窓の中のWILL

Chapter:87 「そっちのほうが余程楽しそう」

 この屋敷には、昼と夜の境界がない。  すでに真夜中と思われる時間でも、ここだけはきらびやかな光に包まれ、かえって昼間よりも明るいくらいであった。 「――――相変わらず、電灯要らずのお屋敷でございますな」  皮肉とともに、首周りの長いマフラーがゆれた。音も立てず着地した異形の足が、大理石とおぼしき磨かれた床に映る。 「……デストダ……とかいう者……ね? 何用」  人物の一挙一動にあわせて、じゃら、重い音がする。そのたびに光が光を受け止め、反射し、デストダの大きな瞳にはいささか刺激的に滑り込んだ。いかにも迷惑そうに若干顔をしかめると、それでも彼はうやうやしく頭を垂れ、事務的に言葉をつむぐ。 「マリセルヴィネ様のお越しにございます」 「マリセルヴィネ様が!」  立ち上がるのも無理そうに身体をくねらせる。  そんなにも窮屈なら、その余分にも程のある不必要なきらめきとかがやきを自分の身体から引き剥がせばいいだろうに。デストダはひそやかに思ったが、口には出さない。  ――どうも最近思考が反体制的だ。その理由を考える間もなくいろいろなことが起こりすぎるから、気にはしていないけれど。  そうしてやはりまた、考える間は与えられない。かつん、かつんと、小気味のよい音が響き渡る。 「久しぶりね。……また、コレクションを増やした?」 「は――日に日に、掘り出される鉱物は少なくなっておりますが――貴石の腕がよいのでしょう」 「素晴らしいこと。きっとまだ増やせてよ? もっともっと村人をこき使ってやるのね」  そうしたら、またどんどん献上なさいね――にいという微笑が、会話相手のみならず、デストダさえも戦慄させる。 「仰せの、ままに」  その見た目敬虔な態度に、なにかの色がにじみ浮かぶのを、デストダは一瞬逃さない。性分、とでもいうべきか。そんなつもりはなくとも……  【読んだ】。  会話するふたりを一歩ひいて見つめるデストダは、知らず、この先のことを考える。マリセルヴィネは兄のクラヴィーリに勝るとも劣らぬ残虐総統。先の村でも執政官を【断罪】したと聞いている。  参った。血なまぐさいのはあまり好きでないのだ。  願わくばこのままレドルアビデのもとに帰りたいものだが、当の主人から下された命令では従うほかはない。  やがて対話は終わったらしく、満足そうな表情で屋敷をあとにするマリセルヴィネに、デストダはあわててついてゆく。  今は、自分がいかに消されることなく生きながらえるか――それが、重要なのだ。  どうして自分がこんなにも生に固執するかは、解らないけれど。  皮肉めいた笑いがこぼれて、デストダはマリセルヴィネに気取られぬよう顔を伏せるのだった。 「――なるほどなア……」 「奥様が……執政官様でいらっしゃいましたか……」  あらかたのことを男性から聞き終えた博希と景は、うつむいたまま、大きなため息をついた。予想のまったくできなかったことではない、が。あらためて目の当たりにすると、その現実は、重い。 「おっちゃんはさ、それでいいのか」  博希が神妙な顔をして聞くので、問われた男性と、それから景はどきりと――する。 「……いいなんてはずが、ねえ。レリーアだってこのままじゃあ、ずうっと村の奴らに憎まれたままだろうし、何よりも、このまま育って欲しかあねえんだよ……本当は……力づくでも、ぶん殴ってでも、目ェ、醒まさせてやりてエが、そうはいかねえ……」  男性の語るその様子があまりにもとつとつと、そして歯切れの悪い感じだったから、ふたりには漠然と理由のようなものが解った気がした。が、一応、聞いてみる。 「……なぜです?」 「総統がいるんだ、あいつのバックには」  やっぱりなと博希が景を見る。そんなことだろうと思いましたよと景もうなずいた。  何とかならないか勇士様と男性は言わない。今までの村人たちならそうも言っていただろうが、どうにも、彼は頑なに博希たちの協力を拒んでいるような様子さえあった。それは自分の問題は自分でなんとか――と考えてのことかもしれなかった。