前へ

目次

次へ

ハルカゼ

 無人駅のホームは本当に人っ子一人いなくて、その中で俺と君はベンチに座り、手を握っていた。あぁ、春の風がさわさわと吹いて、気持ちが良い。 「あと何分?」  不意に君が言うので、俺は慌てて時計を見た。四時半を少し過ぎたところ。あと十分ほどで電車が来る。そう伝えると、君はため息を吐いた。 「もうちょっとで、さよならだね」  君の残念そうな顔を見るのが辛くて、俺はもう一度時計を見た。進みゆく秒針はいつもより速く見える。止まってくれよと願っても、きっと止まらないんだろう。 「俺……絶対に、甲子園に行く」  俺の言葉に、君は何も言ってくれない。その代わり、俺の手を握る君の力が、ぎゅっと強くなった。 「甲子園に出て、プロ野球選手になる。小さい頃からの俺の夢だ」  小さい頃、初めて野球のバットを握ったあの日から思い描いていた夢は果てしなく、それでも何とか、必死にしがみついてきた。現実という名の暴風に、吹き飛ばされてしまわぬように。 「その夢を、近くで応援させてくれないんだね」  俺の手から君の手が離れた。君は嗚咽とともに泣き出して、両手で顔を隠してしまう。その姿は見るに堪えなくて、俺は空を見上げた。夕焼け空は憎たらしいほどに綺麗で、ふと、春の風が吹いた。春の訪れを告げる匂いがした。 「私……ずるいよね……こんなこと言って、困らせるだけなのにっ……! ごめんね。ごめんね……」  何度も謝りながら、君はなおも涙を流し続ける。  ————じゃあ、やめようかな。行くの、やめようかな。  気持ちが緩めば、すぐにでも口からこぼれそうな言葉。俺はぎゅっと唇を固く結んで、それを食い止める。 「その夢を叶えるためには、俺をスカウトしてくれた神奈川の高校に行かなきゃならないんだ。野球の上手い奴らばかりの環境で、毎日練習して、自分を徹底的に鍛えて、それでも、叶うか分からない」  揺らぐ決意を固めるために、自分に言い聞かせるように俺は言う。  ————そんな頑張んなくても良いだろ。野球は趣味程度にして、他に目標見つけようぜ。そんな叶うかどうかも知れない夢のために、そのほか全部を投げ捨てるような真似するなよ。  それでも、心の中の俺は呟いていた。至極真っ当な意見だった。可能性の低い夢よりも、なんで目先の幸せを選ばないのか。もしかして俺は、バカなんじゃないのか。  横を見ると、君が顔を上げて、俺を見ている。泣き腫らした顔。その頬に涙が伝う。夕焼けを反射する雫がキラキラと輝いている。 「頑張れ……! 絶対、夢を叶えてきて……!」  君は笑っていた。ぐっと、親指を立てる君。俺のことを思って、君は、俺の背中を押してくれているのだ。本当は、離れたくないのに。 「おう! 任せろ!」    俺も笑い返した。君に背中を押されて、俺の決意が強く固まって行く。夢を叶えるためなら、何だって犠牲にしてやる! 弱い心がすぅっと消えて行くのを感じた。ぐちぐちと理性的な文句を言う俺はどこかに吹っ飛ばしてやった!  けたたましい音と一緒に、電車がやって来る。二人は立ち上がった。一人は乗り込み、もう一人は残り、発車の合図は無情にも、すぐに鳴り響く。 「ばいばい! 元気でね……!」  君の目には新しい雫が見えた。俺は大きく頷いて親指を立てる。君も、親指を立てる。二人揃って、最後は笑顔だった。  突然に風が吹いた。春の風が木々をさわさわと鳴らして、春の匂いを運んで来る。その匂いの中に、君の優しい香りも混じっていた。  ドアが閉じる。君と俺との間を金属が隔てる。君が手を振るので、俺も必死に手を振り返した。  ————ゆっくりと、電車が走り出した。  春の風が木々を揺らす音は、春の匂いは、君の香りは……もう聞こえなくて、匂わなくて。  夢のためなら、何でも捨て去る覚悟だったのに、俺はなぜか、電車とは反対方向を向いていて。  日々の練習でボロボロになった手は、もう君の手を握れなくて。  俺の頬を涙が伝う。

前へ

目次

次へ

コメント

もっと見る

コメント投稿

スタンプ投稿


読者のおすすめ作品

もっと見る

同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る

  • 三十六日間の忘れ物

    僕は君に恋をした――だけど全て忘れていた

    73,911

    1,173


    2021年4月12日更新

    三月六日。その日、僕は事故にあった――らしい。 そして三十六日間の記憶をなくしてしまった。 なくしてしまった記憶に、でも日常の記憶なんて少しくらい失っても何もないと思っていた。 記憶を失ったまま幼なじみの美優《みゆう》に告白され、僕は彼女に「はい」と答えた。 楽しい恋人関係が始まったそのとき。 僕は失った記憶の中で出会った少女のことを思いだす―― そして僕はその子に恋をしていたと…… 友希《ともき》が出会った少女は今どこにいるのか。どうして友希は事故にあったのか。そもそも起きた事故とは何だったのか。 この作品は少しだけ不思議な一人の少年の切ない恋の物語です。 毎日16:00に更新中です。 最後まで書いてありますので、必ず完結しますっ。

    読了目安時間:1時間38分

    この作品を読む

  • ヒーローを助けようとしたら代わりにひどい目に合う主人公の短編集

    主人公がひどい目に合う物語集

    0

    0


    2021年4月12日更新

    主人公がひどい目にあう物語 自分の得意なジャンルを知りたくて投稿しました。 評価の高いものは長編を書くかもしれません。 皆様どうぞ、よろしくお願いします。

    読了目安時間:2分

    この作品を読む