窓の中のWILL

―First World―  伝説は目醒めを迎える

Chapter:1 「守って」

  一面、真っ白な世界。   何が見える?   ずいぶんふんわりとした足場と、霧がかかったようなその周囲。   「誰か、いる」   彼方に見える人影も、白い。いや……? だんだんと朱に染まって……   「!」     血!?   抱きかかえようとするけれど、その体は抱きかかえるより先に崩れる……。   その白い体は鮮やかなばかりの朱に染まり、息をしている気配もない。   が――   「……て……」   「え……っ?」   息を飲む。すでにその息は絶えているはず、なのに、   「守って……」   「うわあああああっ!」   朱に染まったところが、だんだんと、どす黒いものに支配されてゆく。   そのとき初めて、気がついた。長く、薄いブルーの髪を持つ、女性……   少女というにはそうまで幼くもなく、   娘というのも、この場合、当てはまらないような気がする。   不思議な感じのする……   「守って」   吸い込まれそうな瞳。その瞳もよく見ると、髪と同色。   「あ、……」   言葉が継げない。何を言おうとしたのだろう。   早く、早く何か言わなくては。聞くのか、話しかけるのか、早く!   だが――   女性は、その体のどす黒くなった箇所から、少しづつ、砂になっていった。   ざらり。   ざらり。   ――――ぶわっ。風が起きる。   自分の手から、女性の砂が――こぼれ落ちてゆき、吹き飛ばされて、   ――気がつく。   自分の手に、何かが絡みつく。   蔓……植物の、蔓!?   その場に縛りつけられる。動けない。   こぼれ落ちた砂は、空に舞い上がっていく……   蔓は指先にまで絡みついて来た。   声が出せない。   首に……蔓が……   ずるり。   ずるり。   体を侵蝕していく。   こんな……   ――指先に、いいようのない不快感。   いやすでに、感覚が、ない。   ――ざらり。   指先が。   砂になって崩れ……た。 「うあっ……!」  はあはあはあ……  息が荒い。松井博希(まつい ひろき)は、布団の中で、目を覚ました。布団は全部ずり落ちており、パジャマ代わりのTシャツには汗がべっとりとついている。今も、髪の毛の先から、つうっ……と、一筋の汗が、顔を伝っていった。 「なんなんだ、なんなんだ?」 最近、博希は起きるとそのセリフばかりを繰り返す。ここ一週間、同じ夢を見て、同じ形で目を覚ます。 「……今日はやたらにリアルだったな……」 独り言。  博希は布団の側のタオルをひっつかんだ。時計を見ると七時三十分。いつもより遅い。下手をすると、朝食を腹に収める時間もないかもしれない。何しろ、毎朝の『お出迎え』が、きっかり七時四十分と決まっているから、だ。  博希はまず洗面所に急いだ。蛇口からあふれ出る水を頭からかぶると、少し、さっきの重苦しさからは解放された気分になれた。さっぱりする。 「おはよう、お兄ちゃん」 妹の茜が、博希の背中を叩いた。 「お? おはよう」 「早く着替えた方がいいんじゃないの? もう、三十五分」 時計を見せる。 「うわっ! サンキュー、茜!」 博希はどたどたと茶の間に走っていった。 「おはようっ」 「やっと起きたか。いつもより遅いなあ」 父親が悠長に笑う。 「それどこじゃねぇよっ、メシ! 母ちゃん、メシよそって!」 「ご飯をよそって下さいませ、お母様――でしょっ」 母親にしゃもじで小突かれる。 「コントやってる場合じゃねぇんだよっ!! 恥かきたかねぇだろ!?」 「恥かくのはあんただけよ、博希。あんたの分はちゃんとできてんだから、さっさと食べちゃいなさい」 博希は答える間もなく、飯と味噌汁とを交互にかき込む。 「今日もいいネタが入ったからな、早く帰ってこいよ。配達手伝ってもらうぞ」 「…………」 もぐもぐもぐもぐ。父親のいつもの言葉にも、答える暇さえない。口いっぱいにおかずを含んだまま、コクコクとうなずくのみ。  イワシの丸干し焼きに手を伸ばそうとしたその時――玄関先で、賑やかな声がした。 「ヒ――ロ――く――――ん」 「!」 博希の全身に、緊張が走った。しまった。間に合わなかった。イワシを無理やり口に含んで、ぱあんっ! と手を合わせると、博希は部屋に急いだ。  服なんざ適当でいい。博希は洗いたてのTシャツを着て、ジーパンをはいた。リュックを背負うと、玄関まで一目散に走る。口からはまだ、イワシのシッポがのぞいていた。 「行ってきまふっ!」 もどかしげにズックをはく。 「ヒ――――ロ――――く――――ん。ガッコ……」 そのあとは誰にも聞こえなかった。ズックを半分まではいた博希が、玄関から飛び出してきたからだ。 「ストップ!! ストップだっ、五月っ!!」 「あっ、ヒロくんっ。