マリセルヴィネの砂を完全にビンに閉じ込めてしまった五月は、言いよどんだ。 「えと、その、」 「なんで砂なんか拾ってんだ、ばっちいだろっ」 「何か研究にでも使うのですか? でしたら僕にも手伝わせていただきたく」 完全に方向性の違う二つのツッコミを受けながら、目を白黒させる五月。 「あのう、あのう、……や、ヤーマさんは……?」 どうにかこうにか言葉を絞り出せた。 「え」 「話は、あとでするから、ヤーマさんのことと、ヒロくんはほら、スカフィードのとこ行ってレリーアちゃん連れてこないと」 それは五月にしては至極常識的で、かつ、理にかなった発言であった。そしてそれにいち早く反応したのは、さすがと言うべきかなんというか、景であった。 「そうですね、ヤーマさんのことがありましたね。レリーアちゃんはスカフィードのところにいるんですか? 五月サン、あとで必ず、いろいろとお話ししましょうね?」 「うん」 博希は完全に物足りない、というよりは、消化不良の様子であったが、景がクギを刺したためか、割合素直に“ほころび”を開いた。 「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」 博希がいなくなってから、二人はヤーマのところへ向かった。マリセルヴィネが倒れたせいか、魔法も消えたとみえ、マートルンは元の一両編成の列車に戻っていた。扉の向こう、ヤーマは運転席を撫でながら、どっと老け込んだ顔になっていた。 「お疲れさまでした」 「勇士様……ああ、こりゃどうも……」 「マリセルヴィネは僕らが倒しました。あとは――奥様と、村の方々の件が残っています」 「総統を……何から何まで申し訳ない……」 頭を床にこすりつけるようにして、ヤーマは礼を言った。 「参りましょう。博希サンはちょっと外していますが、ほどなく合流するはずです、レリーアちゃんを連れてね」 三人がマートルンを降りたとき、そこは家屋の密集地帯手前だった。本当にスレスレのところで大惨事を回避できたのだと、五月も景も胸をなでおろした。 それから少しあとの、マートルン内。 「……マリセルヴィネ……己が力を過信したか」 崩れたマリセルヴィネの砂に手を触れる影があった。ざらりと手の中にすくうと、 「足りぬ……」 と苦々しげにつぶやく。解る。指一本分くらいのわずかなものであるが、これはマリセルヴィネの全身ではない! あの騒動から、室内にいたのは運転士とマリセルヴィネ、そして…… 「勇士どもの仕業か!」 長い髪が怒りに燃えて逆立つようにぴりぴりとうねった。 このまま勇士どもを殺しに行くこともできる、だが――――。クラヴィーリはひとり、ホワイトキャッスルへ踵を返すのだった。 村は騒然としていた。 それはそうだ、マートルンが暴走した挙句村に突っ込もうとしたのだから、村人のほとんどは家から飛び出して、その状況を固唾をのんで見守っていた。 マートルンが暴走したことで、村人たちはヤーマがこの件にかかわっていることを確信していた。マリセルヴィネのもくろみは、叶わなかったなりにも理想通りの道を進んではいたのである。 「あのオヤジ、何考えてんだ!」 「ぶちのめすしかない、娘もろとも村から出て行ってもらおう!」 そこにヤーマと景と五月、数分後に、追いついた博希とレリーアが歩いてきたものだから、村人たちのボルテージは一気に上がった。 「誰だお前たちは! ヤーマとその娘をこちらに渡せ!」 「何者だ!? どうせよそ者だろう!」 「いや……ちょっと待て、あの姿……聞いたことがあるぞ、もしかして伝説の……」 村人の誰かがそう言ったことで、今度はギャラリーがたちまちざわつく。まだ鎧装着を解いていなかった三人は、これ幸いと、二人をかばうように仁王立ちになった。 「ご存じの方もみえるようですが、僕たちは【伝説の勇士】です」 「その俺たちが、俺たちの名において言うぞ。この親子に手を出すんじゃねえ」 「これから、執政官の人のところ行くの。邪魔しないで」 「執政官様のところへ……!? で、でも勇士様、それは、」 「知っています。だからこそ、行くのです。申し上げておきますが、すでに総統マリセルヴィネは倒れました。執政官の方が改心すれば、みなさんを苦しめる存在はいなくなります。違いますか」 またギャラリーがざわつく。総統様が倒れた? まさかそんな、でも勇士様がおっしゃることだし、ならばここは信じてみるべきか? そういうひそひそ声があちこちから聞こえてくる。 「僕たちは必ず戻ってきます。