だが博希たちにしてみると、これは自分たちの仕事でもある。 「でもですね。なんとかしなければ、レリーアちゃんはまた襲われますでしょう?」  何気なく――景の発した言葉に、男性は腕を組んでうんとうなり、そうして、深刻な顔でふたりに向いた。 「よかったら、ここにいてくれないか。俺は昼間仕事に出るし、その間レリーアのことがどうにも心配で……」  勇士様ならば、危惧するような事態にはならないと思う。ましてやレリーアに変な手など出さないだろう。男性はそれだけを一気に言って、もう一度、頭を下げた。  ふたりは顔を見合わせる。考えてみればそれは確かにありがたい申し出ではある。宿を探していたのは事実だし、通りすがりとはいえレリーアのことが気になるのも事実。手なんか出すつもりは毛頭ないし、護れるものなら護りたい。これは等しく、ふたりの思いだった。 「あぁ、そりゃ俺たちから頼もうと思ってた。どうせ今夜泊まるとこねェんだよ」 「レリーアちゃんの護衛の件も、承りました。総統がバックにいるならなおさら、僕らの仕事ですしね」 「そうか……すまねエ、礼を言う……布団はそっちの部屋にあるから、使ってくれ。あの、あれだ、いつまでいてくれても、構わんからな」  少し申し訳なさそうに、男性は言った。 「いやこっちこそあんがとなおっちゃん」 「ヤーマだ。そう呼んでくれ」  ヤーマの指した部屋からふた組の布団を出すと、博希と景はレリーアの部屋へ様子を見に行った。案の定、五月はレリーアのそばですやすやといい寝息をたてている。レリーアもまた、五月に小さな身体をあずけて、安心したように眠っていた。  ふたりはそっと部屋の扉を閉めると、出したばかりの布団を整えて、すぐにもぐりこむ。  いつもなら、三秒ほどあとには、先に博希の寝息が聞こえてくるはずだった。が、景の予想に反して、博希のほうから聞こえてきたのは寝息ではなく言葉だった。 「あのさーあ」 「……寝てなかったんですか。なんです」 「うん……さっきっから考えてたんだけどよ、根元をたたかなきゃ、どうしようもねえよなあ」  そんな真面目な考えが出てくるとは思わなかった。また熱でも出たのではあるまいかと失礼なことを一瞬思って、しかし、景はそれに同意する。 「僕もそう考えていたところですよ」 「ホントか! 知的美少年は近いな!!」 「それとこれとは天と地ほども違いますっ。ひとつ考えが一致したくらいで調子に乗りなさんなっ」  声が大きくなりすぎた。ぱふっと毛布で自分の口をおさえると、景は改めて博希に向かった。 「とにかく、です。明日五月サンが目をさましたら、この件を話して、それから対策を考えましょう。もしかしたら」 「もしかしたら?」 「ヤーマさんにはあえて言いませんでしたが」  今度は景の歯切れが悪くなる。布団を頭からかぶって、目だけ博希を見た。博希もそれにならう。余程他人に聞かせたくないのだ。 「おっちゃんに言えねえことなら俺には言えるんだろ。怒らねえから言ってみ」 「……この世界のできごとはいつだって、僕らの想像をはるか越えて起こります。奥様のバックにはマリセルヴィネがいるのでしたね。だとしたら――」 「――したら?」 「どうなると思います? 知的美少年予備軍の博希サン」  む、と、博希は下唇を突き出した。予備軍てなんだよ、という思いもあったが、 「意地悪言うなよ」  と、元祖であり本物であるところの知的美少年を冗談でも非難したい気持ち。が、すぐ、ほんの少し考える。 「もっともっと、宝石とか、集めるだろ……? 確かキレイなもん好きなんだし」  そんなことではなく。もちろんそれも憂慮すべき事態ではありますがと、わざと少し難しい言葉をつかって景は眉にしわを寄せた。 「僕はね。マリセルヴィネが、果たしてヤーマさんとレリーアちゃんを放っておくかなと思いましてね」  報告は自分の任務である。それが意に沿わぬことであったとしても。  デストダは少々、言いよどみながらも――それはもしかしてあの執政官に同情でもしているのか――マリセルヴィネのそばに近づいた。  自分で自分の心だけは、『読心』、できないものである。 「マリセルヴィネ様――あの女……夫と娘のことを気にかけているようにございます」 「ふん。