「……っぐ」 きっとこれはタチの悪い錯覚だと、二人――博希と景――は、同時にそう思った。「遊ぼう」と語りかけた少年――リテアルフィの手のひらから放たれたものは―― 「炎……の……鎖……!?」 たぶん位置関係がそうさせたのだろう、細く、しかし激烈に輝くオレンジ色の鎖は、博希の首をとらえた。 「博希サンっ!! ――以一簣障江河――武器招来!」 ビシッ! 景は輝く矢の先を突きつけるようにしてリテアルフィを狙った。 「へえ?」 キレイな矢だね? ――リテアルフィは景の方をちらと見て、また、にやあと笑った。当てられるものなら当ててごらん? ――その、にやあとした笑いの中に、景はそんな言葉があるのを読んでとった。 リテアルフィは視線を博希に戻した。 きり。 炎の鎖が、じり、と、博希の首を焼く。もう限界だ。景は弓を引いた。 ――が、瞬間、ふいに嫌な予感が、心の中をかすめた。 この矢は『当たる』のか? 否、『当たら』ない……! なぜそう思ってしまったのかは解らない。ともすると暑さのせいでぼんやりした頭が一瞬だけ見せた迷いなのかもしれない。だが、この天才少年は、この矢を目標に放った後どうなるかということを計算してしまった。 ――どうする。放つか。――当たらないと解っていて? 「無駄だよ」 動けないでいる景に、ふいに、冷たい声がかかった。だが、表情はやはり、笑っていた。 「ボクには当たらない」 「…………!?」 「てめ、このやろ、……」 もがく博希に、リテアルフィは鋭い瞳を一瞬だけぶつけて、言った。 「二人一緒じゃ楽しめないから、ね?」 鎖をつかむ手を緩めることなく、左手を明るく光らせる。そして、彼はまた、笑った。 「キミも――昨日の彼と、同じにしてあげるよ――」 「なにっ!?」 博希はそう言われた瞬間、『カラカラ警官』という、それだけではどうも説明の足りなさそうな言葉が頭に浮かんだ。いけない。俺までカラカラになったら――博希はとっさに、両腕でブロックの姿勢をとった。その行動の後、博希の耳に飛び込んできたのは、くすり、というリテアルフィの笑い声と、 「――――!」 という、景の、声にならない叫びだった。そして、つけ加えて言うなら、博希本人には、何の衝撃も、与えられなかった。 まさか、と思って、博希はブロックにしていた両手を下ろした。が、彼は次の瞬間、息を呑むことになる。 「景ぇっ!!」 叫ぶが、炎の鎖が首を絞めつけ、「ぐぼ」という息がもれる。目の前の景は――たぶん、自分でも、リテアルフィの攻撃がまさかおのれに及ぶことなど想像もついていなかったはずの彼は――オレンジ色の光球の中、もがきもだえながら、苦しそうに呼吸をしていた。 「景、に、なにを、した!!」 ぜえはあ。自分も苦しい息の中で、博希はリテアルフィをにらみつけた。 「これがボクの『魔法』さ。炎を操って、水を奪う――そう、彼もね?」 「何だとっ、」 「…………、……!」 景の顔から汗が消えた、と、博希は思った。まるで酸素不足の金魚のように、乾き始めた口をぱくりぱくりと開閉している。ただその行動さえ、もはや、弱々しい。 「あはははははははは」 炎の鎖を握る手に力を込めながら、リテアルフィは本当に楽しそうに、笑った。そして、また、一瞬だけ冷ややかな視線を光球の中の景に向けると、パチン、と、指をはじいた。と同時に、光球がかき消え、景だけがそこに残る。 「ひか……!」 景は無言で、ドサリと倒れ、動かない。 「殺すな、生かしておけ。――レドルアビデ様のご命令だからねえ? でも――このまま、ほっとけば、この人、死ぬかもね?」 にやあ。博希はその笑いを見た瞬間、何かが、心の中で破裂した。 「てめェ――――!!」 叫ぶ。 地上では救急車のサイレンが、狂ったようにいくつも鳴り響いていた。 「やりすぎている、ようだな」 しゅ、ネクタイを緩める。クーラーが効いているというのに、この暑さはたいしたものだ――安土宮零一は誰もいない職員室の中、そうつぶやいた。他の教師はみな、この異常な暑さに辟易して帰ってしまったのである。だが彼だけは――果てしもなく涼やかな顔で、窓の外に目をやった。 「さすがリテアルフィ、といったところか。――だが解っているだろうな。あの三人はまだ殺すべきではない……」 学校を出た彼は、そのまま、やはり涼やかな顔で博希たちの今いるところへと歩きだした。 一瞬だけ、その顔に、にやあという笑みが、浮かんだ。 「――楽しいね。ボクの鎖を破った人なんて、初めてだよ」 リテアルフィはまたにやあと笑った。博希は先程叫んだ瞬間、自分の首にまとわりついていた鎖を、吹き飛ばしたのである。それは自分でも驚くべき事実であったが、少しだけ、ハッタリをかましてみる。 「……伝説の勇士に、不可能なんてねェんだよ……!」 「言うねえ。静かにしてなよ?」 「てめェこそ黙りやがれっ! スタンバイ・マイウェポン!!」 