どうか、信じていただけませんか」 あまりに熱心な景の様子に、村人たちはついに折れた。こういうときに博希や、ましてや五月が説得に回らなかったのはなんとも珍しかった。二人がのちに語るには、この時の景にはなにかしらの熱を感じたという。 未だにざわつく村人たちの中、一行は執政官の屋敷を目指した。 「ここが、執政官の屋敷か……?」 博希の声に、ヤーマ自身が半信半疑の様子でうなずいた。まさか、そんなはずは、というつぶやきが、景や五月の耳にも届く。確かに、そのつぶやきも、解る気がする。なぜなら―― 「あなた! レリーア……!」 女性が一人、奥の部屋から出てきた。 「あれ? あのひとがレリーアちゃんの母ちゃん?」 「うん」 博希がレリーアにそう聞いたのには訳があった。話に聞いていたより、その屋敷も、そして執政官本人も、とても質素だった。 「どうした……」 ヤーマが呆然としてつぶやく。聞いていた話と違う。そんな様子であった。 「あたくしはひどいことをこの村にしました。ですから……集めたものをすべて返そうと……」 それだけではないのではないか、と景は思う。仮にマリセルヴィネがここに戻ってくれば、この――多分あの女からすれば【惨状】を――きっと許すまい。 それに、彼女はマリセルヴィネが消えたことを知らない。それならば…… 「命と引き換えに?」 彼は無意識にそうつぶやいていた。 「なに……?」 ヤーマがその言葉をとらえて、執政官につかみかかる。 「馬鹿なことを言うな! お前がいなくなったら俺だって……!!」 「でも! あなたとレリーアはあたくしのせいで村を追われて……ずっとずっと、それが……それだけが気がかりで……」 「お母さんっ」 執政官の言葉を遮ったのは、レリーアだった。身体いっぱいを使って執政官にしがみつき、一生懸命に言葉を探していた。 「三人がいいの、三人いなくっちゃダメなの。お父さんも、お母さんも、わたしも! 三人いたら、みんないたら、きっと頑張れるよ、なんでもできるよ、やり直しもできるよ! だから……」 「やり直し……」 「レリーアちゃんの言う通りです」 景の澄んだ声がした。 「お二人が心の奥深いところでそれぞれを想っていらっしゃるのは、いまのでよく解りました。だからこそ、もう一度、この村を立て直すべきです」 「あなた……あのかたは……?」 「【伝説の勇士】様だ。俺のマートルンを守ってくれて、総統様も倒した」 ええっ、と、執政官が声をあげる。それはそうだ、【伝説の勇士】というだけでも驚きなのに、あのマリセルヴィネが倒されるなんて、きっと想像もしていなかっただろう。 「だからもう心配はいらない。お前が死ぬこともない。きっとうまくいく、きっと……」 崩れる執政官の瞳から涙があふれて、止まらなくなった。ヤーマは彼女をただただ抱きかかえて、二人で泣いた。レリーアは二人に抱きかかえられた形で、とても幸せそうな、穏やかな顔をするのだった。 景はそっと、博希と五月を伴って屋敷を出た。 「あああああぁぁああ!!」 頭がずきずきと痛む。 兄? 弟? 翼人…………!? 自分は誰だ? 自分の名はデストダ…… 「そうだ……それは間違いない……」 レドルアビデ様に仕える者…… 「いつから……?」 自問自答しながら、デストダは頭を抱えて苦しんでいた。 あの運転士の家から放り出され、誰かに首根っこを掴まれた後の記憶がない。 ここは…… 「ここは、ホワイトキャッスルだ」 レドルアビデ様の。 ……いや……? ホワイトキャッスルは……そもそも…… 「デストダ」 ! レドルアビデの冷ややかな声がした。 「どうした……随分とうなされていたが……」 「レドルアビデ様」 「往来で倒れていたところを拾ってやったのだ、体調はどうだ」 「か……かたじけのうございます……」 言葉に遮られ、デストダはそれ以上何を考えていたのかをすっかり忘れてしまった。 何を迷うことがあったのか。 自分がお仕えするのは、この方ただ一人ではないか―――― 目の前の支配者の、にい、という邪悪な微笑に、気がつくことのないまま……素直に頭を垂れて、デストダは感謝の言葉さえ述べるのだった。 結局博希たちは、村の再生までを見届けて、フーラモリナを去ることになった。執政官が是非にと申し出て、多少長逗留させてもらえることになったのだ。 当然ながらマリセルヴィネの城は崩れ、集められた宝石は持ち主に返されるか、村の財産として残されることになった。 