窓の中のWILL

Chapter:42 「俺、いったい何が言いたいんだっ!?」

「……は……」  松井素子の手から放たれた出刃包丁と刺身包丁計十本は、彼女の息子の頭上に一本、顔の両脇に一本ずつ計二本、両脇の下片方一本ずつで計二本、股下に一本、足の両脇に一本ずつで計二本、彼の服の一部を貫いて、後ろの壁ないしはドアにキレイに刺さった。さっくりと。  まるで型抜きでもされたかのように体の周りに包丁を従えておかしなポーズをとったままの息子――博希は、しばらく声も出なかった。 「――――んな、ナニしやがるんだよっ!?」  やっと口をついて出たその言葉は、事が起きてから約二分後に発せられた。 「帰りが遅い!」 「なにがだよ!? 今日はまだ昼のうちに帰ってきたじゃねぇかよ!!」 「お黙り。さっさと靴ぬいでお上がりっ!」 「無理言うなっつの!!」  博希はそのままのポーズでもがいたが、素子――博希の母親は、どすどすと室内に入っていってしまった。 「おいっ、これ外せっての、母ちゃんっ」  シーン。 「お――いっ!! 誰かっ」 「……お帰り、お兄ちゃん」  奥からおずおずと出てきたのは、博希の妹の、茜だった。 「茜! これ取ってくれ、――母ちゃん、どうしたんだ、一体?」  茜は博希の周りに刺さった包丁を一つ一つ抜きながら、コソリと言った。 「お父さんとお母さん、ケンカしてる」 「何!?」 「しっ。聞こえちゃうでしょっ。……それでお母さん、キゲン、悪いのよね」  博希はそれで、自分に不当に向けられた十本もの包丁の意味を解した。が、どうしても、引っかかることがあった。  あの二人がなんで。  博希が生まれてから、もちろん茜が生まれてからも、仲が険悪になるほど両親がケンカしたことは一度もなかった。たいがい父親――豊が折れて、五秒で解決する。……それに、いつだって、悪いのは素子の方でなくて豊の方であった。スナックに馴染みの女の子を作ったとか、素子のかっぽう着を間違って雑巾十二枚にバラしてしまったとか。……それが、今回はどっちも折れないとは。 「原因は?」 「……お店に行けば、解るよ」  遠慮がちに茜は言った。博希はそのまま、店の方に足を伸ばすことにした。普通なら、豊がすでに店の仕込みを始めて、……むしろもう握りくらい始めているはずである。  しかし。 「ありゃん?」  豊はいなかった。いつもならばカウンターの中にいて、『おうヒロ、帰ったのか』とかなんとか…… 「なんだよ……今日って定休日だったかぁ……?」  カウンターのカレンダーを見るが、今日の日付に『定休日』の印の赤い丸はついていない。 「これが原因だっつーのか?」 「うん」  茜はついてきていたらしい。博希の背後から、微妙な表情でうなずいた。 「父ちゃん、倒れでもしたのかよ。定休日でもないのにノレンも出してねぇ、ネタもねぇ、シャリすら仕込んでねぇ。何があった」 「あのねえ……ネタがね、手に入らないの」 「はあ?」  茜が言いにくそうにその言葉を紡いだ。 「ネタが手に入らねぇ? 市場に行ってないのか父ちゃんは?」  博希が学校へ行ってコスポルーダへ向かった時、豊は家を空けていた。博希は豊が市場へ行ったものだと思っていた。いつも、そうだからである。博希が学校へ行く前に帰ってくるか、博希が学校へ行ってしまってから大きな荷物を抱えて帰って来るかのどっちか。なのに。 「行ったよ。行ったんだけど、……」 「だけど?」 「ネタがなかったんだって」 「なかった?」 「これ、見て」  茜は店内にあるテレビのスイッチを入れようとした。が、うんと高い所にありなおかつこのテレビにはリモコンがない。要するに昔ながらのダイヤル式チャンネルなのであるが……うんうんと背伸びをしている茜を見かねて、博希はテレビのスイッチを入れてやった。 「ありがと」 「どこのチャンネルだ」 「どこでもいいよ。今日は朝から同じことしか言わないの」 「あぁ?」 「お兄ちゃん、テレビ見なかったの、今日の朝から? どこに遊びに行ってたわけ?」 「…………い、いいだろ、そんなこと」  ぶいん、と音がして、テレビがつく。すぐに、小さな画面の中で、キャスターらしき背広の人間が原稿を読み始める姿が、博希の目に映った。 