Chapter:70 「……隠しておく、つもりは、なかった」

「……っ、ぐ……」  口中がばりばりと震える感覚。喉を通ってゆく蒼い蛇は、確実に自分たちの身体の中へ侵入を試みていた。 「させ……るか、よ!」  博希は蒼く透き通った息をはあはあと吐きながら言ってみせた。しかし、それがただの強がりであることを、彼は痛いぐらい解っていたし、無論目の前の相手にも悟られていた。 「無駄だな。貴様らがいかに【伝説の勇士】であろうとも、この蛇から逃れることは不可能だ」 「……え……」  その言葉が引っかかった。景はクラヴィーリの笑わない瞳を、きっ――と見た。 「なぜ」  これはきっと博希も五月も気がついていない事実であるはずだ。景は喉に通る気持ちの悪い冷たさを我慢しながら、言った。 「これから逃れることが不可能であると――あなたはそう言った――ならば……なぜこれで僕らをひといきにしとめないのですか!?」 「景……?」  博希が不思議そうな目で景を見る。五月も喉をくきくきかきむしりながら、景の言葉を必死に聞こうとしていた。 「さっき……、あなたは言いましたね。本来ならば、これで、僕らを串刺しにするつもりだったと。……そして……、これから逃れることが、不可能であるとも。その気になれば、僕らを殺せるのでは、ないですか。なぜです。あなた方……レドルアビデの配下連中は、みな、僕らに、本気で手を……下そうとは、しない」  喉の異物が気になって、とぎれとぎれにしか話せないものの、景は言葉を選びつつ、どんな表現よりも解りやすく発言できた。その言葉で、少なくとも目の前の相手が動揺することを読んでとったものだった。しかし、残念ながら、この計算は景の負けだった。 「フ……ククククッ」  クラヴィーリはさも愉快そうに、笑いだしたのである。 「なにがおかしいっ!!」  今まで黙って事態を静観していた博希は、本気で怒った。 「人様の発言にツッコミもなにも入れないでケタケタ笑うのがテメーの礼儀かよ!!」  三人の喉の不快感は、その時すでに消えていたが、全員、新たに肺のあたりにぐろぐろとした冷たさを感じていた。恐らくは蒼い蛇が、気管を通って肺に達したのだろう。それでも博希にとっては、これだけ勢いよくぶちまけることができたのだから、その点では大変にありがたかった。 「ふはははははっ」 「その気持ち悪い笑いをやめろ、この人間笑い袋!!」 「おかしいから笑っているのさ。気持ち悪いとは心外な言葉……」 「ではなにがおかしいのです? お答えください」  クラヴィーリはにやあ、と笑うと、蒼い“ほころび”を生んだ。 「逃げる気ですか!?」 「逃げる? まさか。帰る、だけさ」 「そういうのを逃げるっていうんだよっ。待ってよ、ダメだよ!」  なにがダメなのかよく解らないが、ともかく五月がそう言って手を伸ばすのと同じくらいに、クラヴィーリは蒼い“ほころび”の中へ、消えた。 「待てこの野郎!」 「駄目です、博希サン! ここでこの“ほころび”の中へ入ってしまったら、僕らはどこへ出るか解りませんよ!」  クラヴィーリの生んだ“ほころび”である、できればそこに飛び込んでいきたかったが、その先がもしもいきなり大氷原では凍死は確実。ならばせめて自分たちで“ほころび”を開くべきである。ここは幸いにも学校の近所だし、下手な所には出るまい。景が止めたその一瞬だけ冷静になって、博希は追うか追うまいか、迷った。そして、次に考えたのは、 「景! 今、何時だ!?」  時間のことだった。一時間あれば一週間向こうにいられる。決着をつけるにはベスト過ぎるほどの日数、の、はずだ。景だってそのことはよく解っていたから、博希が叫ぶのとほぼ同タイミングで、近くのビルにくっついていたデジタル時計を見た。 「午後、三時半です。――あの時計が狂っていなければ、ですが!」 「充分だ!! 行くぞ、ホールディア!!」  今度は景も反対しなかった。彼も急いでいたのだ。ただし、博希のように、決着を――とは考えていなかった。とりあえず、スカフィードのもとへ行き、コトの顛末を話すのが先だと思った。  間違いにしては奇妙すぎた。理由がない。これまでは、自分たちが訪れた都市の総統がアイルッシュに繰り出してくる、というパターンだったはずだ。どちらかというと、自分たちを攪乱させるために。――レドルアビデの真意がどこにあるのか、はっきりとは解らないけれど。――しかし、今度は違った。クラヴィーリは、確実に、【伝説の勇士】を殺そうとした。でなければ、二人ともをあのような形で閉じ込めたりはしない。……それでも、最後に一体なにをしたかったのか、なぜ逃げてしまったのかということについては、合点のゆかぬ点が多かったが。  考えている間に、“ほころび”はとても簡単に開いた。