「ぐッ……ゔぇぇぇ、げ、ェ……ッ」
血の混じった吐瀉物を零しながら身悶えるイヴを足元に見下ろし、アマリエはハッ、と鼻で笑った。
「大根ねえ」
その言葉が届いているものかどうか。腹を抑えて目を見開いて、イヴは苦しげに呻き続けている。
「ゔぅ、ぉ…………ッ」
「いいから早く、起きて欲しいわあ。引き込んでの寝技合戦? 付き合う気はないわよお。そういうの、得意じゃないもの」
「…………ケっ」
熱湯を浴びせられたムカデのように、身をよじらせ悶えていた体の痙攣が、ぴたりと止んだ。
口の中に残っていたゲロをぺっ、とアマリエの足元に吐き捨てながら、手を付き、油断なくその身を起こす。睨め付けるような眼差しは、いささかも眼光の鋭さを失ってはいなかった。
「テンポの悪ィ奴だな。客が冷めちまうだろーが」
「お客じゃないわあ、参列者さんよ?」
「建前だろがボケェ」
びゅお。
中腰になったイヴの顔面に向けて真っ直ぐ打ち出された掌打。
それを掠めるように躱しながら、チッ、とイヴは吐き捨てるような舌打ちを漏らす。
――アマリエの間合いだ。
『さぁぁぁあァ、難なく立ち上がった、破壊者イヴ!!! 打撃戦続行ォォ!!!!
先程のお返しとばかりに今度はアマリエの掌底が猛ラァァーッシュッ!!!』
『アマリエのね、得意の間合いに引き込まれましたわね』
『アウトレンジには定評のあるアマリエです!!!!
ただ、リーチの長さで言いますと、イヴも負けてはいませんね?』
『そうですね、腕の長さもですが、拳と掌底ですから。握った指の分も合わせて、リーチだけならむしろイヴの方が制空圏は広いですわね。
ただ、アマリエはまず、避け勘が凄い』
拳と掌打が時に互いを押しのけ合いながら交錯し続ける乱打戦。
開いた掌でいなす、そらす、アマリエの基本の動きは変わらないままにもう一つ、鼻先を掠めるようなギリギリのスウェーバックが回避行動のバリエーションに彩りを加えている。
(肉食獣の血で、距離感測るのは上手いンですってかァ?
けッ、目の位置ァ同じだろがッ)
牽制気味に放つジャブ、踏み込んでのツーを放とうとすると、狙いすましたようにカウンターを狙った掌打が繰り出される。
攻めあぐねている――攻めあぐねさせられている。
「しィッッ!」
確かにそこにミスがあったと言えたかも知れない。
苛立ちが計算を上回り、それが有効であるか否かよりも一泡吹かせたいという欲望が先行した。
欲には応えなくてはいけない。
欲望を満たそうという思いが、そのまま力になる。聖欲闘技とはそういう闘いだ。
バックステップで掌打を躱し、再び軽く踏み込んでのジャブ――その指先を、インパクトのタイミングで握るのではなく、開く。
サミング。
目を潰してしまう必要はない。その周辺を一瞬指先で引っ掛ければ、瞼の反射を引き起こすことができればそれだけで目眩ましの効果は得られる。
その指先が触れたのは、しかし、アマリエの未だ綺麗なままの微笑の張り付いた顔面ではなく、絡みつく彼女の右手の指々だった。
「あらあ、恋人繋ぎがお望みなんてえ、情熱的♡」
「――てめッ」
どんなパンチであっても、速度を出すため、インパクトの瞬間までは力を抜いて打つものだ。
ただ、当てるその瞬間だけが違う。
最後に拳を握るつもりで放ったパンチと、開くつもりで放ったパンチ。
恐るべしは、その二つの心積もりが僅かに変える、腕に篭った力の加減を見極めるワーウルフの動体視力。
アマリエは、反らした顔の前に置いた右手でイヴの指を絡め取り、半身を入れて空いた左の掌を繰り出した。
無論、イヴも可能な限り、身を反らして避ける。腕の長さと指の分だけ遠くなるはずのその一撃は。
イヴの喉を突いた。
『つっ――突いたアァァァァーッッッ!!!
