窓の中のWILL

Chapter:64 「なぜ僕なんです」

 冷たい床。手を触れると、ひやり、とした。 「……く」  景は頭を振ろうとして、自分が眼鏡をかけていないことに気がつく。   ……どこかで落とした? もし宿の中だったら……   博希サンか五月サンが拾ってくれれば、ありがたいのですが。  希望的観測が過分に入ったそんなことを思いつつ、景は少しため息をついた。このテの薬は五月が最初にさらわれた時のと今回のとで二度目だが、そうそう慣れるものではないし慣れたくもない。  どうやら拘束はされていないらしい。……眼鏡がないのはどうにでもなる。今やらなければならないこと、は……   まだくらりとする頭を抱えて、景は現在自分のいる状況の確認から始めることにした。このあたりが他の二人とチト違う点である。が、その時、 「起きたんですね」  ドアが開いた。眼鏡がないせいで、顔はぼんやりとしか見えなかったが、聞き覚えのある声だと景は思った。たぶん目の前の人物は微笑んでいる。それは解る。だが景は声のトーンにわずかな――別の感情を読み取った。説明はできないが好意以外の何かを。 「僕を……どうなさるおつもりで? ……【エヴィーアの花】のエネルギーならばお断りしますよ」  皮肉のつもりで放った一言。だが、相手はくすりと笑うと、言った。 「そんな勿体ないこと、するものですか。私はずっと君だけを見てきたのに。――そう、君たちがこの村に入ってきたときからね?」  それを聞いてやっと、景は目の前の人物があの時の門番のひとりであったことに気がついた。それも五月に懇願された、あの。そこまで記憶が戻ってはじめて、景の脳内に疑問が洪水のように溢れ出た。 「なぜ僕なんです。なぜ五月サンでなくて――僕なんです!? ――あなた何か勘違いなさっていませんか!? 僕は男です、女ではない!!」  それを言ったら五月とて男である。景はそのことを忘れていたわけではなく、ただこの門番が勘違いしているのであればその誤解は早急に解かなくてはならないし、……。 「美しさに男とか、女とか、関係あると思いますか?」 「え?」 「私は君の美しさが羨ましいのですよ。……欲しい」 「……いま……なんと……?」 「君が欲しいと言ったのですよ」  彼の使う敬語には一種奇妙な抑揚があった。少なくとも自分の使っているものとは違う……。背中がチクリとした。 「――ご冗談を」 「冗談などではありませんよ。さあ、今から挙式です」 「挙式!?」  目の前がチカチカした。いったいこの人は何を言っている? 「一緒になるのだから、それらしく式を挙げなくてはね。さあ」 「待ってくださいっ! 僕はそんな気ありませんし、まして男の方と式を挙げるなんて、」 「この村で、そういう発言が許されると思っているんですか?」 「――なんですって?」  少し、顔をしかめて、景は聞き返した。眼鏡がないとやはり視界の自由が利かないぶん、こっちの分が悪い。 「執政官様がお許しになれば、性の別なく結婚は可能。結婚できるもできないも、すべて執政官様の胸ひとつ、なのですよ」 「――――。」  昨夜の、宿の主人の言葉が景の頭に巡った。あのひとはなんと言っていた?  どくん。  不親切にも三人分の朝食を平らげて(もっとも、五月は自分の分しか食べていないことは言うまでもなく)しまった博希と五月は、食堂から出た。 「結局戻ってこねェでやんのな、景」 「おなかすいてないのかなぁ。……連絡はあ?」 「あぁ? ……ない」 「うーん。連絡、してみたら? ぼく、そこのソファーで待ってる」 「おぅ」  五月がソファーでふっかふっかとくつろぐ間に、博希は景に通信を開いた。 「モシモシ?」  だが応答はない。 「おかしいなあ、モシモシ?」  しかし、サァ―― とノイズのような音が流れるだけ。妙だ、と思った。あんなマメなヤツがどうして通信を開かない? 「五月、……」  博希がなにか言うより先に、五月は不思議そうな顔をして、彼のもとに走り寄ってきた。 「ヒロくん。こんなの拾った」  五月の白い手の中では眼鏡が光っていた。 「? どこで」 「ソファーの下に落ちてたの」 「フーン。宿のおっちゃんのかな?」 