窓の中のWILL

Chapter:54 「くふふふふふ」

 翌日、博希が目覚めるのは遅かった。しかも目覚めるきっかけは茜が 「五月兄ちゃんが来たよ」  と呼びにきたことだった。 「朝メシは?」 「お兄ちゃん、熟睡してたから、起きてからお腹空いてたら作ったげようと思って」 「そうか……」 「何か作ろうか?」 「いや、先に五月通してくれ」 「うん」  茜は玄関まで走っていった。五月のてとてとという足音が聞こえ、障子が開いた。 「ヒーロくん」 「五月」 「ごめんね、昨日……カーくんがゆうべ、電話してきて、ヒロくんが、ケガしたって言うから」  五月はそして、すまなさそうにペコリと頭を下げた。 「いいよ別に。今に始まったことじゃねぇだろ、お前の母ちゃん……」 「ん」  その時、茜が、お盆の上に何かを乗せてきた。コップとお椀。 「五月兄ちゃんにはジュースね。お兄ちゃんには今朝のおみそ汁、アサリよ」 「あぁ……」  博希はお椀を受け取ると、ふうと冷まして、みそ汁をすすった。 「景からどこまで聞いた?」 「茜ちゃんに正体バレたってことと、リオールがここに来たってことと、明日コスポルーダに戻ろうかってこと」 「要するに全部聞いたんだな」 「だから今日はお見舞いだったの」 「そうか」  博希は「はふ」と貝を頬張った。貝汁には栄養があると聞く。砂抜きを完璧にやったらしいそのアサリはおいしかった。 「もう体は大丈夫なの?」 「ああ。背中の痛みもなくなったしな、今からでもコスポルーダに行けるくらい回復したよ」 「でも明日行こうね。カーくんとも話したけど、この前と同じくらいの時間にさ、そう朝の十時頃行こうって」 「解った。今日まではゆっくり寝ておくよ」 「うん。お大事にね」  五月はそうして帰っていった。玄関先で「ママー、お待たせー」という声。まさか母ちゃんと一緒だったのか……博希は思った。というよりそれしかあるまい。これから買い物でも行くのだろうか……博希はそんなことを考えながら、貝汁をすすってしまった。残ったアサリを頬張る。 「お兄ちゃん」 「ああ。――明日行くことにしたから」 「そう。あ、貝汁、おいしかった?」 「おいしかったよ。お前ホントに料理うまいな」 「ほめたっておかわりあげないよ」  茜はそういってクスッと笑った。 「そういや、今何時だ?」 「うん? ……昼の十一時」 「そうか……どうもここ最近コスポルーダとの往復で時間の感覚がない」  博希は頭を揺すった。 「もう少し寝とく?」 「いや……うん……父ちゃんと母ちゃんは?」 「まだどっちも家から出てないわ。離婚届け出すには外に出ないといけないし、もしそんなことあったら私が止める」 「っていうか母ちゃんの誤解解く話はどうなったんだっけ……」 「誤解解こうって言った矢先に昨日の爆発だったでしょ、うやむやのまま、まだね」 「父ちゃんと母ちゃんの仲が元通りになったら、じっちゃんとばっちゃんの仲も自動的に元通りになると思うんだ。――俺、母ちゃんに会ってくる」 「その体で?」 「もう大丈夫だって言ったろ? リテアルフィの退却で、海だって元に戻ったんだ。もう、あの二人が意地の張り合いを続けている理由なんてないさ」 「そうね。――私も行く!」  博希は布団から飛び起きた。二人は今度こそ素子の部屋へ行った。 「母ちゃん」 「お母さん」  素子はどこかやつれていた。 「何か用?」 「ロクにメシ食わねぇからそんなツラになっちまって。どこまで意地はりゃ気がすむんだよ?」 「放っといて。どうせこの家、明日には出て行くんだから」 「お母さんっ!」 「そこまで言うならそれだけの覚悟はできてんだろうな? もう離婚届け書いたのかよ!?」 「…………」  素子はふいに黙った。 「お母さん?」 「ひょっとして書いてねぇな……?」 「え?」  茜は素子の顔をのぞきこんだ。 「書けるわけないじゃないの! わたしには書けないわよっ!」 「……やっぱりな」  博希はため息をついた。  ここんとこ自分的に精神がふらついてて、  ちゃんとモノ考えられなかったけど、冷静に考えりゃ、  父ちゃんや、まして母ちゃんが、離婚届けなんか書けるワケないんだ。  