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ノーマディック・スプライサー

読了目安時間:19分

Case.09 フラッシュ

「データは送ったはずだけど」 「いつもキミがナビするから気に留めていなかった」 「もう。わたしたちはこれからイリーガルな行いをするのよ」  建設の続くタワーは現在は七十階程度。完成すれば百二十階建て。新生した商業地区の目玉をとなる予定の物件だ。 「ここの下層フロアの一部が占拠されちゃってるのよ。建設現場の人たちはリフターで五十階からスタートしてるらしいから、もぬけの殻ってわけ」 「警備や警察は放置なのか?」 「さあ?」  ノマドは肩を竦める。  本当にここが会場らしく、ぼくら……ノマドと同じようにどこかの民族衣装や個性的な衣装を着た人々が作りかけのタワーへと流れていく。 「イラッシャイマセ、イラッシャイマセ」  ドラム缶のようなロボット――ありがちな床掃除ロボが真新しい床を滑っている。果たして彼も活動家たちの賛同者なのだろうか。  ノマドは彼のことを視て「ハックはされてないみたいね」と言い、指でツンとつついた。  集会は時間通りに中央ホールで行われた。  扇動者はいつの時代でも変わらず、一段高いところから声を張り上げこぶしを突き出す。  ぼくらは集団から少し外れた丸い柱の陰からそれを眺めることにした。  ヒトの群れ。離れていても温度や湿度の上昇を感じる。感染症警報発令中だと警告対象になるレベルの密だ。千人前後は居るとみた。 「……」  ノマドは忘我の表情で宙を見ている。またもビジーだ。 「さっきから何を調べているんだ?」 「この集会と主催者についてよ。こういった活動は珍しいから」 「歴史は繰り返すものだろう? 真暦政府連合に不参加の国では毎日やってるそうじゃないか」 「あのヒトとこっちのヒトでは、ここ(・・)が違うでしょう?」  ノマドは後頭部を指差す。  確かに不思議だ。真暦のやりかたに従った世界の九割の人間は、漏れなくエビングハウス回路を脳に埋め込んでいる。  デモ活動は、政治や制度に不満があるからこそ起こる。  M‐No.7プログラムが不快感を消してしまうのに、こんな活動に駆り立てられているのはなぜだろうか。 『列車の搭乗記録からみて、遠方から来てる人も多そうだわ。遠地の人たちにとって、ここの再開発が継続的な不快感を感じるほどのことには思えないのだけれど』 『あるいは、快感を求めて活動に参加しているかだな』 『そういうケースもあるの?』 『推測だが。認識の共有や行動のミラーリングにはしばしば愉快さや安心感を伴う』 『じゃあ、わたしもタンクトップにジャケットを試してみようかしら』  イメージしてみるが悪くない。提案してみるか。 『それとも、あなたがわたしと同じ格好を……』 『それは勘弁してくれ。それで、調べていて何か分かったのか?』 『始まったばかりだけど、お開きが近いってことかしらね。すでに警察機関に通報が入ってるわ』 『セキュリティシステムが稼働してるのか?』 『お掃除してたあの子が犯人』 『なるほど、警察とは関わりたくないな。逃げる準備はしておかないと』  と、言いつつも最後まで見届けたい気持ちが強い。  ここに居る人々はどういうつもりで参加したのか。じつはデモ活動のシンパはごく一部で、単なる主催者目当ての「ファン」の線が強いとみるか?  警察介入のリスクを考えられないほど愚かだとは思えないが……。 「我らがリーダーがいらっしゃったぞ!」  スポーツのスター選手や人気歌手の登場さながらの歓声が上がった。  それもそのはず、今日の主催はくだんのチョールヌイ・カラマーゾフその人なのだ。 「こんなにも大勢に集まっていただき、まことにありがたい限りです。本日は私的な発表と、私たちの新生をここに宣言しようと思います」  身長は百七十五程度、短髪に面長の彫りの深い顔。  