影狼の本領発揮! 避けたはずの掌底が何故か体に突き刺さるッ!!! 陽炎殺法の炸裂ゥゥゥウウ!!!』
『掌底の間合いに目を慣らさせた所で、穿掌、まぁ貫手ですわね。握り拳よりも、伸ばした分だけリーチが伸びる。掌底とのリーチの変化は、更にね、広がるわけです。
これとあの目と身のこなしがね、合わさりますから。誰も彼女と距離は取りたくないでしょうね』
『血を吐いた! 破壊者のお株を奪っていく! 喉殺しの地獄突きィィいい!!!』
『あー、喉、壊れてはないですけどね、傷はがっつり、いっちゃったと思いますわよ。呼吸がだいぶ、苦しいんじゃないですか』
『よろめくイヴの腕を引くぅ!!! ロンドの様に振り回して今っ、捻り上げた! バックを取ったァァアアアア!!!』
「げッ……がッ、げ――っ」
「ふふっ♡ お望みの至近距離よぉ?
感想、聞かせてちょおだあい?」
イヴの右腕を後ろ手に捻り上げたまま、アマリエはその肉感的な体をイヴの背に寄せた。ベルトの革越しでも十分に伝わるであろう柔肉の膨らみがむにゅりと形を変えるが、それを堪能する余裕がイヴにあるようには見受けられない。
巧みに、細かくポジションを変え、脚を絡ませてその甲を踏まれたりなどしないように気にかけながらも――アマリエは空いた左手をイヴの胸に回し、そのサラシの内側へと捩じ込むように潜らせていく。
「あらあ♡ おっぱい越しでもお、心臓、ドクドクッ♡ って激しくなっちゃってる……? 怖いのお? それとも、興奮しちゃってるのお?
ふふふ、私はすこぉし、コ・ウ・フ・ン♡ してるかもお♡」
汗にまみれた褐色のうなじにアマリエの舌が這い回る。
アマリエに比べれば大きさでは幾らか見劣りするが、サラシでキツく巻きつけても尚その存在感をたっぷりと発揮する柔肉の果実を収穫するかのように少しの遠慮もなく揉みしだき、その指先で先端の感触を楽しみさえする。
「ン――っ!! あッ、ガぁ……ッ!!?」
「感じた声、出すのも痛いのお? でもお、もう少し……聖欲、満たさせてねえ♡」
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「はー、ドキドキしたわ★ メーンが聖欲吐き出さずに終わっちゃうかと思った★」
「まさか、そんなの」
「そういうミサもたまにあるでしょ?★」
「まぁ……たまには」
控室。
若き二人の聖闘技者はそんな会話を交わしながらも、遠隔幻影投影術具の画面を食い入るように見つめて目が離せない。
聖欲闘技に於いては、体の奥から沸き起こる欲望、その全てを叶えようと戦う思いが力となって硬く速く靭やかに体を作り変える。
中でも、人の最も本能に近い部分に根ざした欲求――即ち、聖欲の開放は、ある意味ではこのミサの本質と言ってしまっても過言ではない。
それでも、二人の言う通り、闘技というその側面だけで決着がついてしまうことも――特に新人同士の戦いにおいては――しばしば見られることではある。が、トップクラスの戦いにおいては大抵の場合、そうした心配は杞憂と言えた。
参列する6万4000人、そして遠隔幻影投影術具の同時中継を通じて全世界数億人が今、見つめている.
致命的な攻撃を二度も受け、傷ついたその体を弄ばれる破壊者イヴの姿を。
妖艶な微笑みに牽制の数打を受けた程度で傷らしい傷も作らず、強者と謳われた相手を手玉に取って弄ぶ影狼アマリエの聖欲が満たされていく姿を。
「ねぇ……★ これもう、決まっちゃうと思う……?★」
「まだまだ……これからが、師匠の本領発揮ですよ……♡」
いつの間に、と問われても、二人にもわからないだろう。
そう、いつの間にか、二人の体は身を寄せ合って、互いの体に手を回し合っている。聖欲闘技を観戦していればよくあることだ――聖闘技者たちの聖欲にあてられる。
スミレーは、右手を伸ばし、ピィのほぼほぼ平らな――けれど意識すれば服の下に他の場所より幾分か柔らかな温かみを感じる――その胸元を、それとなく、しかしはっきりと撫で回す。
ピィ・エミナは、スミレーの私服であるロングジーンズの上から、ぐにぐにっと力を込めて、よく鍛えられた下半身のその根幹にあたる大臀筋を、まるで使い始めの粘土を柔らかくするためにたっぷりと練り込む様に揉みしだいている。
控室内の他の聖闘技者たちも、モニターに映り込む参列者たちも、そしておそらくは世界中の数億人も、自分自身や隣の誰かに向けて、お腹の奥の方から沸き起こる聖欲をぶつけているのだろう。けれど、各々の視線の行き先は決まって一つ――祭壇の上の二人だけだ。