ここはもちろん温室ではないから、一体どこに出るのか判然としないが、今は飛び込むのが先である。 「五月サン、向こうに着くと同時に、フォルシーを呼んでいただけませんか」 「フォルシーを? おにもつ?」 「いえ。まずスカフィードの所へ行きます」 「何でだよ!? ブルーロックとやらに殴り込みかけるんじゃねぇのか!?」  どこに降りるにしても、そのままブルーロック入りしてクラヴィーリを叩き潰すつもりだった博希は、景のその言葉にくわっと怒りをみせた。 「まずこの妙な奇襲をスカフィードに報告すべきです。ブルーロックが一体どういう所なのかも解らずに殴り込めば、今度こそ僕らは死にますよ」  事実五月のあの力が発動しなければ死亡確実だった二人にとって、その言葉は冷静にリアルだった。 「……解ったよ。まず、スカん所だな」 「そんなハズレクジのような呼び方おやめなさい。ともかく急ぎましょう」 「閉じちゃうよ、“ほころび”」 「うは、早く飛び込めっ、五月!」  五月はフォルシーの笛を口にくわえたまま、先に“ほころび”の中へ飛び込んだ。多分即座に吹く気だろう。どちらかというと、どこに降りるか解らないだけに、それはとてもありがたい。景も五月の後について飛び込んだ。 「あっ、待てよっ!」  博希も慌てて飛び込む。“ほころび”はその後、じわじわと閉じていった。  冷たい街の中、クラヴィーリの生み出した氷が少しずつ溶けてゆくのを、消えゆく“ほころび”だけが見つめていた。 『勇士様っ!』  博希がコスポルーダの地を踏んだ時、すでにフォルシーは高速でそこまで接近していた。 「フォルシー。スカフィードのとこまで送っていってえ」  先程まで極寒の地にいたため、五月は暖かなフォルシーの羽にはみゅはみゅとほおずりしながら言った。 『かしこまりました。……あの、どうか、なさったのですか?』  五月のみならず、景や博希までフォルシーの羽にほむうと顔をうずめているのをちらちらと見つつ、フォルシーは首をかしげた。 「ええ……ああ……、すみません……道々説明しますので……」  景はフォルシーの羽にくるまるようにして、とぎれとぎれにそう言った。緊張の糸が緩やかに溶けてゆくのを、景は感じていた。  ……このぶんでは多分……スカフィード様の所へつくまで話してはもらえませんね。フォルシーはすでに気持ちよく眠り始めた五月をその羽で優しく包むようにしながら、あとの二人も包みつつスカフィードのもとへ急いだ。 「フォルシー?」  キッチンで鍋をかき混ぜていたスカフィードは翼の音を聞いて、コソリと窓を開けた。 『スカフィード様、ああ、ちょうどよかった。勇士様を連れてまいりました、手を貸していただけませんか』 「や、それは久し振り。さては五月あたりが眠っているんだな? 解った、少し待ってくれ」  自分の予想に思い切り反して【伝説の勇士】が三人そろって眠っていることなど露ほども思わず、スカフィードはおタマを置き、エプロンと三角巾を外して椅子の背にふさりとかけると、玄関へ向かった。 「……で。」  一通り景から話を聞いてしまうと、スカフィードは何杯目かのドリンクを博希のカップに注ぎながら、自らの肩をくりくりともんでいた。  「すみません、いささか重かったですね……」 「重かったとも。それも頭みっつ。よほどあっちは寒かったらしい」 「うん、すぅごく寒かったの! 氷がすごくてね、えっとね、凍ってね……」 「はいはい、そこまで。ちゃんと落ち着きましょうね」  景は苦笑して五月の頭をなでると、自分もドリンクのお代わりを頼んだ。 「しかし……何度聞いてもやはり合点がゆかぬな」 「クラヴィーリのこと、でしょう?」 「そうだ。ピンクフーラの総統は確かマリセルヴィネと名乗る女性だったと記憶している。クラヴィーリはお前たちが聞いた通り、ブルーロックの総統だ。奴がなぜ……」 「解りませんね」  景はカップの中身を飲み干した。そばでは五月がむずかり始めていた。景が博希のほうをヒョイと見ると、彼はすでにくかあと大口を開けて眠っている。 「ドリンクに睡眠薬でも混ぜましたか?」 「まさか。さっきまで寝ていたのが響いているのだろうさ」 「カーくぅん。眠いよう……」 「ああ、じゃあそこの部屋で少し寝るといい」  羽を休めていたフォルシーが、むずかっている五月をそいそいとその大きな翼でベッドルームまで誘導する。 「うーん、フォルシー、ありがとー」  そのままベッドにダイビングした五月に、フォルシーは優しく布団をかけてやると、再び羽を少しずつ繕い始めた。 「フォルシー、ありがとうございます」 『いえいえ。ちょうど、羽繕いもしなくてはいけませんでしたし、ゆっくりできてよいですよ』  深い茶の瞳が、緩やかに笑った。 「ときに、スカフィード……」 「ん?」 「申し訳ありませんでした」 「何の話だ?」  