神経質そうな豊かな眉に、年齢(レベル)二十七に不釣り合いな、もみあげからもみあげに渡るヒゲの茂み。 『私的な発表ですって。パンフレットサイトには書いてなかったわ』  ノマドが囁く。 「今日をもって、このチョールヌイ・カラマーゾフは小説稼業をドロップ・アウトいたします」  突然の引退宣言。群衆からは惜しむ声や動揺の声が上がった。  近くで話し合う若者からは「やっぱりか」と聞こえた。読者には以前からその気配が感じ取れていたのだろう。  だが、先程の発言の「新生」が気になる。集会の私物化でないのなら恐らくは……。 「静粛にしてください。私はキミたちの前から立ち去ったりはしません。  紙上での創造から得た経験により、私は新たなステップにレベルアップを果たします。  私たちはこれまで、世間で小馬鹿にされるファッション・マージナルというカテゴリーを甘んじて受け入れてきました。  むしろ世間への挑戦として、その名を進んで名乗ってきたきらいすらあります。  古き文化は良き文化です。ですが、事実としてこのレッテルはニュー・エイジ社会のオールドへの不理解から貼られたものです。  軽んじられている私たちの訴えはいまだに受け入れられない。  言葉の力を強めるには、一個の意志を持つ集団として団結しなければならない。  ですから、このチョールヌイ・カラマーゾフは、古くも新しい“人種”として名乗りを上げようと思うのです。  そして、あなたたちにもそれに参加して貰いたいのです」  ざわめく群衆。だが、その声の色はポジティブで浮足立ったものに感じる。 『新たな反政府組織が結社される歴史的瞬間? なんだか腹立たしいわ』 『ぼくも気分が良くない。ぼくらがもともと政府や軍側だからか? なんにしろ、警察が介入してすぐにおしまいだ』 『これだけの活動家の頭の中を調べられたら、わたしたちの記憶のスプライスにも経験値が届きそうね』 『どうかな、ただの群集心理な気がしてならない。バカげた行為だ』 『共感を試してみないの? あなたのプログラムにも良い経験値になるんじゃないのかしら』 『ルネの件で学んだんだ。深入りは禁物ってね』 『あっそう……』  ウィスパー外でため息が聞こえた。 「私はここに、旧文明保全活動団体“オールド・マン”の発足を宣言します!」  チョールヌイの大宣言だ。  ふいに、不機嫌に転じたはずのノマドが吹きだした。 『何がおかしいんだ?』 『オールド・マンって、この前に観た映画に出てきたワードだったから』  ツボにはまったらしい。彼女は口元を手のひらで覆って屈んでしまった。  高次元の思考プログラムは突拍子もないことに弱い。  それへのリアクションは、演算の拒絶、混乱などネガティブなものが大半だが、人格プログラムがAIを保護するために「ウケる」こともある。 「しっかりしろ、ノマド。帰ろう」  これもそれなりに貴重なシーンだが、そろそろここから消えるべきだ。 「僭越ながら私にこの団体のリーダーを務めさせていただきたいかと存じます。賛同いただけるかたは拍手を」  土砂降りの雨のような喝采。ノマドの笑いも掻き消けされる。 「ありがとう、ありがとう。  さて、一塊の人種としてスタートを切った私たちは、全てを共に分かち合わなければなりません。  喜び、哀しみ、怒り、そして経験。経験とはこれから共にしていく活動、つまりは現在です」 『はー、おかしかった。これ以上付き合うこともないわね。早くこの似合わない衣装を脱ぎたいわ』  ノマドは魅力的な笑顔で言った。  ウケの残滓がそうさせているのだろうが、普段からこのくらい上手に笑って欲しいところだ。 「……過去は今も私たちが愛し続ける歴史と古き良き文化。ならば未来は何か? 情報です。無知から知への進歩。私は恐るべき真実に気付いています」  スルーしていた演説に引っ掛かるワード。「恐るべき事実」。聴衆がざわめく。 「ハッキリと申し上げましょう! 私たち真暦政府連合に加盟する国の国民全員は、頭の中に毒を埋め込まれているのです!」  