お前の能力も、たまには役に立つのね?」  たまにとは失礼なことを言ってくれる。デストダは憮然としながらも、しかし、それを気取られぬように、平静を装った。 「いかがいたしますか」 「最近実入りが悪くなってきたのはそのせい?」 「そこまでは申しませんが。自分めがここらをひと飛びして集めた情報によりますれば――」  デストダはいろいろなことを話した。村人の中に不満が高まっていること。執政官は恨まれ、その娘にまで危害が及びそうであること。夫はマートルンの運転手だが、分離線のため乗車率は絶望的に低く、あってもなくてもどうでもいいであろうこと。 「つまりは」  黙って聞いていたマリセルヴィネが――ひどく、嫌なまとめかたを、した。 「夫も娘も、いなくともよいということねえ? いればいたで妨げになるのならば――いないほうが、いくらも、マシね……?」 「…………」  デストダは息をのんだ。『読心』できなかったわけではない――しようと思えばいくらでもできるもの、現に今も彼はそうしていた。気分の悪くなるほど悪意に満ちたマリセルヴィネの『心』は、しかし、そのふっくりとした唇を通して音になったとき、デストダが読んだものよりも何倍も強烈に凶悪なものとして、現れていた。 「――面白い。人質代わりとして生かしておいたけれど、そっちのほうが余程楽しそう」 「……え……」  思わずのことだった。デストダはおのれのもらした嫌悪のつぶやきに自分で気がついて、しまったと戦慄する。瞬間。喉元を、マリセルヴィネの大鎌が狙った。 「い……ひっい」  おかしな声がもれて、彼は動けなくなる。足の先から手指の先、髪の毛の一本一本に至るまで、奇妙な汗が流れてゆくのを、比喩的表現でなく、感じずにはいられなかった。 「気に食わなければ、お前を先に送ってやってもいいのよ」 「……い……え……いえ、いえっ」  必死に首を振ろうとするが、恐怖のためか、振りきれない。 「――冗談よ。レドルアビデ様に怒られてしまうわ」 「……自分が消えたとしても……悲しみは、しますまい。あのおかたは」  鎌がおろされ、床にぺたりと座り込んだデストダは、自嘲的につぶやいた。 「さあねえ? どうかしらね」  その言葉の真なる意味を、デストダははかりかねる。『読心』しようと思ったが――さっきのような、悪意に満ちた『心』を読むのが、どうも今は嫌で、やめた。 「では――いかが、いたしますか」 「いかが、ですって? そんなもの、答えはひとつしかないじゃない。違う?」  結論をつむいだマリセルヴィネの唇が、まるく笑う。彼女の言う【答え】が、いったい何であるのか、聞かねば命令には反するし、聞けば聞いたで夢見が悪くなるどころの騒ぎではなさそうな、デストダはひどく複雑な気持ちのまま、その場に固まっていた。嫌な予感がする。なんだかとてつもなく嫌な予感が。 「……というわけでしてね。どうやら今回も、けっこう骨の折れる仕事になりそうです」  朝、むにむにと目をこすりながら起きてきた五月の身支度を手伝いながら、博希と景はかわるがわる昨夜の話をしてやった。 「お母さんは、どうなのかな。執政官、やりたくないのかしら」  以前訪れたオレンジファイの村で、ディルの件を目の当たりにしているから、五月の中では、そのときのことが思い起こされていた。もちろんいつから執政官だったのかということもあるだろう。博希も景もそれは気になっていたから、昨夜のうちに聞いておいた。 「執政官というお仕事をはじめられたのは、レドルアビデがくるずっと前だそうですよ。だから、そもそもは、やりたくなくてはじめたお仕事ではないはずです」 「でもレドルアビデが来てからこんなんなった……そっから、なんだろうな」 「じゃレリーアちゃんとお父さんは、もともとお屋敷に住んでたってことなんだね……広いんだろうねえ、お屋敷」 「…………まあ今までの例を考えれば、そうでしょうね? 今回はそれに加えて豪華絢爛たる宝石とか黄金までがオプションのうちですから、眺めるぶんには退屈しないでしょうね」  景が苦笑して言った。