『各地で海に深刻な被害が出ており、早くも漁業関係者の中には魚不足を憂う声も出ております』 「……はあ? こいつ、何言って――」 「聞いて!」 『繰り返します。本日正午過ぎより、各地で海や湖の一部が干上がるという事件が起こりました。この不可思議な現象に専門家や関係者は首をひねっており、まだまだこの現象は続くとされ、――』  原稿を読む手が一瞬、止まった。博希はその画面を微妙な納得を含めた、半ばぼんやりした瞳で見つめていたが、この現象は、自分にとっては不可思議でもなんでもない、と、思っていた。 『ただ今入ったニュースです。先程干上がった湖の付近で不審な人物を目撃したとの情報が寄せられました。映像が――入りますか?』  瞬間、映像が、パッと変わる。博希は、息を、のんだ。  少年。  多分、自分と変わらないか、自分より二つ三つ下くらい、そう、茜より少し上くらいか――そして、その、ぼやけて見える服装の奇妙さ―― 『ご覧の人物が、他にも多数の場所で目撃されているようです。警視庁ではこの人物の足取りを追うとともに――』  博希はそこで、テレビを消した。 「なんてこった……」 「なんで、テレビ、消したのよ?」 「茜っ! 要するに、海が干上がって魚が捕れなくて、父ちゃんと母ちゃんはケンカしたんだなっ!?」 「端的に言っちゃえば、そう」 「……中坊のクセに『端的に』なんて小難しいことばっか言いやがって」  ツン、と、茜の額をつつく。それから唇をギリッと噛んだ…… 「理由は解った! ……あれがリテアルフィとかいうヤローだなっ……!」 「りてあるふぃ? それ、誰?」  熱血になりかけた博希に水を差す茜。だが、茜にリテアルフィが誰であるかを言う訳にもいかないし、まして自分が伝説の勇士であることなんて言える訳もない。博希は、 「……五月ン家と景ン家、行ってくるっ!」  それだけを叫ぶと、駆け出した。 「あっ、お兄ちゃん、お昼ごはんはっ!?」 「いらんっ!」  突如ワケの解らない人物の名前をつぶやいたことだけでも茜には十分な驚きだったというのに、普段人の四倍は食べる(それだのにどこに栄養がいくのかまったく太らない。筋肉にでもいくのだろうか)博希が『昼飯はいらない』と言ったことは、茜の腰を抜かせるには十分な事実だった。  自分も腹が減ってきた。が、豊も素子もケンカしている今、何を言っても二人とも昼ごはんなんて絶対に作るまい。むしろ食べるまい。茜はちょっと考えて、冷蔵庫をあさった。 「あ、卵みっけー」  お昼はオムライスにしよう。と、このしたたかな十三歳はそう決めた。   カンカンカンカンカンカンッ!  二世帯住宅の二階に行くための外階段を、早足で駆け上がる音が響く。 「ええいっ、息せききってるヒマなんてあるかっ!」   チーローローテーローリーロー……  多分母親の趣味であろう、ミュージックインターフォンを鳴らす。 『はい、どなたでしょう?』 「あの、俺です、松井博希です……五月、いますかっ」 『あら、ヒロくん? ちょっと待っててね、今、玄関を開けるわ』  出たのは母親であったらしい。なにせ博希を『ヒロくん』などと呼ぶのは世界広しといえども五月とその母親くらいのものであろうから。 「いらっしゃい、メイは部屋……」 「お邪魔しますっ!」  もう彼女の言葉など耳に入っていない。博希は五月の部屋への階段を二段飛ばしにだんだんだんっと上っていった。 「あらあらあ……」   ガチャッ! 「あれえ? ヒロくん、どうしたの?」  入った直後、いつにもましてパステル色の強い部屋だ、と、博希は思った。確かこの前訪ねた時はピンクとイエローを主体にしたパステルだった。今日はブルーとホワイトを主体にしたパステルだ…… 「いいでしょお? 今日、帰ったら、模様替えしてあったの。夏仕様だって」 「……ほーう……」  納得だけしてみせて、博希はそれどころでないことをすぐに思い出した。 「五月! ヤツだ、あのほら、……ああ、アレ?」  さっきまでしっかり覚えていたはずなのに、走ったら抜け落ちてしまったとでもいうのだろうか。まったく落語のような男であるが、博希は、うんと頑張って、自分の言いたいことを整理しようとした。 