Chapter:43 「ジョージってなあに?」

「離婚!? 離婚って、父ちゃんと母ちゃんがかあ!?」 「他に誰が離婚するのよっ。……さっきから、二人ともそればっかりしか言わないの!」  茜の焦りはもう本気を通り越して混乱状態に入っている。 「ね、お兄ちゃん、どうしよう。どうしたらいいの?」  なにせ結婚して二十年近く、博希と茜が覚えているだけで、少なくとも離婚の話など出たことがなかった。博希さえどうしたらいいのか解らない。 「……で、じっちゃんとばっちゃんはどこ行った!?」 「いるよ、家に」 「いるなら何で父ちゃんたちを止めねーんだよ!?」  茜はふるふると首を振る。 「我関せずってヤツ。これは二人の問題だから、って、みーんな聞こえないフリ」 「……あんのジジイ……」 「聞こえとるぞ」 「ギョッ!?」  後ろからふいに声がして、博希は飛び上がった。それは祖父の眞司だった。 「誰がジジイじゃ。――ワシらがいい大人のあいつらに、いちいち手を出してどうなる? よりを戻すなら戻すじゃろうし、別れるなら別れるじゃろう。それは豊と素子さんが考えることじゃ」 「そんな無責任な、……」  言いかけた博希の鼻先に、眞司の指が突きつけられる。 「無責任? ならば止めてみたらどうじゃ? だが今度は、間違いなく包丁十本ではすまんぞ」 「…………」  黙りこくる博希。人生の大いなる経験者にズバリと言われたせいだけではなく、彼の心中には、なんだか複雑な気持ちが渦巻いていた。 「さあて、夕飯にしようかのう……茜、民恵を手伝ってやってはくれんかの。豊と素子さんはきっと食うまいて」 「そうかなあ」 「じゃ博希、お前行って二人に聞いてこい」 「俺を殺す気かよっ!」 「そんなわけあるか」 「食いたかったら部屋から出てくるんじゃねぇのか。――俺は行かねーぞ」  博希はそのまま、自分の部屋に向かった。 「俺は食うからな!!」  そんな言葉を残して。  簡単な夕食をとってしまうと、博希は早めに床についた。微妙な時差ボケがあるせいだろう、すぐには眠れなかったが、普段考えないモノを考えるには、良い時間だった。 「ああ、眠れねェ」  色んなことがありすぎた。景に言わせると『綱引きの綱』な博希の神経も、さすがに参っていた。  ――――ファンフィーヌ。  自分の目の前でライフクリスタルを叩き割った、哀しき女性。そう、多分それを目の当たりにした時から――彼の心の中には、モヤモヤとしたものが浮かんで、くすぶっていた。  俺は『捨て』られたことがない。  だけど今――もし父ちゃんと母ちゃんが別れたら。  俺や茜はどっちかに『捨て』られるんだろうな。  そうならないと俺は――  ファンフィーヌの、あの、体のぶっちぎれるような辛さを……  解ってやることが、できないのか。  博希はその時、何を思ったか、布団からがばっと体を起こした。  もしも、  父ちゃんが母ちゃんを『捨て』たら!?  博希から言わせればそんなことになったらレドルアビデとファンフィーヌの関係そのままになってしまう。尊敬する父親と、ファンフィーヌを死に追いやったレドルアビデとを一緒にはしたくない。  それだけは――  それだけはやめてくれ。  だいたいどういう経緯で自分の父親と母親がケンカし、なおかつ離婚までいくなどということになったのか、細かいことを博希は知らない。  明日、そこんとこ、はっきりさせてやる。  博希はそこまで考えて、そのまま、目をつむった。  翌日は、終業式を明日に控えてか、そうたいした授業もなく、学生たちは家路につくことになった。  が、博希も五月も景も、教室に居残って深刻な顔をしていた。 「一触即発ですか……」 「イッショクソクハツどころじゃねェよもう。大爆発だよ」  博希はそう言って、椅子にもたれてパックのジュースを飲んだ。