「んんっ♡★ ――ねぇ、ひとつ聞いてもいい?★」
「はぁ……♡ なんですぅ……?」
胸ばかりでなく、空いたもう一方の手で剥き出しのお腹も撫で回す。細くて柔らかそうに見えるけれど、その奥の奥には聖闘技者らしいしっかりとした腹筋が備わっていて、それがまた、とても魅力的だ。
「さっきも言ってたけど、ねぇ?★ 師匠って……もしかして――★」
視線は変わらずモニターの中央だ。
なら、その言葉の続きが指す対象は一つ――否、二人のうちのどちらかしか居ない。
スミレーは胸を張って答えた。
「えぇ! 私の師匠――破壊者、イヴ師匠は、まだまだこれからです!!」
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「ぐげ……ッ、ぐっ、ふー……ッ!!」
体は昂り、肌の上には先程までの油汗とはまた違った質の雫が垂れる。
力が抜け、がくがくと膝が震え始める。こりこりと少し固い感触がアマリエの指先にアクセントとしての楽しみを提供し始めたのは、今になってのことではない。
『さァァァあああっ、堪能しました、アマリエ、その聖欲!!!! 強く傷ついた女を貪りたい、その野生の本能、沸き起こる食欲と聖欲にっ!!! 忠実たるべしが女神の教え!!!!』
『完全にその通りですわね。べりーぐっどですわね。いいですわ、すごく良い』
『べりーぐっどをいただきましたァァァああああ!!! 今夜のミサも女神のお墨付き!!!
さぁアマリエここで! 揉み手を解いて腕を固めて!!!! 左腕を捻りながらの、もう一方をがっちり固めてハーフネルソン!!!』
『決めにいきますわね』
「ふふ、可愛い弟子がお夕飯の支度をして待っててくれてるの♡
見せ場をあげられなくてごめんなさいねえ」
「弟子……ねぇ……」
「えぇ……っ!」
――ぎゅおっ。
今にも艶々とした輝きさえ放ちそうなほど心気充実したアマリエが、一息に腰を反り、背面へのスープレックスで投げ捨てる。
右腕で腕と首を固めるハーフネルソン、その上左腕を逆向きに極めながらのおまけ付き。並の身体能力であれば勿論持ち上がらないが、強い欲望でブーストされたその身体は安安と力強く、そして速すぎるほどに速く、イヴの体を引っこ抜く。
そのはずだった。
「――、ガァァ、ガッ!?」
イヴは、目一杯に力を込めるために絶叫しようとするも、喉を突かれたその時に気道に刻まれた傷から逆流してきた血がその声を遮られる。
けれど、全身全霊をとして、狙っていた瞬間に狙い通りの事を起こせた。
「な……っ、なあにい!?」
妖艶な美声で子供のようなアクセントの驚愕の言葉がアマリエの口をついて出た。
完全に固めたはずのスープレックスのバランスが最悪のタイミングで崩される。
しっかりと捻り上げていたはずのイヴの左腕が突然抵抗を無くし、捻られるままにポキリと外れ、どこかの筋がブチッ! と、大きすぎる音の音を出して切れた。
イヴは強引に体を捻り、左腕を左肩から外してしまったのだ。スープレックスで投げられているその真っ最中に。
抵抗できないように力を込めて捩じ上げていた腕が、いきなり外れて簡単に捻れてしまったのである。バランスを維持できようはずもない。
「グぁ――ッ!!」
「く――っ、あぅっ!?」
ブリッジに持ち込むことなど到底出来ず、二人の体は左に倒れるように地面に投げ出される。咄嗟に手を離した左腕で受け身を取るアマリエに対し、イヴにそれはできない……今肩を外し、もしかしたら肘も折れたかも知れず、確実に何処かの筋が切れた左腕が下敷きになって、落ちた。
その激痛を、先程までの聖欲に対する良い気付けだと、笑って言えるのがイヴだった。
崩れたその衝撃をそのまま利用して体をひねる。激痛が走る。
崩れてもなお離されなかったハーフネルソンから抜け出そうと上体をぐるん、と回した時、遠心力だけで着いてきた左腕が、親不孝にも外れた左肩を間に立たせて、またまた激痛を訴えてくる。無視だ。
「無茶を――ぎィっ!?」
「――悪ィが、弟子が見でるんで……ね」
抜け出した右手は、そのまま一番掴みやすいところを握った。握りしめた。硬く硬く、思い切り力強く。
マウントポジションとは到底呼べない不完全な馬乗りのまま、アマリエの狼らしい左耳をがっちりと握り込んだまま。
イヴの額がアマリエの鼻っ面に、真正面から減り込んだ。
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