「あのな、海がエラいことで、うちの父ちゃんと母ちゃんもエラいことで、茜はなんか冷静になってて、じっちゃんとばっちゃんはいなくて、ああっ、俺、いったい何が言いたいんだっ!?」  それはぼくの言うセリフじゃないかなあ、と、五月はそう思ったが、頭をうまく使えない二人が集まったところで、何もできないのは目に見えている。ならば三人集まればナントカの知恵。五月は椅子を机にしまうと、言った。 「カーくんとこ行こ? カーくんだったら、ヒロくんの話、解ってくれるかもしれないよ?」 「そ、そうかっ! じゃあ今から急いで行こうっ!」 「うん」  博希が部屋のドアを開けるより早く、五月の母親がドアを開けた。 「ジュース、持ってきたわよ」 「あっ、……えーと……」  飲まないのも気がひける。ここでヘタに遠慮すると、彼女が自分のもてなし方が悪かったのかと向こう一週間は悩み続ける人であることを、博希は知っているからである。 「いただきます!」  一気にぐーっと飲み干す。 「すみません、ちょっと急いでて。五月借ります!」 「えっ、あら、」 「ママ、行ってくるね、ごめんね? お夕飯までには帰れると思うから」 「ええ。今日はアッキーが腕を振るうと言っていたわよ」 「パパが? わあい、楽しみ。じゃ、行ってきますっ」 「行ってらっしゃい」  二人は急いで景の家へ向かった。  そのころ浦場家は、間が悪いというかなんというか、遅めの昼食をとっていた。だが幸運にも――それは博希たちにとっても景自身にとっても――、父親は家を空けていた。今日は国営放送の討論番組に出るのだそうだ。それでまだ帰ってきていない。だがやや不運なことに、祖母はいるわけであって。 「景さん」 「はい!?」 「最近外出が多いのですね」  祖母にとってそういう意図があるのかどうかは別にして、非常にイヤミに聞こえる。 「はあ、高校生というのはえてして忙しいものでありまして」  どうでもいい言い訳。 「そうですか。まさかお勉強に支障をきたしてはいないでしょうね?」 「はい、それはもう――」 「おばあ様、景さんはきちんとお勉強をこなしていますわ。わたしが見ていますので間違いございません」  景の姉の旭が取り成すようにそう言った。  カチャリ――と、食器同士のわずかにぶつかる音が響いた。 「そうですか。――円華さん、あなたからも重々よく言っておくように。景さんは清一朗の跡を継ぐべき方なのですからね」  清一朗とは景の父親である。 「はい、お義母様」  静かにうなずく母親。景はその風景をまるで他人事のように見ながら、なんだか、早くコスポルーダに戻りたいような気がしていた。  父親がいないとこの家は祖母が仕切っているようなものである。景は誰にも解らないようにため息をついた。 「とく江さん」  祖母が、そばに控えていたお手伝いの女性を呼ぶ。 「お茶を」 「はい、かしこまりました」  静かな昼食の時間が、流れていくはずであった。  が。  瞬間。  リンゴーンリンゴーンリンゴーンリンゴーンリンゴーン!! 「誰ですっ!」 「まさか……博希サン!?」  景は昼食中であることも忘れて立ち上がった。瞬間、祖母ににらまれる。 「寿司屋の悪童ですか!」  祖母は――なぜだか解らないが、……いやきっと昼食の優雅な時間を邪魔されたためであろう――爆発寸前の表情で、玄関に向かいかけた。 「おばあ様!?」 「追い返してきます!」  それを、お手伝いが止める。 「とく江さん、離しなさい!」 「いいえ離しません! 景坊っちゃまのお友達ではないですか、きっと急いでらっしゃるんですわ、どうか……」  お手伝い――とく江は景にそっとウインクをした。景はとく江の言わんとするところがすぐに理解できて、玄関へ向かう。 「母様」 「解っていますよ。もう、よろしいのですね?」 「はい。ごちそうさまでした」  景は暴れる祖母の脇をすり抜けて、――それにしてもとく江も祖母もタフなものである――玄関の重い扉を開けた。 「景っ」 「博希サン、それに、五月サンも?」 「あのねえ、ヒロくんが、なんか、言いたいことあるんだって」 「言いたいこと……」  五月まで伴ってここまで急いだということは相当なことを言いたかったのであろう。ともするとコスポルーダのことかもしれない。景は考えて、 「とく江さん。僕の部屋に通しますので」  と言った。