まさかこうまでコトが大きくなるなんて思わなかったぜ――つぶやいて、両手で顔をはふうと覆う。 「でも、どうするの。ヒロくんのパパとママ、離婚しちゃったら」 「――そんなことはねェと思いてェ……」  切実な言葉。だがそれも、消え入りそうなつぶやきである。 「だいたい、直接的な原因はなんなんです。いくらなんでも離婚まで考えるほどです、それ相応の理由ないしは原因があるはずですよ」 「帰ってから問い詰めてやろうと思ってる。納得いくかよ、こんな形で離婚なんかされて――――」  その時。教室のドアが、ガラリと開けられた。 「なんだお前ら、まだ残ってたのか?」 「アドこそ何やってんだ。昼下がりの情事か」 「たわけたことをぬかせ。俺は一応教師だぞ、見回りやってるに決まってるだろうが」  入ってきた人物――安土宮零一は、そう言って、ぱつーん、と、博希の頭をはたいた。景は一瞬で顔を真っ赤に染めて、黙りこくっている。五月は不可解な顔で、景を含めた三者をかわるがわる見ていた。 「なんの見回りです?」  なんとか落ち着いた景が、解っているくせにそう聞いた。 「お前らみたいな不良生徒を締め出さないと、いつまでたっても学校が閉められん」 「不良生徒? イタイケな生徒をぶん殴る不良教師がよく言うぜ」 「誰がイタイケだっ、早く帰れ帰れ。明日は遅刻するんじゃないぞっ」  三人はそのまま外へ追い出された。表には沙織のことを調べ続ける警官が何人かいた。幸い、マスコミだけは、消えていた。 「仕方ない。帰りますか?」 「そうだねえ。ヒロくんも、早く帰ったほうがいいよね?」 「……まあなあ……」  博希は夏日の空を見上げた。太陽の光が、彼の目にまぶしかった。 「ところでさあ」  さっきからなにか不可解そうな顔で、なおかつ考え深げだった五月が、突然に発言した。 「どうしました?」 「あのねえ、ジョージってなあに?」 「はい!?」 「さっきヒロくんの言ってた、『昼下がりのジョージ』って、なあに?」 「……博希サンっ」  景はまたしても赤くなってうつむいて、博希を責めるようにつぶやいた。言ったあなたが責任、とってくださいよ! ――そんなつぶやきが、博希には、聞こえた気がした。 「あの……なあ。五月。ジョージってのはな、」 「なあに」 「キザなアメリカ人だ」 「?」 「昼下がりになると一人っきりで窓のそばにコーヒー持って立って、訳の解らんセリフをキザぶってつぶやくアメリカ人だ。そいつの名がジョージ」 「ふうん」  ウソ八百とはまさにこのこと。  とにかく五月が納得したことで、二人はほうとため息をついて、帰途についた。  ――零一は、一人っきりで、窓のそばにコーヒーを持って立っていた。 「………………」  ずう、と、一口。 「あの三人――欲しい」  博希はその晩、両親の部屋を、かわりばんこに訪ねた。 「父ちゃん」 「離婚だぞ」 「早ェよ。――何がどうしてこうなったんだよ、説明してくれよ」 「……おう、じゃそこ、座れ」 「ああ」  ふすまを隔ててすぐ隣には、母親の素子がいる。父親の豊から話を聞いてしまってから、博希はすうとふすまを開けた。 「母ちゃん」 「離婚よ」 「早ェっつーの。説明しろよ、しなきゃ俺納得いかねぇぞ」 「じゃ、そこ、座んなさい」 「ああ」  湖の暗さに、炎の輝きが映った。 「楽しいねえ。……まだ来ないのかな、【伝説の勇士】は?」  いくつもの炎が、湖の上で、踊る。踊った炎がひとつになって――その大きさたるや、湖を覆い尽くしてしまうほどのものだった――湖の中に、その光を完全に沈めてしまう。 「さあ、ボクの言うことを聞いておくれよ――『ドゥライターズ』――」  唱えるや否や、湖が、光を放った。その光はオレンジ色の、そう、先程まで湖の上で踊っていた炎と同じ色だった。光が湖の水を包み込み、飲み込んでいく。 