窓の中のWILL

Chapter:44 「すみません、間違えましたっ」

「ほう、今日は遅刻しなかったな、さすがに」  出席をとっていた零一は、そんな言葉を博希にかけた。しかし今の彼にはその言葉を笑って返す気力はまったくといっていいほどなかった。それは現在自分の身に降りかかっている不幸のためでもあったし、朝見たニュースが気になっていたためでもあった。浮き沈みのあまりにも激しかった今朝の博希の様子は、どうひいき目に見ても奇妙としか言いようがなかった。  朝、博希から今回のケンカの一部始終を聞いた景は、小さくため息をついて鉛筆を回した。 「通知表はちゃんと親に見せろよ。ヤギなんぞに食わすんじゃないぞ」  言いながら零一は、景から始まって五月までの男子全員、ついで女子にも通知表を配っていった。もうみんないいトシした高校生である、小学生のように見せ合いっこしてはしゃぐというようなことはなかったが、それでも、しばらくはざわつく。 「ほら静かにしろ! 休み中の特別講義にはちゃんと出るんだぞ。それじゃ今日は終わり。いい休みにしろよ」  零一はそしてホームルームを終わりにした。博希が顔を突っ伏したままだったが、寝ている訳ではないことを零一は知っていたので、ぶつのはやめた。――ただし、その解釈は、少々事実とは違っていた、ということをつけ加えておく。 「別に成績が悪かったから突っ伏している訳じゃあないんですよね……」  三三五五、生徒たちが散っていってしまってから、景は博希のそばに近寄りつつそう言った。 「ヒロくぅん。元気、出して?」  五月も博希の背中におおいかぶさるようにして慰めたが、だからといって、豊と素子がよりを戻せるというわけではない。そのことは二人ともよく解っているが、今はこうするより他にないのである。 「――帰ろうぜ」  いつも元気でいつもノー天気で負けん気の強い博希がへたれている。こんな博希サン、見たこと、ありませんよ――景は五月にしか聞こえないくらいの声で、そう、つぶやいた。  よっぽど、悲しいんだね、ヒロくんのパパとママがケンカしてるのが……――五月もそうつぶやいて、二人はほうとため息をついた。  朝、彼から聞いた、ケンカの理由。 『まずさ。魚が捕れなくなって、父ちゃん、相当ヘコんだらしいんだ』 『そりゃあヘコみますよね、お店やっていけませんしね』 『だけど母ちゃんが元気つけようと思って、励ました』 『うんうん』 『なのにどうしてか父ちゃんはヘコみっ放し。――その理由だけは父ちゃんから聞けなかったけど――それで、江戸っ子ちょっと入った母ちゃんはプチンとキレた』 『早いですねぇ……』 『早ェだろ。……母ちゃんは父ちゃんにくってかかった。俺や茜のことまで持ち出して、いったいそれでどうやって家族食わしていく気だって話にまでなったらしい』  景はそんな今朝の話を思い起こしながら、少なからず、うらやましく思っていた。うちはケンカができるほど対等ではないですからね……そんなことを考えていた。 『で、父ちゃんもそこまで言われて黙っちゃいねぇよ。食わしていくに決まってるだろ、おまえ俺を見くびってんのか、って怒鳴った。そこからはもう二人ともタガの外れたオケだよ、バラバラ』  うまいことを言いますね、景は確かその時そんな風につぶやいた。五月は小石をけって、言った。 『でも、仲直りしようと思ったらできるんじゃないの?』 『それがなあ……売り言葉に買い言葉の挙げ句、父ちゃんなぜかうちで飼ってる金魚……ほらあの、なんつったっけ……』 『ランチュウでしたっけか?』 『あ、そうそう、それだ。――それ一匹、さばいちまったらしくて』 『ランチュウをさばいた!? 器用な』 『お刺身にしちゃったの?』 『うん、ツマつきで刺身にしちまったらしいんだけど、それで、父ちゃん、ほら俺の腕ならどうやっても食ってけるとかとんでもないことぬかしたらしい』 『ランチュウさばけても、せいぜいビックリ人間大集合かなにかに出られるくらいではないですか』 『母ちゃんも同じこと言って、もう取り返しのつかないモメっぷり』  肩から力のぬけそうなケンカの話は、博希のそんな言葉で終わった。