窓の中のWILL

Chapter:26 「あまり甘やかすとためにならないぞ」

 ――五月を待つ間、景は、また、椅子にかけた。 「おかわりは」 「いた……いえ、もう、結構です」 うぷ、と、景は少しだけ、口を押さえた。下手をすればあふれてきそうだ。だがその前に、景の膀胱が、悲鳴を上げた。 「すみません! あの、お手洗いはどちらでしょうっ」 「え? ああ、あっちの方に」 娘が指差すや否や、景はその方向へダッシュしていった。あとにはわずかばかりのほこりが残った。  ……その、何秒か後、五月が、階段から下りてきた。 「おまたせー、カーくん。……あれえ? カーくんは?」 「あの、お手洗いのほうへ」 「え~~?」 五月は娘が指した方向へ歩いていって、ドアの前で立ち止まった。 「なにしてるのさあ、カーくん。ぼくカーくんが急げって言うからなるべく急いだのにい」 「少し……待ってくださいっ」 ドアの奥から、絞りだすような声が聞こえる。 「具合悪いの」 「……いえ……」 「じゃなんでそんなに長くこもってるの」 「…………そ……それは……」 まさか『止まらない』とは言えない。ましてや一応、冷静沈着で通っている自分が、二十杯もの茶を飲んで『もよおした』などと。明らかに無計画に飲み過ぎたゆえの結果である。 「今は言えません! 黙って待っててください!!」 「開けるよー?」 「ダメです!! 他人が用を足しているのを見て何か楽しいですか!?」 「ちぇー。……早くねー」 「…………はい…………」 「遅い」  デストダは村外れの道で待っていた。すでに博希が通過したのは確認してある。ならば残りもここを通るはず……デストダはさっきから三十分ほど待っている。のだが、肝心の相手が、来なかった。 「道を間違えたか?」 もう少し待ってみるとするか、わりあいガマン強かった彼は、いつものマントを羽織って、石畳の道に座り込んだのだった。 「寒い」  景はまだ『止まって』いなかった。五月はヒマそうに、足をぶらぶらさせて座っていた。 「あのう、よろしければ、どうぞ?」 娘が何やら皿に入れて持ってくる。 「わあ、おいしそう」 「私が焼いたんです」 それはクッキーのようなものだった。一つ、手にとって、少しかじってみる。 「おいしい!」 「ありがとうございます。勇士様にそう言っていただけて嬉しいですわ」 「すっごくおいしいよ」 五月はもう一つ、もう一つと、手にとって食べた。 「カーくん、遅いなあ」 そりゃ二十杯分だから。 博希はその頃、執政官の屋敷にたどり着いていた。 「なっ! そ、その姿は貴様……」 「見も知らねぇ相手を貴様呼ばわりたぁ馴れ馴れしすぎるぜ。シツケがなってねぇな」 門番らしき人物はしかし、その風体で、自分たちが相手にしているのが一体誰であるのかが解ったらしい。すぐにひれ伏した。 「……執政官はどこだっ。案内しろっ」 博希は肩を上下させながら、手早く言った。 「こ……ここにはいませんっ」 「いないだあ?」 博希の大声に、門番は完全にビビった。 「はいっ」 「じゃどこにいるっ。言わないとお前らの体中に般若心経書くぞっ」 門番たちに『般若心経』の意味が解ったかどうか定かではないが、博希の言い方があまりにすごんでいたので、恐れをなしたことは確かである。門番たちはひれ伏したまま、言った。 「い……イエローサンダ総統、スイフルセント様のお城にございますっ」 「スイフルセントだとっ」 「はいいいい~~」 博希は、そうか、とうなずくと、 「スタンバイ・マイウェポン!!」 「なっ!? 何をなさいますっ」 扉を叩き割った! もはや門番は博希の眼光に動けなくなっていた。 「遅い」  デストダはまだ待っていた。奴らが現れたらそこそこカッコよく登場してやろうと思っていたというのに―― 「あったまろう」 それだけつぶやくと、ふわり……と屋根の上に舞い上がり、縮こまって暖を取ろうと、した。が。 「…………余計寒い…………」 不憫。  景がやっと出てこられたとき、すでに五月は腹がよい具合に膨れて、スヤスヤとまたもいい寝息を立てていた。親切にも娘が、五月の体に毛布をかけてやっていた、それが五月の眠気をなおさら助長したらしい。 「何でこんなことしたんです」 「あまり眠たそうだったので……」 「余計なことを」 娘にはできるだけ聞こえないようにそうつぶやくと、景は、五月を揺り動かした。 「五月サンっ。起きてください」 「眠いよう」 「一体どれだけ寝たら気がすむんですかっ、……ほら起きてっ」 「んん~~」 むずかる。 「すみません、私がクッキーなんか差し上げたから……」 「いえあなたのせいではありませんよ、五月サンの食い意地がはっていたからで……」 「でも毛布までかけてさしあげて」 「……それは確かにあなたのせいですが……いやそんなことを言っているヒマはないんですよ! 五月サンっ!」 景は五月の毛布をひっペがした。 「寒いよう」 「起きなさいっ。