毒? 人々のあいだから戸惑いの声が上がる。 「マージナルに流れた者の中にはお気づきの者もいるでしょう。  毒とは、このエビングハウス回路に仕込まれたプログラム、M‐No.7です。  これは我々の頭から不快感を忘却させてしまいます」 『アルツ』  ノマドのウィスパーがピリリと響く。 「不快感を消された我々は幸せになる。短絡的にゴールへと向かう。  それは果たして良いことなのでしょうか? 私はそうは思いません。  何故なら、多くの素晴らしい創造や名シーンは、怒りや苦しみ、悲しみなどの葛藤のすえに生み出されることもあるからです。  オールド・カルチャーがニュー・エイジに至っても我々の心を掴んで離さないのはなぜか?  悲劇的な結末に涙してしまうというのに、なぜ読むのをやめられないのでしょうか?  映画やゲームプレイもそうです。未知の怪物に社会を蹂躙される混乱をなぜわざわざ体感するのでしょう?  求めているからに他なりません。襲われることを? いいえ、その感情をです。  かつて、悲しみは我々のそばに寄り添っていたのです。それを取り戻すべきだ。  ここに集まった者は、意識的無意識的に関わらず、それに気付いているはずです!」 『これは、ぼくも考えていた。他人事として体験しても、不快感は不快感のはずだ。なのに摂取する欲求を押さえられない』  特に“熱血シリーズ”の主人公がピンチを迎えるシーンや、主要な登場人物の悲劇的な最期のシーンはリピートしてしまう。 『論理的じゃないわ。実害や利益と天秤に掛けてなら分かるけど。あなたまでそんな風に思っていたなんて。てっきり、相対評価だから不快なシーンにも価値を見出しているんだと思ってた』 『キミだって、ホラー映画を選んだじゃないか』 『アレ、すごくイヤだったわ。あんなもののために時間を割くよりも、あなたと静かに食事をしていたい』  この議論も彼女の感情プログラムに不快感を与えているようだ。  ノマドの悲しげな表情を見ると、共感してぼくも悲しくなる。だがそれと同時に、感情の解析プログラムが働き、自身の存在意義を感じて快感も伴うのだ。  両価的(アンビバレント)なこれは、端的に言ってクレイジーだ。 『これは、あくまで人間的な感情や心理を計算に入れた話だよ。実際に彼のシンパシーになることはない』  ぼくはノマドの肩に手を置く。置いた手に彼女の手が重ねられる。  自分たちはアンドロイドだと言い聞かせながら、人間的な「安心」の方法を模索する。ぼくらはいったい、何者なのだろうか。 「怒りや悲しみも本来、失うべき感情ではないのです。  刹那的に感じることはあれども、一晩経てば忘れてしまうのは不自然で不健康なのです。  実害を被る不便や不利益は理性的に排除されて結構ですが、  それらを行う技術革新においても、多くの不幸や怒りを原動力としたものが多かったはずですよね?  健康や長寿も死の悲しみと恐怖が作り出したものだというのに、我々は無情にもそれを早く忘れ去ろうとする!」  群衆から声が質問が投げられた。「ネガティブを原動力にしたなんて言うと、嗤われてしまうでしょう?」。 「それを嗤うのも、毒の回路に飼いならされた結果ではないでしょうか。  事実、この二百年のあいだ、ニュー・エイジは技術の進歩が停滞しています。  どころか、オールドの再検証もロクに進んでいません。幸せならばそれでもいいかもしれない。  ですが、画一化した世界はやがて飽和を迎え、マンネリズムに陥ります。皆さんは満足でしょうか? 私は不満です」  更に疑問が投げられる。 「ならば、どうしたらいいんでしょうか? 俺たちの頭から回路を取り除けば、外の連中みたいに殺し合ったり、なんでも忘れてもっと不幸になっちまいますよ」。 「道はふたつでしょう。チップの無効化か、忘れるべきでない記憶の復活です」  前者はマズい。  プログラムによる不快感の消去が創造性を奪っている可能性にはぼくも賛同するが、チップ利用を前提にシステム化された社会への適合率が下がってしまう。  