ぶあん、博希の手の中に剣が生まれる。博希はそのまま、間髪入れずに、リテアルフィをぶった斬りにかかった。 「くらえっ!」 「そうは――いかないよ」 にやあと笑いながら、しかし、瞳は冷たかった。リテアルフィは右手を広げると、オレンジ色の炎を生んだ。 「片手だけで十分……」 言うなり、右手を博希の振り下ろす剣に向ける。 「その剣を、止めるのは、ね」 「な、……」 「キミに、ボクの炎は斬れないよ……」 瞬間! ――その『時』は、とても、早かった。リテアルフィの手から生まれた炎が、どんっ、と大きくなり、まるでエアバッグのように、博希の剣をはじいた。 「うあっ!?」 剣がはじかれると結果もおのずと見えるというものである。博希の体は反動で吹っ飛び、コンクリートにたたきつけられた。あお向けになった腹の上に、リテアルフィがとん、と乗って、両腕を押さえつける。 「……ぐう、……」 「これほど戦い応えのある人と戦えるなんて幸せだねえ。キミの『水』も、ボクが奪ってあげる」 ダメだ。 動けねぇ、なんて力だ……! 「……のヤロー……放せっ!」 「いやだね」 即答した後ににやあと笑うと、リテアルフィはくん、と喉を鳴らした。その後、舌をだらあんと出すと、そこから、鮮やかなオレンジ色の光球を吐き出した! 博希が絶叫する。 「うげええぇぇぇっ!!??」 その光球は微妙に、ぬるりとしていた。――そう、感じるのと同時に、博希は自分の手や足が光球の中にずぶりと埋まってゆくのを認識した。 「こ……れは……!?」 だが、もがけばもがくほど、手足は光球の中に呑みこまれていく。リテアルフィはいつの間にか博希から離れ、楽しそうにその様を観察していた。 「てめ、リテアル……フィ……」 「ほうら、暴れると早く埋まっちゃうよ……?」 「暴れねぇでも埋まるのは一緒だろがっ!」 「ご名答」 あっははは、リテアルフィは底の抜けるほど笑った。どうやら――いまさら言うことでもないだろうが、この少年総統は、『人を窮地に陥れる』ことが本当に楽しくて仕方ないらしかった。 やべェ、埋ま……る……! ずぶりずぶりと埋もれたところが、異様な熱気に包まれて、乾いていくような感覚。博希はすでにほぼ全身でそれを感じていた。 「ボクはどうも『限度を知らない』からね。キミのこと――殺しちゃうかもね……?」 「!」 苦しそうな表情でそれだけ聞き取った博希は、苦痛にゆがめた顔をもっとゆがめた。たぶんリテアルフィにとってはその顔を見ることこそが最高に愉快なのだろうが。 「さあ、全身入ったよ……苦しんでごらん?」 その言葉はもう、博希には届いていない。彼は光球の中、もがくだけである。 「楽しいねぇ……!」 リテアルフィはそこまで言った時、自分の脳内に、ピシリと響く何かを感じ取った。 「……?」 ばっ、と、振り返る。だがリテアルフィの目に映るのは、倒れた景だけ。 ピシリ。まただ。 「誰、だい?」 リテアルフィはその正体を捜して、自分が今いる屋上から、視点を下へずらした。 ≪解っているはずだ。殺、す、な≫ ぱちんっ、絶対に聞こえないはずの指のはじき音までが、今、リテアルフィには聞こえた。そのすぐ後、博希の光球は、はじけた。景と同じく、ドタリと倒れ込むが、博希も起き上がってこない。 「――レドルアビデ様? まさか……」 誰も人の通らなくなった大通りに、一つだけ、ぽつんとたたずむ人影を、リテアルフィは認めた。いささかその人影とは高さの関係からの距離があったが、リテアルフィには解った。その人物は、自分をまっすぐに見つめている。しかし―― アイルッシュ人? 今リテアルフィを見つめている人物は、レドルアビデとはその服も、髪の長さも、何よりその色もまったく異なっていた。そしてどう見ても――彼にはその人物がアイルッシュ人だとしか思えなかった。 「アイルッシュ人が……なぜ、レドルアビデ様と同じ『もの』を!?」 ≪そんなことはどうでもよいこと。それ以上手を出せば、クリスタルを砕かれるのは『お前』だ≫ 「こいつらに、そんな力があるとでも――」 ≪見てみろ≫ 「……え?」 よろり。 リテアルフィは自分の背後で動く影を見て息を呑んだ。動けないはず、現に、もう一人――それは景のことであった――はまだ、起き上がってこないのに。 博希は、体を小刻みに震わせながら、立ち上がろうとしていた。 「そんなバカな!?」 ≪解ったか? “ほころび”を開いたほうが、利口だ≫ リテアルフィはきゅ、と、拳を握った。そして、やや自虐的ににやあと笑うと、言った。 「……勝負は預けたよ? ――でもキミを倒すのは、ボクだ。――ホールディア!」 その『声』とともに、黒い空間が生まれた。博希はそれを見て取ると、思った。 こいつをこのままコスポルーダには帰さねェ。 「じゃあ、ね」 「行かせるかァ――――!!」 