とく江はまだ祖母の後ろから彼女を止めたまま、 「はい、承知致しました」  と返事した。 「待ちなさいっ、悪童! お前のせいで景さんが、……」  しかしすでに博希は聞いていない。というより聞く気もなく景の部屋に入っていってしまったのである。 「お前ん家のばっちゃん、いつ見てもパワフルだな」 「……褒め言葉と受け取っておきましょう……ところでどうしたんです、そんなに急いで?」 「ああ、それそれ。俺ん家が大変なんだ、母ちゃんと父ちゃんがケンカして」 「ケンカ。原因はなんです」  ずいぶん気持ちに余裕が出たらしい。博希はさっき五月に言ったよりもいくぶんかは落ち着いて、自分の経験した経過から順に景に話すことができた。 「まとめると、海が干上がって魚が捕れなくなったから、博希サンのお父様とお母様がケンカしたと」 「端的に言ってしまえばそういうことだ」 「よく『タンテキに』なんて知ってるねヒロくん」 「どうせ茜サンあたりが使っていたんでしょう」 「うっ」 「そんなことより、僕が気になったのはテレビに映っていた人物のことですね……まさか、スカフィードの言っていたリテアルフィ……!?」 「あっ! リテアルフィ、それだ、それ。やっと思い出した」  博希が本当にほっとした顔でそう言うので、景はあきれ果てて言った。 「思い出せなかったから僕の家に来たんですか? 困った人ですね」  その時、とく江がお盆を持って景の部屋をノックした。 「坊っちゃま、お茶をお持ちしました」 「ありがとうございます、どうぞ」 「失礼します。……お話が弾んでいるようで。博希坊っちゃまは玄米茶の方がお好きなんでしたね」  博希の前に玄米茶とおかきが置かれる。 「あっ、俺の好み、知っててくれてたんだ」 「それはもう。……五月坊っちゃまはハーブティーがお好きでしたね」 「わあ、ありがとう」  ハーブティーとクッキーが置かれる。景には 「いつものですね」  と、ティーポットとカップが置かれた。 「ありがとうございます。何かあったら呼びますから」 「はい。では、ごゆっくり」  とく江は景の部屋から出て行った。 「で、」  博希は玄米茶をすすった。おかきにも手を伸ばしてぽりぽりと噛む。 「どーするよ」 「どーするもこーするもありませんよ。これがリテアルフィの仕業だとしたら、すでに彼はこの世界に侵入しているということです。彼の『魔法』が何なのかもまだはっきりしていないし、僕らが今動くことはできませんね」 「じゃあ何か、あいつが動くのを待たなきゃいけないってコトかあ!?」 「そういうことです。だいたいこの世界で鎧装着するのにも気を使うんですからね」 「じゃあ、ホントに、終業式まで待つしかないんだねえ」 「そうですね。――それに博希サン、そう、心配することはないのではないですか」  紅茶が十分に蒸れたらしい。景はティーポットからアイボリーのカップに紅茶を注ぐと、一口飲んで、そう言った。 「俺ン家にとっちゃ大事件だぜ」 「まさかそこまで本気だとは思いませんよ。きっと今ごろ、仲直りなさっているのではないですか?」 「……うーん、そうだな。あの二人のことだもんな。おし! 俺、家に帰るぜ。また明日な?」  博希はおかきをまとめて口に頬張って、玄米茶で流してしまうと、立ち上がった。 「そうですね。まあどうなったかは、明日にでも報告してください」 「おう」 「じゃあ、ぼくもおいとまするね?」 「ええ。また明日」  五月もいつかハーブティーを飲み干してしまっていた。景は二人をにこやかに見送ってしまうと、さておばあ様に何と言い訳しましょうかね――と考え始めるのだった。 「ただい――」  博希は玄関を開けると同時に、身を翻した。素子の包丁を警戒してのことである。だが、包丁は飛んでこなかった。それどころか、奥から飛んで来たのは、茜だった。 「お兄ちゃあん」 「どした?」 「お父さんとお母さんが……離婚するって言ってるよ!!」 「なにい!!??」

コメント

コメント投稿

スタンプ投稿


このエピソードには、
まだコメントがありません。

読者のおすすめ作品

もっと見る

同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る