「この街の湖はこれでおしまい。そろそろ湖や狭い海じゃあきたなぁ……もっともっと――広い海に出てみようかな? そうしたら――【伝説の勇士】と、遊べるかもね……」  いたずらっぽい笑顔を浮かべる。そこまでつぶやいた時、 「そこで何をしている!?」 「!」  そう叫んだのは偶然、見回りに来ていた警官だった。 「う、動くな! ……何をしていた!?」 「……なに、を……?」  くすり。 「し、署まで来てもらう! 任意同行だっ」 「…………」  もちろんこの人物に何を言っても聞きはしない。彼にこの世界の常識は通用しない――ということを、この警官は当然ながら知らなかったので。 「君は、いくつだ。子供だろう!?」 「……子供。」  くすり。また、笑った。 「そうか。この世界では、ボクは『子供』なんだっけねえ……」 「何を訳の解らないことを言っている!?」  もはや訳の解らないのは警官の方である。警官は混乱の直中におかれたまま、威嚇のつもりで拳銃を構えて、ただ、叫んでいた。 「ボクを殺そうというのなら、甘いね。……ボクはまだ、『遊んで』いたいんだよね」 「…………!?」 「ボクと遭ったのが不幸だったんだ。せめて【伝説の勇士】なら――ね?」  あとはまた、笑い声に隠れて、聞こえない。右の手のひらに、淡いオレンジ色の光が、生まれた――。 「いーかっ!? そんな簡単に『離婚する』とか言うんじゃねェよっ、も少し、――あ――……俺はともかく、茜のコト、考えてやれよ!」  博希はそうまくし立てて素子の部屋を出た。 「……ったく、くっだらねえっ!」  こんなに悩みまくったのがバカみてェだ――博希はそう思ったが、なにせ初めてのことで、二人とも、頭に血が上ってしまっている。二人が話し合わないことには到底仲直りは無理そうだ。  博希は部屋に戻った。部屋にはなぜか、眞司がいた。 「何やってんだじっちゃん」 「……いや……のう」 「イヤもコヤもねぇよ。なんで俺の部屋にいんだよ」 「…………」 「自分の部屋があんだろ。ばっちゃんもいるんだろ」 「それがのう」 「だから何がのうなんだ」 「いやあ、……ははは」 「……まさか」  眞司はあからさまな表情でテレ笑いをした。 「じっちゃんまでばっちゃんとケンカしたのかあ!!??」 「ケンカとは人聞きが悪いの。口論じゃ」 「同じだよ! 原因はなんなんだ!?」 「ぬ」  眞司は黙った。 「モクヒかっ」 「モクヒくらい漢字でしゃべったらどうじゃ」 「じっちゃんはどうなんだっ」 「うるさいのぅ、お前に合わせただけじゃろう」 「ああ、もう、問題が違った方向に行ってるっ。原因聞いてんだよ俺はっ」 「……民恵が素子さんの方につくと言うてのう……」  博希は黙った。それから、あきれ果てた表情で、言った。 「で。じっちゃんはどうなんだ。父ちゃんにつくのか」 「……状況が状況じゃで……」 「なぁぁにが状況が状況だ! 昨夜まで二人の問題だとか言ってたじゃねえかっ。父ちゃんにしろじっちゃんにしろバカバカしい……、……さっさと部屋に戻れよじっちゃん!!」 「民恵が入れてくれんでのう」 「何すねてんだ! 俺の部屋は二人寝るほどスペースねぇぞ!!」 「茜の部屋は広かろう、茜にこっちに移ってもらって――」 「んなしちめんどくせェ、だったら茜の部屋に行きゃあいいだろっ!? なんでわざわざ俺の部屋に来るんだよ、部屋の狭さ知ってて!?」 「男同士、話が解ってくれるかと……」 「じゃあ父ちゃんの部屋に行けっつーハナシだろォ!!」  博希の部屋まで一触即発状態になってきたその時、部屋に茜が入ってきた。 「ねぇ、今日、お店は?」 「ア」 「どうすんだよじっちゃん、店は」 「決まっとるじゃろう、臨時休業じゃ」 「ネタがないから?」 