五月の意識はもはや、まだ見ぬ豪華絢爛であろう執政官の屋敷への想像と憧景へすっ飛んでいる。あわてて博希が五月をゆりゆり動かして意識を戻した。 「ああああ、でもさ、このまんまでいいわけ、ないと思うよ、ぼく。なんとかしたい」 「そりゃそうでしょう。僕もそう思います。で、どうしますか、博希サン?」 「どうしますかってそりゃ執政官つぶしに行くに決まって――あ」  つぶしちゃまずいんである。今回はこと、いつもの手は使えない。多感な年頃のレリーアに手ひどいデコレーションの母親を見せるわけにもいかないし、またそんなことをしてどこからか勇士イコール博希たちの仕業と明らかにされないとも限らない。別にレリーアからの評価を上げたいわけではないが、ごく人道的、および、精神論的な部分で、三人には【いつもの】行動が、はばかられた。 「うーん」  ヤーマはレリーアの作った弁当を持って、ほどなくして出かけた。乗る者のないマートルンを磨いて、それから、今日はあのたてつけの悪いドアを直すのだろう。  その出てゆく背中を、空から見つめる、影、ふたつ――――――  知らず、笑みがこぼれた。  レリーアと、博希と、五月と、それから景。留守番という形であるから、ヤーマが帰ってくるまでの間、レリーアはともかく彼ら三人はさしあたりヒマであった。  手持ちぶさたなのが我慢ならないらしく、彼が出て行って三十分あとには 「一宿一飯の恩義ってやつだ」  と、博希が家の中の掃除をはじめ、五月もそれにならって雑巾を持ってきた。狭いけれども掃除のしがいはありそうだ。  しかしそうはいっても、三人がかりで掃除するほどではないだろう。景は少し考えて、レリーアに本を読んでやることにした。 「なにか読んでほしい本はありませんか?」  と彼が聞くと、レリーアは一冊の本を持ってきた。だいぶぼろぼろで、あちこち丁寧に補修してある。 「なんとも年季の入った本ですね。お気に入りなんですね」 「これね、お父さんが買ってくれて、お母さんが読んでくれて、こわれたらお父さんがなおしてくれて」 「そうですか……」 「もいちど、読んでもらいたいけど、でも、いまは、勇士さまに、読んでもらいたくて。……もし、こわれちゃったら、ごめんなさい」  そこまで聞いて、景は無言で表紙をなでた。いまの言葉だけで、この子が両親についてどう思っているのか、を、彼は深く理解した。そうして、彼は、レリーアに本を返した。そのほうが、いいと思った。お母様がお帰りになったら、読んでもらいましょうね――と、景が言いかけた、その瞬間――遠くで、大きな音が鳴り響いた。  ガゴオオンッ……! という、古めかしくも重く響いたその音に、博希は昨日乗ったマートルンの動きを重ねる。 「あの音は……おっちゃんのマートルンか……?」 「お客様など乗るはずがないのに? 試運転というわけでもないでしょう……?」  首をひねってみて、景はいくらかの仮定をめぐらせる。 「ひとつ。僕らのような旅人が、あらわれた。――おそらく却下です。まずありえない」 「じゃ、ひとつ。一日一回は、試しに、動かすことにしてる。あー……レリーアちゃん、そういうことって、あるのかい?」  レリーアはふるふると首を横に振る。 「じゃ、却下だ」 「…………あと、ひとつ…………、……考えたくないことが、起きた?」  家の中がしんと静まり返った。  博希はもう少しで「お前な!」と言いそうになったが、少なからず自分も同じようなことを考えていたので、景にそれ以上詰め寄るのはやめた。その代わりに彼は言葉を探す。精一杯、いま、考えつくだけの言葉を。 「だとすりゃ、行かなきゃならねーんじゃねーの……!」  それはどこか他人事のようにも聞こえるが、しかし、ある種の熱をもったかたちで五月と景に届いた。  二人は博希の言葉に力強くうなずく。だが――すぐに五月が、ハイと手を挙げた。 「あのう、レリーアちゃん、どうするの」 「…………」 「…………」 「お留守番のお約束、破っちゃまずいと思うの」  それは至極正当性のある発言であった。【考えたくないこと】が起きたのだとすれば、いまここで揃ってレリーアを置いて飛び出していくことは得策ではない。