いつまでも起きないともう永久に仕切らせてあげませんよっ!!」 景の泣きそうな叫び声に、五月はぶるんと体を震わせて景を見た。多分『永久に仕切らせない』という言葉に反応したものであろうが、それよりも、かなり必死な景の様子にびっくりしたというのもあった。 「解った、行く。今度はぼくが仕切らなきゃダメだもんね!」 やっと起き上がった五月を見て、景は安堵のため息をっいた。 「あ、ちょっと待って、その前に髪」 「早くしてくださいよ!」  博希は執政官の屋敷を出た。門番以下、屋敷に残っていた執政官の従者たちは、みな、額に『しょぎょーむじょー』と書かれて転がっていた。多分意味なんか解らないが、なんとなく、書いたものであろう。博希は剣をしまうと、空を見てつぶやいた。 「待ってろよ執政官! てめェの額には『じょーしゃひっすい』って書いてやるぜっ」 いやはや当たらずとも遠からずな文字ではあるが、漢字ぐらい覚えたほうが得策ではなかろうか。多分景ならそう突っ込んでいておかしくはない。  博希は執政官の屋敷を出ると、スイフルセントの居城に向かって走り出した! ……ただし、彼は地理を知らない。  デストダは屋根の上で横になっていた。 「ここで凍死したらレドルアビデ様は何とおっしゃってくれるだろう」 何もしていないのにおっしゃってくれるもなにもないものだが、デストダは、多少、……どころかほとんど、絶望的な気分で、目を閉じていた。  その時―― 「!」 彼の触角に、ピン、と、反応があった。 「来たかっ!?」 間違いない、この気配は、【伝説の勇士】のもの! デストダは湯をかけられたワカメのように、ひゃわひゃわと立ち上がると、自分にわずかに残された何かしらの達成感も手伝って、人様の家の屋根の上で、腰に手を当てて、 「は――――ははははははははッ!!」 と、笑った。まだ景や五月の姿は、少しも、見えていないのに。  髪の毛のセットが終わった五月と景は、その時、本当に、走り出していたのである、鎧装着して。 「急ぎますよ!」 「うんっ。……ね、もう、何もかも終わってたらどうしよう?」 「……え……? ……そ、その時は……」 「その時は?」 「五月サンに二回分仕切らせてあげますよ」 「わあい」 本当はそういう問題ではないんですけどねえ、景はつぶやきかけてやめた。まずは執政官様のお屋敷に行ってみるべきですね。――多分、そこはもう片づいていると思いますが――モゴモゴと、口の中でつぶやいて、景は五月を伴って走っていった。 「あれ?」 反応が遠くなる。デストダは焦った。 「なぜだっ!」 叫んでる間にも、二人の反応はどこか遠くにいって、消えてしまいそうである。  なぜかというと。博希は、迷っていたのだ。地図機能を持っているのは五月だし、博希は、やや方向音痴のきらいがある。迷いながら適当に走っていったルート上に、デストダは待っていたのだ。地図機能を持つ五月と、賢い景が、博希の歩んだ道を進む可能性は、万に一つも有り得なかった。デストダは泣きそうな顔で、反応を追いながら飛び立った。  まったく不憫。  その頃博希は。 「……城が……遠くなったり近くなったり……ああっ、腹立つなっ!!」 走り続けていた。こうなったら城を目指して一直線に走ってみるか、家も壁も無視して? いやいやそんなことしたらヒーローの沽券にかかわる。博希は少し空を見て、また、走り出した。 「いつになったら着くんだよぉぉぉっ!?」 「急ぎますよ、ヘタをしたら夕方になりますからね」 「うんっ」 五月の地図を発動させながら、景と五月は執政官の屋敷にたどりついた。 「うわあ」 まず門に倒れている門番を見て、五月はそれだけつぶやいた。門番はへろへろと倒れていた。 「博希サンでしょうねえ」 「やっぱり?」 「額に『しょぎょーむじょー』と書かれてます、ひらがなで」 「中もかな?」 五月はちょっとだけ警戒しながら、屋敷の中に入っていく。 「……わ」 「予感、的中……ですか」 五月は無言でうなずいた。 「でも、執政官らしい人はいないよ」 「ふむ」 景は少しだけ考えて、門の方へ取って返した。ペしゃん、と、軽く門番の頬を叩く。 「……うん? ……」 「ちょっとお尋ねします」 「あわわああ!!」 門番は博希の恐怖を思い出してか、景を見て怯えた。 「何もしませんよ。それより、執政官様はどちらのほうにいらっしゃるんです?」 その丁寧な物腰の語りの中に、少しだけ悪意がちらつく。瞳に剣呑な光が浮かびっ放しなのである、さっきから。その光までも汲み取ってか、門番は怯えつつ、景に言った。 「スイフルセント様のお城に行かれました、それだけしか知りませんっ」 「そうですか。ありがとうございました」 景は慇懃に礼をすると、五月と一緒に、また、走りだした。門番はぼんやりとその背中を見つめながら、 「……あわわわわ」 とつぶやくと、また、気を失った。 「とらえたっ!」  デストダはやっと、はっきり、二人の姿を見つけた。 