いた身体は五体満足のように見えた。  彼女は静かに着地すると、酷く顔を歪めて少年のことを睨んだ。 「うっわ。おっかない顔。睨むんだったらアルツのことにしてよね」 「ロマ、あなたはわたしのことを忘れてないの?」 「当然じゃんか。忘れるわけないでしょ、楽しかった想い出ばかりなのにさ?」  少年は躊躇なくアンドロイドの女へと近付いた。  彼女もまた、それを受け入れ、撫でるように頭に手を置いた。 「ちゃんと追い掛けて、書き換えたはずなのに」  ふいに、何か「電子的な波動」が知覚された。 「うわ、何!? 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ルネに会わせろ!」  尋ねると彼女は戻ってきた……が、ぼくへ一発ビンタをお見舞いして、そのままどこかへと飛んで行ってしまった。  見回せば砂だらけ。サボテンと獣の骨があるから砂漠に違いないが……。 「あーあ、もう……知るか!」  肩を竦めるしかない、そうだろう? ***

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