「でもこんなところに落とすかしら。ぼくね、このメガネどこかで見たことある気がするんだ」 「バカだなお前。メガネっつったら景だろ、ハハハ」 「あっ、そっかぁ。あははははは」 「ハハハハハハハ」 「あはははははは」 「ハハ……ハ」 「あは……、……」 「…………」 「……ヒロくうん」 「景ェ――――――ッ!!!!」  あわわわわわわわわわわわ。  二人はしばらくロビーをぐるぐるどたどたと走り回った。それで得られたのは、『結局景はどこ行ったんだ』という、答えの出ない疑問と、『宿のおっちゃんがなんか知ってるかも』という、今思いついた推測のふたつだった。 「――よし、なら道はひとつ! 五月、宿のおっちゃんトコ行ってこい!」 「なんでぼくが? ヒロくんは?」 「俺はここで待ってる。なんたってリーダーだからな」 「いつからヒロくんがリーダーになったのさ」 「この旅始めた時からに決まってるだろ」 「ウソだぼく聞いてないよそんなこと。カーくんもスカフィードも怒るよ」 「なんであの二人が怒るんだよ!?」 「だって絶対納得しないよ」 「うるさいとにかく行ってこい!!」 「やだっ。ひとりはさみしいっ」  いつかもそうだったが、博希と五月の二人きりはなぜこうも波乱が巻き起こるようにできているのだろう。余程星か何かの巡り合わせが悪いのか、……本当ならそんなくだらないことで論議しているヒマなどありはしないのだが。 「ヒロくんもついてきてくれなきゃ、ぼく絶対に行かない」  ぷうっと頬を膨らませて博希の顔を見る五月。 「フグめ」  博希はそう言うのがやっとだった。 「ぶう」 「……解ったよ、行くよ」  博希、敗北。  ところでなぜ景に連絡が取れなかったかというと。 「……もし、執政官……様が、結婚を反対したら?」 「それは有り得ませんね。私は執政官様からの信頼を得ている」 「……ロクな方ではありませんね」  景のそのつぶやきに、門番の微笑がわずかに固まった。 「今、なんと言ったんですか」 「聞こえませんでしたか。この村の執政官様は――人間として最低だと言ったのですよ、そして、僕はあなたも同類だと思っています」  言葉の刃ほど人への攻撃性に優れているものはないという。景が発するものならばなおさらのことであろうか。  カツン。門番は景に一歩、近づいた。景は剣呑な気配を読んでとって、重い体を何とか起こしたが、まだ立ち上がれなかった。そんな景の髪を、彼はやにわに掴んで、顔を近づけて言った。 「生意気な口を叩きますね。調教しなくてはいけませんか?」  言うなり、景の腹あたりに重い衝撃をくらわせる。一瞬、息が止まった。 「……うぐっ」  景はうめいて、転がった。瞬間、通信機が目に入る。そういえば、開きっ放しだった。今なら、 「なんで解ってくれないんです? 私はあなたを手放したくないのに?」  ぐしゃ。  景の通信機は、嫌な音をたてて潰れた。 「な……んてことを、してくれたんですか……!」  どくん。  自分の中の血が、少しずつたぎっていた。 「おっちゃんおっちゃんおっちゃんおっちゃん」 「ヒロくん静かにしようよ」 「うっさい! こういうことは早い方がいいんだよっ」  博希は宿の主人がいるはずの部屋のドアを、都合百ぺんほどぶん殴った。 「な、何ですか!?」 「出ろ――! 出てこいおっちゃん!」  だが、主人が出てくる必要はなかった。ドアは蝶番ごと、キ――という音、次いでバッターン!! という音を立てて、部屋の内側に倒れたのである。 「おろ」 「ああもう。ヒロくんったら、弁償だよ?」 「これで差し引き勘定、トイトイだよっ」 「言ってる意味解んないよ」 「一生解んなくていいっ。――おっちゃん」  主人はドアの被害を何とか受けずにすみ、部屋の中でビビりきっていた。 「は、はいっ」 「……昨日、俺たちと一緒に来たヤツ、どこにやった!?」 「あ、……!」 「正直に言わないと、俺ァ景みてェに礼儀正しくねぇぞ」 「…………」 「おねがい。カーくんがどうなったのか、知りたいだけなの」 「…………」 「どうやらいっぺん気ィ失った方がいいのかね」 「…………」 「おじさん。ヒロくん、本気だよ」 「……オルデ様の……所です」 「オルデ?」 