「懲りていない――という解釈で、よろしいですか!?」
「さあ? あたしの辞書には『懲りる』なんて言葉、ないわ」
ふっくらとした唇がそう言って笑った。壊された通信機を取り戻すべくフーラゲインに戻った景を待っていたのは、おぞけるほど鮮やかな桃色の髪を揺らす、ピンクフーラ総統マリセルヴィネだった。
しかも彼女の足元には、先程散々なデコレーションを施されたばかりの執政官とオルデが転がっている。薄桃に色のついた花びらをわずかに散らせ、ピクリともしない。気を失ったままなのか。それとも――
「何をぼんやり突っ立っているの? そこの二人なら、死んでるわよ」
「…………!」
ぼろり。マリセルヴィネの手の中から、黒く変色したライフクリスタルの欠片がこぼれた。――やはりか。景の心の中で、さまざまな思いが錯綜した。
「殺す必要など、どこにもなかったでしょう!」
「あったわ。役立たずなんだもの、そんな執政官はあたしの都市に要らないわ」
「……ッ」
それからマリセルヴィネは、思い出したように言った。ぽう、と、桃色の光が浮かび上がって、彼女の手の平の中に、景にとって見覚えのある物体が現れた。
「そうそう、こいつのポケットから出てきたんだけど、これ、お前のじゃなくて? あたしが持ってたって仕方がないものね」
「それは……!!」
僕の。と言いかけて、なぜか景は口をつぐんだ。彼女の手の中にあるものが、先だってオルデに破壊された自分の通信機であることは間違いなかったのだが、それにまつわるいろいろのことが思い起こされて、知れず、涙がほろりとこぼれた。
「本当に面白いこと。さっきまで敵だった人間が死のうが生きようが、関係ない話じゃないの? 敵のために涙をこぼすなんて」
「関係ない……? そんな訳、ないでしょう! ついさっきまで一緒の場所にいて、話をしていて、それで関係ない訳がない!」
くっく、マリセルヴィネは低く笑った。
「時間がありません……僕はあなたを許すことはできない」
「そう。ならばどうしようというの?」
「この場で――――僕が裁きます! 勇猛邁進・鎧冑変化!」
ぶわっ! 風が起きて、鎧装着とともに景の手の中に弓と鋭い矢がおさまった。
「裁く、ね。裁く権利があるなら裁けばいいわ、【伝説の勇士】」
彼女はそう言って、不敵に笑う。景は弓をひくつもりだった。残酷で許しがたい、この美しき総統のライフクリスタルを叩き割ってやるつもりでもいた。しかし、
「どうしてです。どうしてあなたは、そんなことが平気でできるのですか!?」
放てなかった。その代わり、彼の口からは、言葉が飛び出てきた。
「どうしてですって? さあね、考えたこともないわ」
「この方々だって――まだ更正の余地はあったし、何より、家族がいたはずです! 僕は彼らがどういう目に遭おうとも関知はしません、ですが、彼らが逝ってしまうことで悲しむ方が絶対にいないとは言い切れません! あなたにだって――――そういう方はいるでしょう!」
「いないわよ」
「……!?」
景は面食らった。完全に計算を違えた。自分がいなくなることで悲しむであろう大切な人間。彼はクラヴィーリが、マリセルヴィネのそれだと思って言ったのだ。しかし、目の前の美麗な死神――マリセルヴィネを形容するのにはそういった言葉こそがふさわしい気が、した――は、なんともあっさりとそれを否定してのけた。
「じゃあ、あなたの――お兄様は。クラヴィーリは、悲しまないとでも!?」
「兄様があたしが死ぬことで悲しむなんて思えないわね。それにあたしには家族などいない。しいて言うならレドルアビデ様やヴォルシガたちが『家族』かしらね?」
「…………」
「もっとも、あいつらが死んだとき、あたしや兄様は一粒の涙も出やしなかったけれど!」
楽しそうに笑う。景は弓を持つその力が、急速に衰えていくのを感じた。
「ただ悲しむふりをするなら誰だってできるわ。問題は」
シャラア……マリセルヴィネの手の平から、花びらの鎖が生まれる。
「お前のように――考えてしまうことね!」
マリセルヴィネの手が揺らめき、動くのはとても早かった。ビュルッ! と鋭い音を立て、景の頬を素早く撫でながら首周りに滑り込む花びらの鎖。
「!」
身をよじる暇はない。この近距離で弓を使うのも難しい。景の一瞬遅れた判断が、彼の首筋に花びらの侵入を許してしまった。
「…………ぐっ!!」
「疑念と後悔のなかで凄惨に殺してあげる。お前たちのおかしな感情、とても面白かったわ……」
絞められていること――ではなく、自らの首筋にすべる花びらそのものが体力を奪っていることを、景は遠くなりそうな意識の中で悟った。
こんなところで、こんな形で負けてしまうのはあまりにも悔しい。しかし自分には、もはや『爆発』する力はおろか、弓をひく力さえ残っていなかった。
「さようなら」
その瞬間のマリセルヴィネの唇の色が、景にはとてつもなく鮮烈な血の色に見えた。そうして彼は、生涯ではじめて、本当に『覚悟』した。しかし――
「おいおいおいおい待てまて待てまてストップ――――ッ!!」
よくとおる大きな声が、その場に響き渡る。直後、景の目の前に――もっと詳しく言うならば、景とマリセルヴィネのど真ん中、ちょうど、二人を分断するかのように――ザンッ! と音を立てて、見慣れた剣が落ちてきた。
「うあっ!?」
およそ美人の発するものとは程遠い台詞を、マリセルヴィネは吐いた。思わず、景から離れ、声のほうをにらみつける。
「博希……サン!」
落ちてきた剣で、花びらの縛から解かれた景は、マリセルヴィネに遅れること約一分で、ようやく、空を見ることができた。その視線の先にあったものは、フォルシーの背に乗る、五月と博希!