帰り道も博希はブルーで、そろそろ父ちゃんと母ちゃんのどっちについてくか考えねェとな――などという洒落にならないセリフまで飛び出すほどであった。 「まだそんなこと考えるには早すぎます。明日はお休み、離婚届けを今日書いていなければ、少なくともあと一日の猶予がありますよ。その間に、なんとかして二人のよりを戻して差し上げるんです、博希サンがね」 「……ああ……」 「あっついなぁ。ボクがもっともっと、アツくしてあげようかなっ」  手の中で、炎が揺らめいた。 「……なあ」 「なんです。――たぶん僕も今、同じことを言おうと思ってたと思いますけれど」 「なら話は早ェやな。……こんな遠かったっけ、俺ン家……」 「アタマがぼーっとするう。すごく暑いよ」  道の向こうが揺らいでよく見えない。博希と五月はまるで犬のようにべろーんと舌を出してはあはあ言っている。景は辛うじてそれを堪えているだけで、彼も今、暑くてたまらないのである。 「いったい……気温は……どのくらいあるんでしょうね……」 「ヤベ、くらくらするぜ……」 「お水……お水、ほし……」  肌の白い五月がふいにフラッ、と景にもたれてきた。 「うわっ、五月サンッ。大丈夫ですか!?」 「カーく……ん。おみ…………ず…………」  顔は真っ赤である。五月は景の腕の中にドサリと倒れ込み、そのまま気を失った。 「!」 「五月っ!?」 「博希サン、どこか、涼しいところへ――これは熱中症です、それから、」  カバンから財布を出して、博希に渡す。 「角の薬局でパンチアイスを大量に買ってきてください! 遠慮はいりません、あるだけ買ってきてください!! 急いで!」 「わ、解った」  博希は景の財布をひっつかむと、駆け出していった。景はすぐ近くの公園の屋根つき休憩所を見つけると、三人分のカバンを足枕にして五月を寝かせた。首のホックをパチンと外して、服をゆるめてやる。 「五月サン。五月サン、解りますか?」  ごく軽く、ペチペチと頬を叩く。本当に意識がなくなったら大変である。一応目だけは覚まさせなければならない。 「……ん……ん」  真っ赤な顔のまま、五月はむずかった。はあ、と、苦しそうな息がもれる。 「五月サン」 「……カーくん……ぼく……」 「暑さで気を失って倒れたんですよ、大丈夫ですか?」 「ん」 「よかった、じゃあ体から力を抜いて、ゆっくりなさい。水を汲んできますからね」  景はそう言って水飲み場へかけた。カバンに入っていたタオルを蛇口に当てると、勢いよくひねる。  だが。 「……え!?」  水は出てこなかった。まさか。 「博希サンッ、……」  叫ぶが、博希の姿はまだ見えない。景は五月のもとに戻ると、パタパタと風を送ってやりながら自分もシャツのボタンを外し、体の中に風を通した。  汗だくとはまさにこのこと。髪の先から、ポタリと汗が落ちていく。  考えがまとまらないのは暑さのせいですね……あまり風もなく、陽炎の浮かぶ公園の中、いっときの涼をとりつつ、景は博希の帰りを待った。  ――しばらくして、博希が大袋を抱えて帰ってきた。 「うおーい」 「博希サン! 早く早く、パンチアイス出してください!」 「お前水枕くらい作ってやれよ」 「それが、水が出なくって……もしかしたら涸れているのかも――それより早く破いてください」 「わーってらっ」  パンチアイスとは――景が勝手にそう呼んでいるだけだけれども――袋の中に入っている冷却剤を叩き破れば、瞬間的に冷やっこくなるという優れものである。博希に冷却剤を破らせると、景は五月の頭、手、足に、パンチアイスをあてがった。 「この暑さです、すぐにぬるくなってしまうでしょうが、ないよりマシですね。……博希サン、もう一度、頼まれていただけますか」 「ああ」 「僕の財布からで構いません、スポーツドリンクと水をそれぞれ十本ずつほど、買ってきてください」 「水? ……」 「日本アルプスの美味しい雪解け水でもサバンナのオアシス水でもなんでもいいですから! 五月サンの体を冷やすためです、そうしないと、ヘタをすれば命に関わるんです!」 「オッケー、いってくるぜ!」 「ついでにパンチアイスももっとあればお願いします! 