ダテに十六年もこの夫婦の息子として生きてきたわけじゃない。  母ちゃんなんか実家に帰った日にゃ、  じっちゃんから追ん出しくらうに決まってる。  博希が茜にそっとそうささやくと、茜は「そういえばそうだよね」と苦笑した。そういう夫婦なのである。素子は黙ったまま、うつむいた。 「ホントは父ちゃんと仲直りしたいんじゃねェのか。このままだと、家ン中バラバラなんだよ。店だって開けねぇし、じっちゃんとばっちゃんまで険悪なムードだし」 「だって、豊がね! ……」  言いかけてやめる。茜もふうとため息をついた。 「あのねえ、お母さん。頭にきちゃったお父さんも悪いけど、お母さんが勘違いしたのも、原因なのよ?」 「勘違い……?」 「父ちゃんが落ち込んだままなの、理由も考えないで腹立てたろ。ちゃんと父ちゃんは父ちゃんなりの理由があったんだ」 「理由……」 「ケンカした日、お母さんの誕生日だったよね。お父さんとお母さんの結婚記念日でもあったよね」 「……あ……」 「……まさか忘れてた?」  素子は恥ずかしそうに頭を垂れる。 「ホントに忘れてたらしい」  博希が言うと、茜はちょっと首をすくめて、言った。 「毎年、この日には、お魚を余計に仕入れて、店で出す分とうちで食べる分と分けてたでしょ」 「だけど今年は海が涸れて、魚が捕れなかった。もちろん市場はガラ空きで、父ちゃんは今夜祝いに出す魚さえ手に入らないのを残念がった」 「多分ね、お店休みにしてでも、お祝いのお魚だけは手に入れようと思ったはずなの。でもそれさえ手に入らなかった……」 「だから父ちゃんはホントに落ち込んだ。これ以上ないくらいに落ち込んだ」 「それで、お母さんが励ましても、ダメだったの。お母さんにお魚、食べさせてあげられないって」 「豊……」  素子はつぶやいて、瞳を少し、潤ませた。 「これで解ったろ。仲直りしろよ、いい加減。もう湖も海も、ほとんど元に戻ってるんだから」 「…………」 「あとはお父さんとお母さんの問題だよね?」 「そうだな。俺たちは出てくか。……ちゃんと仲直り、しろよ」  博希と茜はふすまを閉めた。 「俺、もっぺん寝るわ、明日のために」 「そう? 今晩、ごはん、どうする?」 「……カユで」 「解った。蒸し鶏散らして鶏粥にしようか?」 「そんなことまでできるんか。……頼むわ」 「うんっ。今から買い物行ってくるよ」  茜は財布をつかむと家を出た。  博希は部屋に戻って、もう一度、布団にもぐった。 「最近禁欲的だそうねえ」 「……息子が村で実権を握ったのだ」 「もう跡を譲ったの?」 「馬鹿を言え! 【伝説の勇士】にやられてな」 「ほう、【伝説の勇士】! 遂にオレンジファイにも来たのね」  感動的な声をあげたのは細身の影だった。話し相手の体格のいい影とは対照的に、なよりとしていた。 「ではうちの村でしばらく過ごせばいいでしょう。うちの村に【伝説の勇士】が来たという報告はまだ受けていないからね」 「そうか。……ということは……」 「奉公娘の山よ」 「くふふふふふ」  二人はそうして、しばらくいやらしく笑っていた。 「息子の方はいいの?」 「村再建に気がまわっている。気がつくまい」 「隠居生活は気楽ねえ」 「それを言うな」 「くふふふふふ」  しつこい。  茜特製の鶏粥を食べ終わった博希は、茜に聞いた。 「で、父ちゃんと母ちゃん、どうしてる?」 「それがね。まだ、仲直りしてないみたい」 「なにい?! 厄介だなそりゃ」 「多分ね、一歩進み出られないだけだと思うのね。明日コスポルーダに行くんでしょう? 帰ってきた時には仲直りしてるように、頑張ってみるから。あと一息だと思う」 「お前この家庭の中で一番の良識派だよな」 「お兄ちゃんは違うの?」 「景がいつかそう言ったのを聞いた」  茜はそれを聞いた途端、ぷっ、と笑った。正解のようでもあるし、そう考えると兄に悪いという気持ちもある。笑わずにはいられまい。 「なんだよっ、兄貴に向かってっ」 「やっとお兄ちゃんらしい元気が出たかなって思って」 「……そうか……すまん」  博希は素直に頭を垂れた。ここ数日の元気のなさで、茜には心配をかけてしまったらしい。