博希は渾身の力を込めてそう叫ぶと、リテアルフィの服の、長く伸びた裾をつかんだ。自分の体が熱いコンクリートの上で引きずられるが、そんなことを気にしている場合ではない。 「なっ……!?」 すでにその時、リテアルフィの半身は“ほころび”の中に入ってしまっていたので、彼は、必死になって博希を引きはがそうとしたが、博希の精神力のほうが、この場合は強かったらしい。 「放しなよ……!」 「放さねェェェ!!」 二人はくんずほぐれつ、むちゃくちゃになりながら、“ほころび”の中に消えていった。 カラン…… 博希の剣のみが“ほころび”から落ち、コンクリートを滑って、倒れていた景の頭にこつん、と当たる。 たぶんそれが功を奏したのだろう、景は少し、動いた。 「……っ」 どうやら気を失っていたらしい。口の中が乾いて、気持ちが悪い。水が欲しい……よく見ると身体のあちこちも、まるで干物のように乾いている。景はしばらく、横になったまま、空を見ていた。 ……少し涼しくなりましたか……? 風がふいと自分の頬をなでた。ということはリテアルフィが消えたのか。そこまで考えて、景は自分と一緒に戦っていたはずのもう一人の影が見当たらないことに気がついた。 「――博希サン?」 見回すと、そばには彼の剣。景はがばあっ、と起き上がって、剣を見た。剣だけ残してどこに消えたというのだ。 「まさか……コスポルーダへ? ……」 目を覚ます前に、わずかに感じた“ほころび”の感覚が、ふうとよみがえる。 「リテアルフィを追ったんですかもしかして……? 一人で? 無茶だ!」 その時、剣が静かに消えた。 「!」 鎧装着が解けたのか、景はそう思った。そして自分もあとを追うことを考えたが、今の体力では絶対に動くことさえままならないはずである。 仮にもし本当に博希がリテアルフィを追ってコスポルーダへ行っていたとしても、最悪一時間もすれば帰ってくるだろう。景はそのまま座っていた。動くだけの体力は残っていなかった。 雲がわいて、ぱらぱらと雨が降り出す。 これで少しでも水がよみがえってくれればいいんですがね…… 景はつぶやき、屋上のサクにもたれて目を閉じた。 どさっ。 博希は着地に失敗した。というのもその時すでに、博希は回復しきれなかったダメージのために、気を失っていたのである。まだ、鎧装着は解けていない。 「……ふう」 先にコスポルーダの地に足をつけたリテアルフィは、草の上にどっと倒れ込んだ博希を見やった。 「どう、しようかな?」 たいしたもんだよ、ここまで追いかけてくるなんて。――くしゃっとなった裾をピン、と伸ばしながら、リテアルフィはつぶやき、空を見た。 ホワイトキャッスルはすぐ近くにある。 ――連れて行くか。 それも面白いかもしれないねえ、 レドルアビデ様がこの勇士をどういうふうに利用するか―― 今度は、くすり、と、笑う。が、その時、りんと響く声が、頭上で響いた。 「待ちなさい」 「?」 「その少年は――私が、預かる」 木の上に人影。リテアルフィは少しだけ後ずさって、右手を光らせた。 「誰だい?」 「……リオール。紅の騎士、リオール」 「リオール、ね……なぜ、彼を?」 「文句があるのならレドルアビデ様に申し出て。ただ――これは命令ではないけれど」 言ったのち、リオールのほうから微妙な笑いがもれた。形のよい唇が、少し、もちあがった。 「へえ。レドルアビデ様の『お知り合い』なわけだ……じゃあ、仕方ないねえ。――いくらで買い取る?」 「……いくら、だって?」 「タダでモノを譲るのはキライな性分なんだよね」 「…………、……レドルアビデ様にツケておいて」 「オッケー、交渉成立だ。ただし……もしキミがレドルアビデ様の『知り合い』でないと解ったら……ボクはキミを、殺すよ?」 「構わない。私はウソは言っていない」 「そう。じゃあね?」 リテアルフィは消えた。リオールは完全に彼がいなくなったのを確認すると――倒れている博希のエンブレムを、布で、そっと、隠した。 博希の鎧が、その形を失うのを見届けたのち、リオールは、気を失ったままの博希とともに、どこかへ、消えた。 景は雨にうたれながら鎧装着を解いた。 「――気持ちが……いい……」 細胞の一つ一つ、神経の一本一本がよみがえってゆくのを、感じる。 「五月サンは……どうしたでしょうね……」 どちらかというと茜のしっかりした性格は博希のそれよりも信用すべきものがある。 茜サンのことです、きっと、間違ったことはしていないでしょう…… 今は自分が生き返るほうが先だと、景は思っていた。体力を取り戻さなくては、何もできない。 たぶん急激な温度変化によるものだろう。 雨はまだ降り続いていた。 「…………ん…………」 「気がついたか」 「……お前……」
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