「カーくん! だいじょぶ!?」
「な……なんとか、大丈夫です……!」
景が少し笑ってそう答えたことで、博希と五月は安堵した。が、それも一瞬のことで、『起きている』二人に相対して『転がっている』別の二人の姿を認め、彼らは戦慄を覚えた。曲がりなりにもショッキングの渦の中に生きる現代っ子であり、多少なりとも『伝説』の名を冠して戦ってきた彼らであるから、『転がっている』二人がいったいどうなっているのか、解らない彼らではなかった。
フォルシーの背からすとんと降りて、博希は苦みばしった顔をした。
「奴らか?」
「ええ」
「マリセルヴィネが?」
「そうです」
この短い会話で、博希は一瞬にして事態の大まかなところを悟った。
「テメーはどこまでも外道だなコラァ!!」
「外道……ね。素敵な褒め言葉だわ!」
唇が微笑の形に歪んだ、それが合図であったかのように、三人とマリセルヴィネは相対し、武器を構えた。そして、行動に移すのは、三人――その中でもとりわけ、景――のほうが、若干、早かった。
「あなたの罪は、万死に値します! 必殺必中!!」
景のその様子は、『声』を発したというよりも、叫びに近かった。圧倒されて、博希も五月も、そしてマリセルヴィネも、景よりコンマ五秒ほど、行動を起こすのが遅れる。
「もう一度言うわ。裁けるものなら、裁きなさい!」
景の放った矢は、そう言い放ったマリセルヴィネをまっすぐに狙っていた。ぎい、と笑った彼女の唇から、まぶしくこぼれる歯を景が認めた瞬間――
「きゃあんっ!?」
その叫びが聞こえた。景は自分の矢がマリセルヴィネに当たったかどうかを確かめる前に、脊髄反射的に振り向いていた。
「五月サン!」
世界広しといえども、景の背後で「きゃあん」なんぞという悲鳴を上げる男は恐らく二人といないだろう。確信に近い判断で、景はその名を呼んだ。しかし、直後、言葉を失った。
「さ……」
これで精神的に余裕があるなら、「新しく覚えたイリュージョンですか」とでも何とでも言えただろう。しかし、今は状況的にそんなふざけたことを言える場面でもなかったし、精神的に考えても完全に余裕はひとカケラたりとてなかった。そのとき景が見たのは――――
黒いよどみの中に下半身を吸われている五月と、
同じくその中に上半身を吸われている博希!
「カーくん、カーくん。助けてえ」
五月が泣きながら両手をじたばたさせる。博希にいたっては出ている部位が部位だけに、声も出せずにいた。というよりも、気を失っているのか、足はだらんと垂れてピクリとも動かない。どう見ても画的には美しくも気持ちよくもなかった。
「……“ほころび”……!?」
まさか、と思った。しかし、このよどみ方は自分たちがいつも飛び込むそれによく似ていた。――景にも感じられるほどの禍々しき気配がそこに渦巻いている、という一点においては、まったく似ていなかったけれど。
誰がこんなものを発生させたのか、と考える前に、二人を助けなくてはならない。景は弓矢を捨て、五月の上半身を抱えるようにして引っ張った。
「さつ……き、サン! 博希サンは……」
「解んない、ぼくが気がついたらもう足だけだったんだよう」
「んぎぎ」
五月の体重は軽い。いつもの景なら五月を抱え上げるのは簡単だ。体力に自信はないけれど。それでも、今の景は少なくとも【伝説の勇士】。普段以上の体力があるはずだった。しかし――
「お、も……いっ。身体が……重い……っ……」
身体中の気力を使って『爆発』した後、マリセルヴィネと相対したことで、精神的にも体力的にも景は参っていた。できるものなら今ここで眠ってしまいたい。だが、この手を放したら、
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