足りなかったら財布の中のカードでも使ってください!!」 「解った~~!」  それだけ買える金額がフツーに財布の中に入っているのもすごいが、その持ち主のこの素早いまでの対応も大したものである。  ほてり続けている五月の体にパンチアイスをかわるがわるあてがいながら、景はさんさんと照り続ける空を見上げた。  異常だ。何かが起こっている……  瞬間。景の手の甲に、鋭い痛みが走った。 「づあっ……」  何が起こったかは解った。が、暑さのせいか、感じたのはその熱さよりも痛みのほうが先で、しばらくは動けなかった。 「エ……ンブレム……!」  慌てて、五月の手の甲も見る。 「カーくん。エンブレム。……」  すっ、と、景の目の前に手の甲を出す五月。だが、その動きははてしなく弱々しい。 「解ってます。解ってますが、――」  景は五月の手を握った。今、五月を戦わせる訳にはいかない。自分たちでさえ頭がクラクラしているのに、実際倒れてしまった五月を鎧装着させ、なおかつ戦わせるというのはあまりにも酷というものである。 「買ってきたぜっ!」  博希は大袋を抱えて戻ってきた。しかし、どうも自分が言った量に足りない、と、景は思った。彼の心中を読みすかしたかのように、博希が歩いてきながら言う。 「断水してるらしい。水のまとめ買いするなって言われてさ、他にも水買いに来てる人いたから、これだけし買えなかったんだ」 「そうですか……」  それでも袋の中からは、スポーツドリンクのペットボトルが五本と、水のペットボトルが四本飛び出した。 「ありがとうございます、ところで、」 「ああ。出たぜ、ということは」 「いますね。この近くに!」 「じゃあ、この暑さもヤツの仕業か?」 「可能性はあります。ただまだあちらさんの『魔法』が何か解りませんから、注意した方がいいですよね」 「五月も倒れたままだしなぁ。どうするか……あれ?」  博希はその時、道の向こうを歩く、見慣れたセーラー服に気がついた。 「茜!」 「お兄ちゃん!?」  茜は呼ばれて、道路をまたいで公園に入ってきた。 「どうしたの。こんな暑い中……みんなバタバタ倒れてるよ?」 「やっぱりか?」 「脱水症状とか日射病とか、いろいろね。……あらっ、五月兄ちゃんも?」 「ああ。それで頼みがあるんだが、」 「なあに」 「五月を看ててくれないか。……俺たちはやらなきゃいけないことがあるんだ。五月も解ってるだろうから、頼む」 「うん……それは別にいいけど、どこに行くの」 「……、……たぶん……街の方……かな」 「かな? はっきり解んないわけ?」 「いや、街だ。早めに戻るつもりだから、頼むぜ。お前も倒れないようにな」  茜は思いっきり半信半疑なまま、こくん、とうなずいた。博希はそれだけ見届けると、五月に言った。 「聞いたな? お前は休んでろ。そのままだったらきっと、体がもたねぇからな」 「僕たちがなんとかしますからね。待っててくださいね」  五月は無言で首を縦に振った。それもやはり弱々しく、一回だけ。 「行きましょうか」 「ああ」  二人はこの暑い中、ダッシュで公園を出て行った。 「……どぉこ行く気なのかしらねぇ」  茜はその背中を見ながらつぶやいた。そして彼女は、自分の信頼すべき兄から、一番肝心なことを聞いていないのを思い出した。そこまで考えつかないほど、茜は要領が悪いわけでも頭が悪いわけでもなかったが、とにかく、五月を看ている中で何をしてもいい――例えば救急車を呼ぶとか――という許可を得ておきたかったのである。茜は急いで、二人のあとを追った。 「お兄ちゃんっ」  で、博希たちは、茜が近づいていることを当然ながら知るはずもなく。 「……あづい……」 「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう、……鎧装着を……」 「だけど……えーっと、リテアルフィだっけか……どこにいんだよ?」 「スイフルセントの時のことを考えれば、たぶん高みの見物でもしながらこの状況を楽しんでいると思うんですが……」 「じゃあ、昇ってみなきゃ解んねぇな、ビルにさ」 「そうですね……ではやはり、鎧装着を」 「ああ。