「この村で門番をなさっています。執政官様の弟君で」 「弟だア? 執政官は男と女と、どっちだ」 「男の方でございます」 「その人、なんでカーくんを連れて行ったの?」 「……オルデ様のお眼鏡に適ったからだと……」 「あンだとォ!!!???」  博希は五月が「それってどういう意味?」と聞く前に、顔のみならず頭のみならず精神そのものを大爆発させたらしく、唐突に立ち上がって叫んだ。 「ひゃあ?」 「行くぞ五月! そのオルデって近視のヤツんトコに!!」 「なんで近視?」 「俺より景を選ぶなんて見る目がなさすぎる! とにかく行くぞ!」 「それって違うと思……」 「レッツゴー!!」 「ムシされた」  博希は五月を取り残して走り出した。あとには煙がわずかに残る。五月はため息をつくと、尻もちをついていた主人を助け起こしながら言った。 「オルデの家がどこかも解らないのにね。ヒロくんたら」 「そうだそれだ! 五月、地図出せ――――!!」 「いつ戻ってきたの!」 「ツッコミは不可だ不可!!」  ハイテンションな今の博希に、常識はいつも以上に通用しない。無理やり引っ張られる形で、五月は地図を出しながら走った。 「…………」  主人は静かに、うなだれるだけだった。  景はまだ少しうめきながら、通信機を破壊された左手に右手をやっていた。もはや正体を隠す隠さないの問題ではない。鎧装着しなければ、純粋に自分の身が危ない。 「やっと静かになりましたね。やっと……」  私のものになってくれるのですね。そんなつぶやきが、聞こえた。  神経の一本一本が鋭敏になっている感覚。景は息をゆっくりと吸って、吐いた。すでに布はめくれている。もう、黙っている必要はないと思った。 「勇猛邁進……」 「何?」 「鎧冑変化!!」 「!」  相手がしまったと思ってくれればそれでいい、と、景は思いながら、ゆっくり立ち上がった。【伝説の勇士】の力。今景が立ち上がっているのは、すべてその力のなせる業だった。 「……僕を甘く見過ぎましたね。ここまで怒らせるべきではなかった!」 「……【伝説の勇士】だったとはね。意外でしたがその姿もまた美しい」 「本気でおっしゃっているのですか!?」 「君も私を甘く見ていたらしい……私が諦めるとでも?」 「…………!」  どくん。  眼鏡がないせいでその表情は見えなかった、だが、そのまとわりつくような好意を装った悪意が、景の肌にビリビリと突き刺さっていた。  どくん。  なぜか景は、こんな時に、まぶたの裏に清一朗と円華の顔が浮かんで、離れなかった。  違う。重ねてはいけません。僕は何を考えている!?  どくん。どくん。どくん。どくん。 「……あ……」  景は――自分では解らなかったが――なにかに怯える子供のような瞳になって、相手を見つめていた。否、最早どこを見ているのかももう解っていない。いけないと思った。『爆発する』。それが景にははっきり解った。  彼が景に近づきかけたその時――声がした。 「オルデってェ近視野郎の家はここかあッッ!!」 「……博希……サン!?」  景は瞬間、わずかに、自分の動悸と過敏な神経が沈静化していくのを感じた。波打つ体を押さえて、しぼるような声で博希を呼ぶ。 「博希サン、僕はここです、」 「そこかっ!」  扉が蹴り飛ばされた。中の人間のことを考えていないところを見ると間違いなく頭に血が上っているのでしょうね、飛んできた扉をかわして景はそう思った。そして、その考えは大当たりであって…… 「景! なんでお前なんだよっ」 「え……」 「確かちょっと前の『神隠し』もお前だったよなぁ? なんで俺じゃダメなんだよ? あんまりじゃねぇか!?」 「博希サン、落ち着いてください」 「落ち着いていられるか!! 俺がブサイクだって言われてるんだぞ!! お前だったらガマンできるか!?」 「それは我慢できませんけれど、文句ならそっちの方に言ってください」  景は先程まで自分に迫っていた人物を指した。博希はそっちを向くと、ぎろんと彼を見た。 「お前がオルデか?」 「そういう名前なのですかこの方は」 「おうさ。宿のおっちゃんが教えてくれたよ……あっ、お前、俺のこと『』つったヤツだな!? 