心を育み癒す私的時間とのバランスが崩れ去ってしまうし、最悪の場合は社会の崩壊に繋がる。  健忘を抱えたままでも絶滅に至らないのは非加盟国圏が証明しているが、いまの連合国圏には不可能だ。  旧文明ではオートメーションと人力の狭間に落ち込んで、機械による生産効率を上げるために人間が心身を擦り減らして転落した国がいくつもあった。  聴衆にもそれに気付いたものがあったようで、チョールヌイへ質問を行っている。 「良い質問です。ご指摘通り、前者には立ちはだかる問題が多過ぎるのは私も承知しています。  その上でプライベートとのバランスを取ろうとすれば、究極的には電子や電気すらも手放さなければならなくなるでしょう。  そうなれば闇や無知に怯えることになり、今度はネガティブの過剰摂取が訪れます。  ならば、都合良く思い出すことのできる技術が必要ということです」 『アルツ、来場者の車両へ警察からの強制停止信号の送信を確認したわ』 『リミットだな。彼には興味があったんだが……』  チョールヌイの逮捕と集会の解散は「社会のため」だ。ぼくが自身やノマドを守ることとも共通する。  この場を警察に譲ろう。ぼくらは静かに壇上の男から背を向けた。 「さいわいにも、我々はそれが可能な友人を持っています。“記憶繋ぎ屋(スプライサー)”なる存在。  ウワサくらいは聞いたことがあるでしょう。彼らは実在するのです。  しかも、今日はこの会場にわざわざいらっしゃっているようなのです!」  騒然の波紋が広がる。会場に、ぼくの心に。そしておそらくはノマドにも。 「紹介しましょう! そこの大柄なデニムのジャケットの男性と、赤いドイツ風衣装の娘さんが、私たちの希望であり、英雄(ヒーロー)になりえる人物なのです!」  ぼくは心のセンサーで、電撃の海に沈められたかのごとく人々の「眼」を感じた。 『ピンポンパンポン。警察です。タワーを不当に占拠し、反社会的な演説が行われているとの通報を受けました。不法侵入と反真暦政府活動の容疑で、この場に居る全員を拘束いたします』  リラックス・ミュージックと共にアナウンスが鳴り響いた。  入り口や柱の影、四方八方から白い卵型の顔のない頭を乗せた警察の制服姿――逮捕用のアンドロイドが現れた。  あれは“顔無し(ノーフェイス)”と呼ばれる軍事規格と同じ素体を使っている。 『マズいぞ。もう建物内まで来てたなんて!』 『ごめんなさい。車両の停止信号にラグがあったから、まだ間があるものかと思ったわ』 『とにかく、逃げよう』 「我々は権力に屈しない! 私たちの英雄を守りましょう!」  チョールヌイに指をさされる。  集会の首謀者によるぼくらとの致命的な関連付けだ。 「ピンポンパンポン。重要参考人データを追加。確保優先レベルをナンバー2、ナンバー3に設定します」  ノーフェイスの〈無〉の表情がこちらに向けられた。 『……人間の警官がひとりも居ないわ』 『カテゴリー3以上の逮捕案件ってことか?』  警察の逮捕活動には段階がある。  カテゴリー1は人間の警官のみの活動。軽犯罪や、口頭注意で解決できるようなちょっとしたトラブル向け。  2は専用のAIを積んだアンドロイドとの混成出動で、人間の警官に危険が及ぶ可能性がある場合に適合される。  3は更に上、危険が確定、あるいは「危険を発生させるつもり」で人間の警官抜きでやるパターン。  どこかで絶叫が上がった。 「鎮静弾だ! ガスを吸うな!」「後遺症で健忘になるって聞いたわ!」「サインを貰いに来ただけだったのに!」  群衆は散り散りに逃走を試み始めた。床に転がった缶からは勢い良く白い霧が噴出している。 「シャッターが開かないぞ!」  フロアはすでにロックダウンされているようで、中に居る者全員が袋のネズミだ。  この広い空間でも、五分もしないうちにガスが充満して大人しくなるだろう。 『烏合の衆だな。やっぱり、ノリで集まった連中がほとんどだ』 『そうじゃないのが居るわ!』  