――レジェンドプロテクター・チェンジ!」 「勇猛邁進・鎧冑変化!」  ――瞬間、二人は、この場所で鎧装着したことを心から悔いた。 「お兄ちゃん、ここ? あのね、」  恐らく声がしたからここにきたのだろう。まさに鎧装着の直後、茜が二人のいる路地に飛び込んできたのである。 「!」 「!?」 「あ…………」  三人の時間は、一瞬、止まった。思わず振り向いたのも失敗だった、と、博希も景も後に語っている。  飛び込んできた人間が茜である、と、二人が認識するのに、時間はかからなかった。同時に、博希も景も、頭の中は『しまったぁぁ!』の大行進となった。 「あ……れ? すみません、間違えましたっ」  茜が先にそこから立ち去っていってしまった。博希も景も、ただ、呆然として、セーラー服がひるがえるのを見守るだけだった。 「…………」 「…………」 「今のは……」 「茜サン、でしたよね……」 「……バレたかな?」 「茜サンは賢いですからねえ……今のうちに今晩の言い訳を考えていた方がいいかもしれませんよ」 「おっそろしいコト言ってくれる」 「ウソは言っていないと思いますが。……それより急ぎましょう、またテレビ局が駆けつける前にね? ……皆さん倒れていてくだされば、それに越したことはないのですけれど」  笑顔で恐ろしいことを淡々と言うなあ、博希はそう思ったが、厄介ごとがまた一つ増えたことに、今彼の意識は傾いていた。 「――行くか」 「ええ」  ともかくもリテアルフィをなんとかすれば、この状況も少しはよくなるはずなのである。父親と母親は仲直りするだろうし五月の熱中症は治るだろうし。……ただ、茜に言い訳するのが大変なだけである。二人は地を蹴った。  博希以上に落ち着かないのは茜の方である。  どういうこと、アレなに、お兄ちゃんじゃなかったの。お兄ちゃんだよね、  だけど一体ナニ着てたの。なんだか――なんだかまるで戦いにでも行くような―― 「あっ」  そこまで考えて茜は、五月のことを思い出した。そうだ。自分がここで悶々としているより、動かなくては。ともかく救急車を呼ぼう。救急車を呼んだっていくらか取られるわけじゃなし、なにしろ病人がいるのだから。  茜は五月のもとに戻って、脈を取ったり病状の確認をしたりした。救急隊員に伝えるためである。――本当に賢くできている妹である、兄貴とは大違いというべきか――。  だが、その回し過ぎた気のせいで、博希がもっと窮地に立たされることとなることを、茜はもとより誰も、知るはずがなく。 「……? なに、これ」  茜は五月の手を取ってつぶやいた。手の甲に何か浮き出ている。もちろんそれはエンブレムであったのだが、茜がそのことを知る由もない。いくらか落ち着いてきた五月は、ただ静かに眠っていた。 「……ううん」  解らないなぁ。――そんなつぶやきだけもらして、茜は、電話ボックスに走った。 「やっと来たんだねぇ。待ったよ……【伝説の勇士】」  ふうわりとした笑みをもらして、少年はくるりと回った。 「お前がリテアルフィか!?」 「僕らとそう変わらない――まあどちらかというと僕らよりも年下――……その歳で総統ですか!」 「さぁすが。ボクのこと、知っててくれてるんだねえ。――そ、ボクはオレンジファイの総統、リテアルフィ。さ、遊ぼう……?」  そのイヤな微笑に、博希は眉をしかめた。 「遊ぶ。……お前らそれしか言うことねぇのか」 「これだけ待たせておいて、そんなつまらないこと言うの、よそうよ?」 「この……暑さは、あなたの仕業で……?」 「そ。ボクの、『魔法』だよ」  にやあ、という笑いが、顔中に広がる。 「ゴタクはいいからさ、遊ぼうよ!」  その言葉が終わるか終わらないかの、微妙な瞬間――リテアルフィの手のひらが、光った。オレンジ色の、鮮やかな光。 「……!?」 「なんです、あれは……!?」  リテアルフィは、また、にやあと笑った。 「どれだけ楽しませてくれるのかなァ……? ――いくよっ!」 「う……あっ!」

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