おはよう」 肩までの長い髪を揺らす紫色の学生服の少年、若林五月(わかばやし さつき)が、博希の目の前で笑った。 「~~お前なあ……十六にもなって、玄関先で『ヒ――ロ――く――ん』ってのはやめろよな……恥ずかしいんだからっ」 「だって、昔からやってることじゃない」 博希はそして、電柱の陰にいる人物のほうも見る。 「お前もだっ、毎朝毎朝他人のフリなんかしても、バレバレだぞ、景! 少しは五月を止めるとかしろよっ」 そう呼ばれた人物――浦場景(うらば ひかげ)が、わずかにずり落ちた眼鏡をくい、と上げて、電柱の陰から出てくる。 「五月サンが好きでやっていることですから」 「電柱に隠れるのもお前が好きでやってることか?」 「ええまあ、そんなものです」 「…………」 脱力。朝っぱらから表を掃いていた隣のおばさんが、クスリと笑う。毎朝のことだ。 「おばちゃん! いたんなら止めてよ!」 「いやね、五月ちゃんがあんまり楽しそうだからさ」 「な、……」 景がそっと、博希の肩を叩く。 「博希サン。昨日の友は今日の敵ですね」 がくり。博希は肩を落とした。  そのまま、三人は学校への道を歩いていった。だが天を仰いで、ふう……と息をついたまま、うつむいて歩く博希の様子に、なにかしらただならぬ気配を感じとったのだろうか。「聡い」景が、博希の顔をのぞきこむようにして、言った。 「どうかしたんですか、博希サン。顔色が悪いですよ、今日は。ビタミンは取りましたか」 聞かなくてもいいようなことを聞く。これは景なりの、ごまかし方でもあった。本当を言うと、ここ最近、博希の顔色は、悪い。だがそんなことを言って、余計に彼の顔色を悪くしても仕方がないのだ。景の、誰からも「聡い」と言われる所似は、そこにあった。 「……まあな、変な夢、見てさ」 正直に話す。何年も続いた友人だからこそ打ち明けられることである。博希は今朝見た夢の内容を事細かく、それと、最近、同じ夢ばかり見るということも付け加えて、学校への道々、五月と景に、すべてを打ち明けた。打ち明けてしまうかしまわないかのうちに、真剣な瞳であいづちを打っていた五月が、好奇心に満ちた声で言った。 「その夢ね、ゆうべ、ぼくも見たよ!」 「はあ!?」 「僕も見ました。やたら血の色だけが鮮やかな夢でしょう?」 博希は、がしゅ、と髪をかき上げた。 「何だよ、お前らも見たわけ? またどうして」 「最近、三人でそんな感じのホラービデオなんか見たかなあ?」 「……中一ん時、オープニングの時点でお前が失神して以来、見てねぇだろ」 博希が苦笑した。 「じゃあ、何かあるかな?」 「何もないですねえ……昨日、『あなたの後ろの鈴木さん』は見ましたか?」 毎週やっている心霊番組のことを言っているのだ。五月は無言で首を振った。 「でしょうね。うちも見てません。博希サンのところが見ていても、それじゃあ共通点にはなりませんね」 うーん。三人は首をひねったまま、学校へ急いだ。  遠くで、雷が鳴った。今日は昼から雨らしい。  「沙織がいないっ?」  学校に着くなり博希は、クラスの友人からそれを聞いた。  時貞沙織(ときさだ さおり)。この高校のマドンナとも言われ、その神秘性に満ちた名前と雰囲気で、学校中の男性を虜にしているという、とんでもない噂まで立っているほどの少女である。当然博希も、ひとかたならぬ好意を抱いてはいた。 「だって、いつもここ来るのは一番だろう? どういうことだよ?」 博希は沙織の席を見た。カバンはある。 「どこかに行ってるんじゃないんですか。――たとえば――いつもの所とか」 景の言う『いつもの所』とは、この学校にある温室のことである。誰の趣味だか、この中で観葉植物が育てられてずいぶんになる。この観葉植物たちに、朝晩、水をやるのが、なぜかいつからか、入学して間もないはずの沙織の習慣になっていた。それは博希も知っている。 「だけど、この時間になっても帰ってこないってのはおかしくないか」 「まあ、それは……………」 当然である。あと五分で始業だというのに、時間に几帳面な沙織が帰ってこないとはおかしい。 「まさかどこかで倒れてるんじゃないだろうな……」 博希はそれをまず心配したが、それよりももっととんでもない自体が沙織ばかりか自分や五月、景をも待ち受けていることに、今の博希が気づくはずもなく――  始業のチャイムは、鳴った。   沙織は失踪したらしい――との報が、クラス中に流れるのに、半日とはかからなかった。どこのクラスにも、金を取らない情報屋というものが一人くらいいるもので、職員室が大騒ぎになっているという情報から、沙織の失踪についての職員会議が開かれていることまで、うまく探り当てて来たのである。  消えたとするなら学校で、である。捜すべきところは捜した。ならば変質者にさらわれでもしたか? 職員会議は困難を極め、昼休み。