「ありがとうな、勇士様」 「おっちゃんがありがとう言うこたねえよ、俺たち今回はほとんど何もしてねーもん」 「でも、マートルンを止めてくれたし、わたしのことも守ってくれたし」 「話を聞けばだいぶと力技のようでしたがね……」 「本当に、この度は申し訳ございませんでした、誠にありがとうございました」 「もう大丈夫だね。村の人も落ち着いたみたいだし」 やはり最初は村人も半信半疑で、博希たちが説得して回る必要が多少、あった。それでも最終的には執政官とヤーマの真摯さが村人の心を動かしたとみえ、関係はすっかり穏やかになったのだった。 「ありがとう……あのな、いつでも、マートルンに乗りに来いよ。勇士様なら永久パスでいいぞ」 「そんな、申し訳ないですよ」 それに――と、景は言葉をつなぐ。 「まずはマートルンを、ひとつなぎにしなくてはいけません。僕らはそのためにいるんです」 うん、と博希も力強くうなずいた。 「また昔みたいにさ、マートルン、流行ればいいよな!」 絶対絶対、俺たちがそうしてみせる! ――博希が言うとなんでもその通りになりそうだから不思議なものだが、ヤーマたちをそう励まして、博希たちはフーラモリナに別れを告げるのだった。 「それで、五月サンはなぜマリセルヴィネの砂をビンに入れたのですか?」 あっ、覚えてた、さすがカーくんだ――五月はそういう顔をした。 「そうだそうだ、なんで砂なんか持ってんだ。もしかしてアレか、いままでのヤツのも持ってんのか。コレクションか」 冷静に考えると非常に気色の悪いことを博希はズバンと言った。 「ううん、別に、コレクションじゃないよ。なんでだろ……なぜか、持っちゃったの」 五月自身にも、うまく説明はできないらしかった。だが、景はなんとなく――感覚として、五月が砂を持っている理由が解る気がした。 贖罪かもしれない。 いままでの総統たちの砂も持っているとしたら――それはオレンジファイの、リテアルフィ以外四人の砂を持っているということだ、マリセルヴィネも含めて――五月は五月なりに、この異世界で戦うということを受け止めているのだ、と、景は思った。来たばかりのころに相当揺れていた五月のことを思うと、彼の成長を感じずにはいられなかった。 博希は博希で、よく解らないなりに、ただ、二度と「捨てろ」とは言わなかった。野性のカンのようなものだったのだろうか、その判断が間違っていなかったことを、彼はのちに知ることになる。 「だけど、お前、それ内緒にしとけよ? もし持ってるなんてバレたら大変なことになるかもしれないぞ」 「だからヒロくんたちにも内緒にしてたんだけどな」 わざわざ箱に魔法までかけてもらって。五月はそう言った。 「よいことですよ。けれど、博希サンの言うとおり、これからはもっと戦いが厳しくなると思います。その時は、自分の身が一番ですからね。それだけは約束してくださいね」 「うん」 げんまん。五月は、景と博希と、それぞれ指を絡ませた。 ひとまず家へ帰ろうという博希の提案で、“ほころび”が開かれる。 「ちょっと今回は長かったしな、俺、自分ちの布団で寝てェや」 間違いなくそれは本音だろう。だが実際のところ、理由はそれだけではなかった。 「とにかくアドをシメねーと」 景もそれは考えていた。シメるのシメないのではないが、問いただすくらいのことはしても罰は当たるまい。それに――何をか、はともかくとして、五月の力を奪い、あんな消え方をした零一が、果たしてシラフで戻ってきているだろうか。そして自分たちと対面するだろうか。それも気になっていた。 「あ、ちょっと待ってください、ここに“ほころび”を開いても大丈夫ですか?」 「こないだレリーアちゃん避難させるときに開いたけど、結構学校と近かったぞ」 今更だがこの世界とあちらの世界の座標軸はいったいどうなっているんだ、と景は思う。思ったところにポンポン出られるとするなら、いつだって出口かつ入り口で大騒ぎすることはないはずなのだが、そういうわけでもないし…… 「まあ、まともに帰れるなら、それに越したことはありませんけどね」 不思議な納得をして、三人はアイルッシュへ戻った。 そういえば大騒ぎのままアイルッシュを離れたのである。すでに日はとっぷりと暮れていたから、博希と景は五月を家まで送り届け――もちろん玲花へのフォローも十分にしたうえで――、「また明日」と言い合って、それぞれの家へ戻るのだった。 長い長い、1日であった。 「ただいま、戻りました!」
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