むしろ危険極まりない。  さて、ではどうしよう。  三人が顔を見合わせたとき、 「ふははははは、レリーアとかいうガキはお前か!」  玄関の扉が無作法に開いた。 「あ」   その場の、レリーアを除く全員の口から、同時に、ため息ともつぶやきともとれる声がもれて、二秒少々、時間が止まった。  そうして、動いた――というより、口を開いたのは、五月がずっとずっと早かった。 「あー! デストダだあー!」  ひどく喜んだ様子で五月が叫んだ数秒後、デストダはおのれの不運を心から呪う。状況さえ許せばそのまま座り込んであげく地面にでももぐってしまいたいと思ったほどに。 「な…………」 「なにしに来たの? ぼくらのいるとこよく解ったね! すごいや」  お前に会いに来たんじゃないっ、と、そのときのデストダは叫びたかったらしい。だが叫ぶよりも早く、デストダにとってはもっと厄介な相手が口を開いた。 「デストダ。……レリーアちゃんがらみ――ですか?」 「え」  本当にコイツは自分と同じく『読心』できるんじゃないのかと、デストダは本気でそう思った。  だがどのみちデストダがこんなところにノコノコ現れるとすれば、博希たちの存在を知らなかったのなら親子がらみであるほかに何があるというのだろう。少し考えれば解ることである。ましてヤーマは仕事に出ているからいないのだ。ならばレリーア狙いに決まっている。  たいがいでデストダはそのあたりを学んだほうが、と景はときどき思うが、いちいち諭してやるほど親切でもないつもりだ。うっちゃっておくことにしている。 「図星ですね。ですが申し上げておきましょう、僕らがここにいる限り、レリーアちゃんには指一本触れさせません」 「戯れ言を!」 「だったらやってみろよ。俺らが全力で止めてやんよ」  ぎッ、と音の聞こえてきそうなほどに歯をむき出して、博希が大仰に構えた。言うまでもなく仁義には厚い男である。たとえ一宿一飯だろうがそれがこれから先延長しようが短縮されようが受けた恩義には必ず報いる。下手なことをすれば何があっても本気で倒しにかかるだろう。  しかも今回は――あくまで予想であったが、狙う対象が少女ときている。弱いものに危害を加えるヤツは何があっても許さん。博希の瞳は、背中は、そう語っていた。 「――で、結局何をなさりに? おおかたレリーアちゃんをさらうためにでもいらしたのでしょうが?」 「……だとしたらどうする」  ぴりとした空気があたりを支配する。きっとデストダにそう猶予は与えられていないのだろう、このときの景はぼんやりとそう考えていた。昨日ヤーマは言っていた、「妻のバックには総統がいる」と。あのせっかちで残虐な性格の女なら、一分一秒でも手間取ればまず間違いなく本人が出張ろうとするだろう。  できることならそれだけはご遠慮願いたいものである。戦うときがくるとするなら、それは自分たちが乗り込んだときだ。 「渡すわけにはいきませんね、あの子のお父様から、くれぐれもと念を押されています」 「レリーアちゃんを連れてくなら、ぼくらを連れていきなよ」 「それは嫌だ」  デストダのその返答はとてつもなく早かった。心底嫌とみえた。 「そりゃそうだ。五月、ちょっと今のは現実的じゃなかったな」 「じゃどう言ったらよかった?」 「まあこの場合の流れとしてはアレだな、俺たちを倒してからにしろっ、ていうのが普通かなあ。どう思う景」 「僕もそれがよいと思いますねえ。だいたい僕らを連れていけるわけがありませんもの三人も一気に」  でも、と、景は言葉をつないだ。倒されるわけにもいきませんし倒されるつもりもありません。 「五月サン、レリーアちゃんを」 「うん」  景に促されて、五月はレリーアを抱えるように守った。  博希と景。二人の瞳が、燃えるようにデストダを見る。 「執政官様の差し金ですか? それとも……」 「マリセルヴィネの差し金か?」  場の空気が、緊張を含んだものからあっという間に凍りだす。  ぺき……と、博希が指を折る音が、しんとしたあたりに響いた。

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