中にはノーフェイスへ食って掛かっている者もいた。  無謀だ。あれは二メートルの大柄体型で、更には武装も所持している。 「我々は屈しない!」  現実には聞き慣れない、だが「記録」はされている危険な音声が響いた。  銃声だ。 「政府の犬どもめ! 矢張りおまえたちが頭の中に毒を仕込んでいるんだ!」  チョールヌイ・カラマーゾフはオールド・カルチャー映画で見るような黒い拳銃を発射していた。  無論、この時代においてのその手の品は、軍隊と反真暦政府のテロリストしか持ち得ない。 「ピンポンパンポン。武器の使用を確認。該当データ無し。未知の武装を使用したため、カテゴリー4に認定。殺傷の恐れのある武器の使用を解放。危険因子を強制排除します」  フラッシュ。同時に破裂音。  電気ショックだ。ノーフェイスに齧りついていた男が陸に上げられた魚のように痙攣して動かなくなった。  致死一歩手前レベルの放電攻撃。犯人の殺害が目的? ノー。だが、エビングハウス回路に有害なのは確実だ。 「やめろ! 彼らは煽動されただけだ! テロリストじゃない!」  ぼくは叫んでいた。 「兄さん!」  ノマドは立ちすくんでいる。感情よりも理論を優先する彼女は「ヒトのため」と「社会のため」のあいだでループにハマっていた。 「イリーガルでいくぞ。今のぼくたちは人間でかつ、アンドロイドだ!」  ――心理的リミッター解除。  人間が意図的に為しえない筋力のフル稼働。ぼくのボディも特別な戦闘能力を持っている。  人工筋肉によるスペシャルなパワー。形状にもよるが、六トンの重量を持ち上げる程度の腕力も発揮できる。  だが、集団で現れたノーフェイスを倒すのには骨が折れるだろう。  フラッシュ。フラッシュ。フラッシュ。  逃げ惑う人々を無差別にショックするノーフェイス。  電流は気まぐれだ。事故で二発目を貰った男が鼻と耳から血と煙を吹き出した。 「それは正義じゃないだろう!」  無能の無表情を目掛けてこぶしをぶち込む。  敵の頸部がイヤな音を立てるも、電撃のリベンジを浴びせられる。  こちらも電気的プロテクトレベルが高いため、人工筋肉の一瞬の痙攣で済む。  構わずもう一発。相手はこちらを人間だと想定して攻撃している。裏を掻いた二発目は確実に殻を砕いた。  人間やコミュニケーション用のアンドロイドとは違う、機械の脳髄がぶちまけられる。 「強い! まさにヒーローだ!」  誰かが言った。  だが、敵も無能ではない。経験値は現場に居るノーフェイス全てに共有される。次は別の手が必要だ。 「“支配(クラック)”を頼む!」 「カテゴリー4に対応できる群体相手にすぐとはいかないわ!」  こめかみを押さえるノマドの背後にノーフェイスの影が覆い被さる。 「ノマド、逃げろ!」  ジャケットが裂け、ぼくの右腕が肥大化した。稼動用とは別に貯えておいた食事エネルギーを変換。  ジェムソン氏の記憶の中で撃ちそこなっていた「切り札」を切る時がきた。  実践での使用経験は無くとも、記憶の世界で何度もテストを重ねている。 「必殺! “カロリック・インパクト”!」  周囲への被害を雑に計算し、力の発揮しやすい掌底打ちではなくアッパーを選択。  腕がポンプになり体内の熱と圧が外へ向かって射出される感覚。  ぼくは「爽快感」を感じた。  硬いボディを隠しているはずの警官服に腕がスルリと呑み込まれ、一瞬にしてアンドロイドはバラバラに粉砕された。  有り余った衝撃が周囲のガスを掻き乱し、天井を貫き、フロアふたつ分の床を穿つ。これでガスの過剰な充満も防げる。 『アルツ、危ない!』  ぼくは振り返った。  だが、彼女はノーフェイスの爆発から逃れるために足元に這いつくばっていて、ぼくが見たのは全く別の方向だった。 「ちょっと! どうしてそれを現実世界で使うの!?」  ローズアッシュに卵の殻を引っ掛けた妹が苦情を言っている。  今、呼んだのはリアルの彼女じゃない? 記憶のフラッシュバック? アンドロイドが幻聴か……? 