「もうこれ以上逃がさんぞ……!!」 デストダは急降下を始めた。 「!」 五月は不意に、立ち止まった。 「どうしたんです?」 「……何か……何か、いる」 五月の第六感が、デストダの気配をとらえたのである。景はぐるうり、と、辺りを見渡してみた。場所としては人通りの少ない、木々の中である。狙うなら好都合な場所で、というわけですか――デストダの苦労も知らず、景はそんなことを思った。 「いるんなら出て来たらいかがですか? 敵だろうと礼を失する方とは戦いたくありませんね」 景が眼鏡を光らせた。五月は景の後ろに隠れながら、そっと、 「ブキヨデロー」 とつぶやいた。 「なるほどな、……さすが【伝説の勇士】、……自分の、……気配に、……気がつくとは、……」 「何でそんなに息切れしてるんです」 「誰のせいだと思ってる!」 「さあ?」 景や五月にしてみれば、本当に「さあ?」なのである。まだ、声だけしかしない。 「姿をみせていただきたいですね。僕らは卑怯者と戦っているんですか」 景の口調がわずかに怒気を帯びたものになる。それを受けてか否か――いや、多分、やっと、呼吸が整ったのだろう――デストダが、姿を見せた。 「卑怯者? ずいぶんな言われようだな」 「あ」 五月が声を上げた。 「この人! ヴォルシガのお城にきた……」 「ふん、あの時の奴か。その通り、自分の名は……」 「鳥で虫でカッパの人!!」 五月の半ばはしゃいだ大声が、デストダのニヒルさに勝った。 「鳥で虫でカッパ? あ、次にイエローサンダの総統に仕えるとか言ってた人ってこの人ですか、五月サン?」 「そう。ね、鳥で虫でカッパでしょ?」 景はふーん、と、顎に手を当ててデストダを観察した。 「なるほど、鳥で虫でカッパですねえ。五月サンは観察が上手ですね」 「えっへん」 「生物の授業もそれくらい頑張ったら僕はこんなに苦労しませんでしたよ」 景が少しだけため息をつく。 「何で」 「五月サンと博希サンが気持ちよくお休みになっているとき、僕はお二人のレポートを作って差し上げていたんですよ」 「カエル気持ち悪いんだもん」 「僕がやるとバレるんですよ? 生物の先生に言い訳が大変で大変で」 「でも今までにバレたことないんでしょ」 「それは僕が何とか先生を言い含めるからです! もう少し真面目に授業を受ける努力をなさい」 景はこんなときに、本当に怒っていた。話題がいつの間にかすり変えられていますよ、と、警告する景のわずかな良心は、小さく消えそうになっていた。 「だって、ぼくが起きたらカーくん、ちゃんと作っててくれるから、だからホッとしちゃうんだもんっ」 「じゃ僕のせいですか!? ああそうでしょうね、僕のせいでしょうね!!」 五月はちょっとだけびくっとした。 「だったら僕はこれから何もしませんよ。仲良く博希サンと落第なさってください。僕は一人で平和に卒業させていただきます」 言ってから、景は、しまったと思った。五月が、すんすんと泣いている。 「ごめん。ごめんね、カーくん」 「…………え」 「解ってるの。解ってるんだけど、ぼくの席、とっても日当たりがいいんだもん。眠くなっちゃうんだもん」 「五月サン、」 「寝ないように頑張るから。頑張るから、ぼくのこと置いてかないで」 博希サンはいいんですか置いていっても、と突っ込む間もなく、景はうろたえていた。 「いえ、その、すみません、言い過ぎました。誰も五月サンを置いていったりしませんから、泣きやんでください。僕がそばにいますよ」 「ホントに?」 「ええ。その代わり、授業、頑張らなきゃだめですよ?」 「うん」 五月はやっと泣きやんだ。それを、黙って見ていたデストダは、冷静に言った。 「あまり甘やかすとためにならないぞ」   ?   ?  博希は走り続けて、やっと、スイフルセントの居城の目の前に来た。 「ハア……ハア……長かった……」 迷わなければもっと短かったろうに。 「少し休もう」 ふ――――。深呼吸。吸って吐いて吸って吐いて。  その時、背後で声がした。 「あんたが【伝説の勇士】ね」 「……!」 「あんたに『甘やかす』なんて言ってほしくはなかったですねえ」  二人の話を黙って聞いた上、本来の趣旨とまったく違うことをのたまいだすとは、デストダというヤツ、我慢強い上にディベート好きと見た。……などと細かい分析をしている場合ではなく。 「うるさい。……ここで人生終わらせてもいいんだぞ」 やっとカッコよくなってきた。デストダは少しだけほくそ笑んだ。 「あなたのですか?」 「何でだ!!」 「じゃ誰の」 「お前らだっ!」 「ああ、そりゃそうですねえ、目の前で死なれても後味が悪いだけですね」 「そうだよカーくん、何言ってるのさあ」 アハハハハハハハハ。  ……デストダの我慢は、限界にきていた。

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