スカフィードは本当に面食らっていた。目の前の景がいきなり神妙な顔をして頭を下げたのだ。そりゃあ何の話かといぶかるのが当然である。 「ここ数日、いえ、こちらの時間で数年というべきですか、“ほころび”が何度か、勝手に開いたり閉じたりしたと思うのですけれど」 「ああ……確かに、私の預り知らぬ“ほころび”の反応があったが、あれはお前たちか?」 「少なくとも、一度は。……僕の至らなさで、あなたに連絡する間もなく、勝手に“ほころび”を開いてしまって……」 「そのことに関しては別に構わぬ。フォルシーを介して言ってあったろう、私はお前たちのことを信じていると」 「ですが、……」  スカフィードは景のカップに追加のドリンクを注いで、座り直した。 「……言いたいことがあるのなら、聞くがな。景」 「!」  見抜かれていた、と、景はその時直感で思った。  博希も五月も、長いこと自分の友達でいたから、考えていることのなんたるかを言わずとも、二人はすべてを理解してくれる。それは今までも、そして今回のことについてもそうだった。しかし、それが本当に全てか。  別に博希や五月の対応について不満があるわけではなく、ただ、身内でも誰でもない、まったくの第三者に、今回のことの全てを、そして自分の胸の内を、ぶちまけてしまいたかった。そういった意味で、目の前の大人の存在は、彼にとってとてもありがたかった。 「……僕は、まだまだ、子供なんですね」  苦笑して、ひとこともらす。 「私に言わせれば、子供さ。どれだけ頭がよくても、強くても、鋭くても。しかし、それなのに、この世界を支えてくれている。私は……お前たちが【伝説の勇士】でよかったと思っているよ」 「本心でしょうね」  景のそんな言葉に、ぷ、と、スカフィードは笑った。 「本心だよ。……さあ、聞こうか。お前がその胸の内にためてきたことを」 「はい。……ありがとうございます」  景はそれから、自分たちの時間感覚でたっぷり三時間半かけて、ピンクフーラに入ってからクラヴィーリと対するまでの事実と、それにからんだ自分の精神的なこととを、スカフィードにみんな話した。スカフィードはその語りにいちいちうんうんとうなずき、時には少々の揶揄やちゃちゃを入れつつ、景の瞳を真っ直ぐ見て、彼の話に聞き入っていた。  カップは、いつしか乾いた。 「……と、いうわけです」 「なるほどね、お父上とはもう大丈夫なのかな」 「恐らく大丈夫でしょう。僕がこだわりを捨てれば、それでよかったのです。父様はああいった形でしか、家族への愛情を出せないひとです。それを、姉様が教えてくれました」  スカフィードはついと、寂しく笑った。 「姉様、か。……よいものだな、姉弟というものは……」  景はそれを聞いてはじめて、この孤独な神官の身の上が気にかかった。 「スカフィード、あなたのご家族は……いらっしゃらないのですか……?」 「……ああ……父上と母上は、もう随分前に、亡くなった」  その白い髪が、さらりと揺れた。 「ご兄弟は?」 「…………」  わずかな沈黙の後、景はもしかして聞いてはならないことを聞いたかと思った。なぜか、そんな気がした。 「あ……すみませ、」 「いや。よいのだ。……私にも、ひとり、姉上が……いる……」 「姉様が?」  彼にきょうだいの一人くらいいてもおかしくはないと、景はそう思っていた。しかし、それが彼よりも年上とは思っていなかった。どちらかというと、スカフィードの下に誰かいそうな気がしていたのだ。 「そうですか……スカフィードの姉様ならば、きっと、お美しく優しい方なのでしょうね。その方は、今、どちらに?」  会えるものならば会ってみたい。それは景のささやかな好奇心だった。  だが、スカフィードは首を二、三度、横に振ると、自分の後ろの棚を、そっと、見た。 「…………?」  景も、彼にしたがって、棚を見た。しかし、そこにあったのは、 「皇姫マスカレッタの……ライフクリスタル……」  ――だった。景はそれだけつぶやくと、ゆっくり、スカフィードのほうへ視線を戻した。  スカフィードは……  皇姫マスカレッタに忠誠を誓ったこの神官は……  景がこちらを向いたのにも気がつかず……  ライフクリスタルを、見つめたまま。  つう――と、一筋の涙を。  こぼした。 「――スカフィード!?」  景はまさかと思った。天才と謳われ、聡いとささやかれるその頭脳で、今導き出すことのできる解答は、この場合、ひとつしかなかった。 「あなたの――あなたの姉様というのは――!」 「……。……景。……隠しておく、つもりは、なかった。私の姉上は……、このコスポルーダを統べる、皇姫マスカレッタ様だ」

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