「天井まで壊して! やり過ぎよ!」 「一度やってみた……みんなを守るためだ。打開策は破壊しかない。ぼくが数を減らすから、ノーフェイスの情報供給網のクラックと本部との通信をジャミングをしてくれ」 「このまま(・・・・)で間に合うわけがない。学習したの」  ノマドは胸に手を当て一瞬だけ不満顔を見せ、表情をアンドロイド然とさせた。  ぼくは見開かれたままのエメラルドアイの奥に電子の海を見る。 「お願い、わたしを脱がせて(・・・・)」  無機質な懇願。彼女の手がぼくに何かを押し付けた。柔らかい布地。似合わない服や、ひとならざる白い肌を覆い隠すための外套(ポンチョ)。  ノマドの電子処理能力は、国家が開発にしのぎを削り合うスーパー・コンピューターを凌駕する。  無論、人間の頭部サイズでそんな処理を行えば、高熱で回路がイカレてしまう。  だから彼女は“脱ぐ”のだ。  ぼくは追加で転がり込んできた顔ナシ野郎の頭部を破壊すると、ノマドの胸元へ手を掛け、乱暴にブラウスと胴衣をいっぺんに破り取った。  若い女を模した白く美しい上半身が露わになる。  そして彼女は、更に脱いだ(・・・・・)。  人の肉体を模した背中と胸元がボディスーツのファスナーのように静かに開口していく。肉を掻き分け現れるのは肋骨。  形状こそは人間と近似だが、医学的知識を抜きに見てもヒトのものでないと分かるミッドナイトカラー。  風の音色が流れ始める。  露出された彼女の内側(なか)空気(せかい)を吸引しているのだ。  胸部に仕込まれた圧縮用ポンプが、ただの空気を極寒の風へと変換し、AIの過熱を防ぐシステム。  その代わり、圧縮により限りなく停止に近付いた分子活動が彼女の動力部(ハート)を激しくヒートアップさせる。 「戦略、戦術兵器級と見られる破壊兵器の使用を確認。カテゴリー5を要請し……」  ノーフェイスたちが次々と停止する。 「よし、良いぞ。だが問題は彼らをどうするかだ」  アンドロイドたちは全停止した。あとはガスで座り込んだり、電撃で倒れた人々の処置だ。  意識のある者はみな、ぼくたちを見ていた。畏敬の念や恐怖を口にする者はともかく、人外であったことへの驚きも聞こえてくる。 「問題ない。わたしの肌は誰にも憶えさせないわ」  ノマドのくちびるが呪文(ワード)を描いた。  熱で溶けたリップから覗くのは真っ白な世界。 「“短期喪失(フラッシュ)”」  周囲の人間が咄嗟に顔を袖や手のひらで覆い、次々と昏倒していく。  エビングハウス回路に強制アクセスし、短期の記憶喪失を起こさせるノマドの「必殺技」。気絶はその弊害だ。  フラッシュと言ったが、実際に閃光が走るわけではない。アクセスの瞬間、視神経にまで影響が出てホワイトアウトすることからの命名だ。  瞬く間に会場は沈黙に包まれた。 「警察の通信をさかのぼってデリート、今日のニュースには虚構(ロフタス)を埋めこんだ。これでわたしたちは彼らからも、警察からも消える」 「ちょっと待て、それはありがたいが……」  いったい、一瞬でどれほどの情報量の処理をしたんだ? 会場には千人もの人間が居たはずだ。  無駄な計算を始めようとした瞬間、ノマドが崩れ落ちた。慌てて抱きかかえれば、人間の皮膚ならば火傷をするほどの熱を感じた。 「ちゃんと脱がせてって言ったのに……」  エメラルドの瞳は保護液に濡れている。  処理をやめたからか、腕の中で彼女の温度が落ち着いて行くのを感じた。吸気のために開いた胸も閉じ、芸術的なふたつの丘へと戻った。  ぼくは彼女が冷えたのを確認すると、手渡されていた外套で晒された肌を隠してやった。 「服を破いたのが不満か? ちゃんと脱がす暇はなかったろ」 「違う。全部脱げばもっと上手くできたって話……」  電子の娘は不満げに漏らすと、静かにまぶたを閉じた。 ***

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