確かそうだ!!」  博希はオルデを指してそう言った。唯一博希に『』という評価を下したのは彼であったのだ。 「ふうん。宿の主人がね。私を裏切ったわけですか……」 「会話しろよっ。俺がなんで『』なのか説明してもらおうじゃねェかっ」 「このまま執政官様のところへ行きましょう? 私は今ここで君を殺すこともできるのですよ」 「それは脅しですか……!?」 「だから会話しろっつの!! ムシすんな俺のこと!! 俺結構ナイーブなんだぞ!」 「ぼくのことムシしたくせに」  後ろからヒョコッと五月が顔を出す。 「それとこれとは別だ」 「さあ、行きましょうか。邪魔される前に、式を挙げてしまいましょう」 「式イ!?」 「式ってお葬式? 違うよね、結婚式だ! ダメだよ、カーくん男の子なのに!」 「この村ではそういった『わがまま』は通用しないのですよ? 執政官様が許可すればね」  会話をことごとく無視された博希が、半ばそのことに関する怒りもあいまって、怒鳴る。 「兄貴にクチきいてもらおうってか!? 景を渡すわけにはいかねーな!」 「……兄貴……。そんなことまであの男は言ったのですか?」  ギラリと、瞳が嫌な色を見せる。景は五月から、落とした眼鏡を受け取って、やっと視界がはっきりした。  だが、瞬間、景は眼鏡をつけなければよかったと、心から後悔した。 「――――」  目だけが笑っていないその微笑をまともに見て、景は本当に胸になにかが刺さるのをおぼえた。 「違う、違います」 「景?」 「カーくん? どうしたの?」  ひとりで首を振る景。もちろん博希にも五月にも、なぜ景がいきなりそんなことをしているのか解らなかった。なにが違うのかも解らなかった。 「僕、は――――」  つぶやき。  瞬間、野生のカンを持つ博希は、景の身に説明のできない何かが起こっているのを感じた。もしかしたら、と思った。五月がそうなったように。自分がそうなったように。景もまた、『爆発』しようとしているのかもしれないと思った。  だがここで『爆発』するのは危険だ。なにせここは閉鎖空間(先程ドアは蹴り飛ばしたけれども)。冷静になって考えたら自分たちは鎧装着していなかった。下手をすれば景の『爆発』に巻き込まれてしまう可能性だってある。博希はそこまで考えた。野生のカン、バンザイ。 「……五月、逃げるぞ?」 「え?」  博希のささやきに、五月は目を丸くした。 「急いでフォルシーを呼ぶんだ。景を連れて逃げよう」 「……うん」  いつも好戦的な博希が、初めて自分から『逃げる』と言った。なにか考えがあるんだ、と、五月は思った。彼は急いでフォルシーの笛を取り出すと、その場で思い切り吹いた! 「なにをしたんです!?」 「悪ィが勝負は預けさせてもらうぜ。景も返してもらう!」 「させません!」  だが、風が起きて、フォルシーが部屋の窓際に到着する。 『勇士様!』 「間に合ったな。五月、景を先に乗せろ!」 「うんっ」  五月が、うんしょうんしょと言いながら景の背中を押す。されるがまま、景はフォルシーの背中に乗った。 「くっ」 「ヒロくん、ぼくも乗ったよっ」 「おう、解った。――あばよ」  博希も窓際からフォルシーに飛び乗った。巨大な鷹が飛び去るのは、早かった。それを黙って見ていたオルデは、少し、うす笑った。 「……私はどこまでも君を追い詰める……! 待っておいでなさい!」  彼は叫んだ。そして、すぐに、宿へ向かった。 「景」 「カーくん」 「…………」  フォルシーからおろされて以来、景は一言も口をきかなかった。さっき、フォルシーの背中で、 「……帰ります。僕は、帰ります」  そう、ぽつりとつぶやいたきり。 「なんで帰るの。まだ、来たばかりだし、あの村なんとかしなくっちゃあ」 「お前らしくねぇな。いったいどうしたんだ景、……」 「ホールディア!」 「え……!?」 「景!? なにやってんだ!」 「……今の僕に……話しかけないでください……どう答えていいか、解らない……」  景はひとり、“ほころび”の中に消えた。

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