「それもある」 「それもって何だよ」 「豊と素子さんがあんな状態で店なんかできるものか」 「……じっちゃんとばっちゃんもな」 「うっ」 「とにかく! 俺は今日、茜と寝るぞ! じっちゃんは俺の布団、勝手に使えよっ!!」  博希は枕だけ抱えると、ピシャアンッ! という音とともに、茜の部屋に消えた。 「……ワシに枕なしで寝ろというのか……」 「お兄ちゃん。まだ怒ってる?」 「当たり前だろ!」  久し振りに茜と枕を並べて天井を眺めながら、博希はむすっとしてそう答えた。茜も天井を見ながら、博希の様子をちらちらと横目でうかがっていた。 「結局、どうなの。お父さんとお母さん、何でケンカなんかしてるの?」 「何だよ、お前も知らなかったのか」 「気がついたらああなってたもの」  ワケ解んねぇ二人だよな――、博希はため息とともにそうつぶやくと、寝返りを打った。そうねえ。――茜もそうつぶやいて、博希に背を向けて転がる。自分たちがその訳の解らない夫婦からそれぞれ生まれてきたということを、二人とも忘れてはいけない。 「譲り合った結果のケンカだよ」 「譲り合った?」 「お互い、思いやり過ぎたんだ、変な意味でさ」 「??」 「バカバカしい話だよ」  それだけ言って、博希は、また天井を見つめながら、ぽつりぽつりと説明を始めた。  ピピラピピラキポンピラピ――――。 「んあ」  どうやら説明しながら、いつの間にか眠っていたらしい。それでも最後まで茜に話した記憶だけは残っている博希は、茜の目覚まし時計で目を覚ました。自分にとっては至極珍しいことである。 「……ガッコ、行くか……」  茜の姿はすでになかった。したたかな妹のことである、たぶん素子や民恵の代わりに朝食を作っているに違いない。博希は寝直すのをやめて、頭をポリポリとかくと、自分の部屋に戻って着替えることにした。  部屋に戻るとまだ眞司が寝ていた。 「……ったく……」  よっぽど蹴っ飛ばしてやろうかと思ったが、すんでのところでそれをやめると、博希はそっとカバンを持って部屋を出た。  台所では、やはり茜がフライパンをせわしなく動かしていた。 「おはよう」 「あ、おはよ、お兄ちゃん。パンだけどいい?」 「……しかたねぇな」  ホントは朝食にありつけるだけでありがたい。博希はテレビのスイッチを入れた。 『……今日未明、……警官、……発見され、……』 「……!?」  博希が少しだけシリアスにテレビの方に目をやったその時。 「お兄ちゃん、パン、バターにする、ジャムにするう?」  台所から、茜の緊張感のない声がした。 「ああ、バターにしてくれ、……そうじゃなくて! ちょっと静かにしてくんねぇか、またなんか変なコト起こったみてぇなんだ」 「さっきから言ってるよ、それ。警察の人がカラカラになっちゃったって」 「カラカラ??」 「聞けば解るよ」  博希はテレビの方に神経を集中させた。よく聞くと、今朝、涸れた湖の近くで、体中の水分を抜かれた警官が一人、発見されたのだそうだ。だがどうやら死にまでは至っていないらしい。なんとか一命は取り留めたが、話は聞けない状態だというふうに伝えられていた。 「変な事件が増えてるよねー、最近。海が涸れたのと関係あるのかなぁ」 「……あるさ……」  あるに決まってる。茜に聞こえないようにそうつぶやくと、博希はテレビを消した。  チーン。  パンが、焼けた。 「お前も遅れないように学校行けよ?」 「解ってる」   パンとウインナー、それからスクランブルエッグをもしゃもしゃと頬張りながら、二人はそんな会話を交わした。  今日はまだ始まったばかり。だが……博希にとって、今日という日が大パニックデーになることなど、今の彼が知るはずもない。 「いい天気だねぇ、今日は。ボクが遊ぶにふさわしいよ」

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