屋上で寝転がる博希の耳に、ファンファンという、サイレン音が聞こえてきた。 「警察が動いたようですねえ」 博希と一緒に屋上にいた景が言う。眼鏡がキラリと光った。 「えっ!? じゃあさ、テレビみたいに、聞き込みとかするのかな!?」 「……さあなあ……」 同じく屋上にいた五月のワクワクした声に、博希は生返事しか返せなかった。弁当は半分以上残っている。食べられない、というのが、今の彼の正直な気持ちだった。入らない。なんでだろう……  ごろごろごろ。固いコンクリートの上を、転がってみる。気はやはり晴れない。今朝の夢のことなんか、もうほとんど忘れてしまっている。だったらなんで、こんなに……  景がそんな博希を見て、博希のごろごろを手でぴたりと止めた。 「……何すんだよ」 「博希サン……沙織サンに、ホレてますね」 ビョオ、と、風が流れた。博希はごろごろを自分の意思でやめた。景は目を少し細めて、薄笑いを浮かべながら、博希を見ている。 「え~~~~!? そうなの!? ヒロくん、沙織ちゃんのこと好きなの!?」 顔を真っ赤にしたまま、動きを止めていた博希は、五月の突飛かつ具体的な発言で、我に返った。 「ん、んな訳ねぇだろバカッ!」 博希はびよん、と飛び起きて、五月と景を交互に見た。だが、顔はいまだ真っ赤なまま。言い訳のしようもない。 「隠さなくても解りますよ。どれだけの付き合いだと思ってるんですか」 「……っ」 口をぱくぱくさせる博希。どうやら図星であるらしい、と五月までもが悟るのに、大した時間はいらなかった。  博希はしばらく黙った。昼休みはもうすぐ終わる。午後の授業は数学だ。担任の授業だから、出ないと何を言われるか解らない。  三人はいつも、予鈴と共に屋上を出ることを決めていた。博希は、景の腕時計を盗み見た。あと、一分で、予鈴。 「…………」 「博希サン」 景が言った。 「沙織サンを捜しに行くつもりなら、僕は賛成しませんよ」 「え」 「そこまで解らない僕だと思ったんですか。警察も来ています。リスクも高い。おそらく温室に侵入するつもりでしょうが、九十パーセント、不可能だと進言しておきます」 それで、博希は決心を固めた。学校中に、かちり……と、チャイムの前の、スイッチの入る音が響く。  そして、予鈴が鳴り響くと同時に、博希は言った。 「景! 俺は沙織を捜しに行くぜ! 五月、お前も付き合え! 九十パーセント不可能だっつーんなら、俺はあと十パーセントの可能性に賭けるっ」 「言うと思いましたよ。……僕は付き合いませんからね!?」 「ぼく、行くーっ」 予鈴が鳴り終わる前に、三人は屋上から降りた。  雷が近づいてきていた。まだ雨は、降っていない。  担任とはいえ、この日の授業は博希にとってはいつも以上に怠惰で、寝足りなかった分をフルに活用させてもらった。その度に、担任教師・安土宮零一(あどみや れいいち)に、教科書の角でぶたれる。 「痛えなっ」 「俺の授業で寝るなと何度言ったら解るっ。……若林、お前もだっ」 五月の頭も角でぶつ。 「ふえ……痛いよう」 だが五月は博希よりもある意味したたかで、頭をさすっただけでまた眠ってしまった。 「……類は友を呼ぶというが本当だな。浦場がお前たち二人の友人なのが俺には不思議でならないよ」 零一はため息をつきながら教壇に戻って、授業を再開した。景は黙って授業を受けていた。  結局、博希の意識もまた、ゆらゆらと船を漕ぎ始めることになった。   白い……白い人。   今度は……血の色に染まっていない……   守って。   守って。   守って。   ――助けて。   早く、来て。   「どこ、へ?」   ………ポ……ダ……   「聞こえない。どこへ?」   ――――コスポルーダ―――― 「こすぽるーだ?」 いきなり、五月が起き上がってそう言う。まだ、授業中であるという事実に、彼の意識は追いついてくれなかったようだ。 「若林~~。なんだそりゃ? 新製品のお菓子か何かかあ?」 教科書を構えて、零一が五月の前に立ちはだかる。 「え? ……あの」 反論の間、なし。五月はさっきよりも強烈な一撃を零一からくらって、瞳に涙を一杯に浮かべるハメになった。当然、五月はクラス中から笑われることになったのだが、約二名、笑っていない人間がいた。博希と景。景はともかく、博希は、さっき眠っていた間に、多分五月と全く同じな夢を見た。コスポルーダ。夢の中の『白い人』は確かにそう言った。また一緒か…… 「…………?」  だから博希は笑えなかったし、首をかしげるばかりだった。夢でまたもシンクロするなんて。付き合いが続くと、そんなもんなんだろうか。  ――この時、博希は本当に、そんなことしか考えていなかったのである。  そして――  放課後は、存外早くやってきた。

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