茜は茜なりに元気を装っているようでも、家のことや博希のことなどを背負ってうんうんと頑張っていたのだ。 「いいよお。お兄ちゃんの秘密も解ったし、この夏は楽しいものになりそう」  茜はそう言って笑った。 「ポジティブだなあ……」  博希はそう言って、苦笑した。  この夜はそうして、更けていった。  二人はまだ会話を続けていた。どう考えてもこの二人の組み合わせは『マヌケた泥棒の子分』のように思われてならない。ということは彼らの上にいる人物がマヌケた泥棒か……と言うとそれは彼に対して余りにも失礼極まりないのでやめておく。 「実は【伝説の勇士】にな」 「ふむ」 「どう見ても娘にしか見えない男がいて――」 「ほう!?」 「他の輩は『男だ』と言い張っているのだがどうしても娘にしか見えない」 「ほほう……ということはそれなりに可愛らしいということね?」 「そういうことだ。事実確認しようかと思ったがその度に邪魔が入って未遂に終わっている」 「……では私が事実確認しましょうか?」 「どうやって」 「それらしき集団が村入りしたら、スキを見てかっさらえばいいでしょ」 「大胆だな。……事実確認できたら、なんとする?」 「もし娘ならばそのまま奉公。――男ならば――まあ仮に男でも、可愛らしければそれもまた一興」 「ふふ…………」 「くふふふふふ」  だからしつこい。というかむしろ、この相談は非常に危険なものである。限っていえば特に五月にとって。 「貴様の奉公は奉公では終わるまい?」 「よく解っているじゃないの。――【伝説の勇士】に関しても同じこと。それでも何日かは様子見に徹しておくけれどね」 「賭けてもよい。二日で貴様、陥落するぞ」  賭けられても困るがその宣言はなおさら危ない。  いかにもな悪巧みは夜明けまで続くことになるのであった。  朝、博希は気持ちよく目を覚ました。 「んー」 「お兄ちゃん、体どう?」 「ああ、茜。もう完璧だぜ。朝メシは普通のごはんでいいよ」 「そう思って、もう、用意してあるの。今日はシャケを焼きました」 「待ってました!」  博希はいつもの服に着替えると、食卓に向かった。やはり両親祖父祖母ともに出てきてはいないが、多分、今日中にはなんとかなるだろう。もしも帰ってきてもまだくすぶってるようなら、部屋に殴り込んででも仲直りさせてやるからな、博希はそんなことを茜に言った。 「だいじょぶ、なんとかなるでしょ」  どうにもポジティブ思想の茜。まあ、ネガティブになられるよりマシだよ、博希はそう思った。 「それよりもお兄ちゃん、うんと食べて、リテアルフィなんかに負けないでね!」 「おう! おかわり!」  博希は朝ご飯をもりもりと食べて、家を出ることにした。 「じゃ、行ってくる」 「ちゃんと帰ってきてね?」 「……まぁ長くなっても昼……過ぎくらいにはなると思うけどなぁ、今までから考えても。ともかくリテアルフィとだけは決着つけて帰るぜ」 「うんっ。勝利の報告待ってるねっ」  茜はそう言って博希の背中をてん、と押した。博希は手を振って家を出た。 「おはよー、ヒロくん」 「おはようございます、博希サン。体のほうはいかがですか」 「うん、すっかり大丈夫だ」  三人は温室前に集った。 「じゃ、行きますか?」 「おう、早く行こうぜ」 「うん」  だがその時―― 「お前らなにやってんだ」 「!」 「センセ……」  零一が校門の近くにいた。 「今からご登校か? アド」 「まあな。それよりもお前ら、温室は立ち入り禁止だぞ。何をしている」  三人ははたと困った。これではコスポルーダに行けない。 「あのね、あのね、んとね……」  五月は腕をはたはたさせながら何か言い訳を見つけようとした。が、見つかるわけもない。景も考えはしたがいい言い訳が見つからない。どうする。 「ほらっ、涼しいうちに宿題でもやれ。家に帰れ」  零一がそう言った瞬間――背後で、博希がゆらりと動いた。 「たー」 「ほぐおっ」  零一の首筋に強烈な一撃! そのかけ声は非常に気の抜けたマヌケなものであったが、不意をつかれて零一はその場にうずくまる。 「……ヒロくん」 「博希サン……大胆ですね」 「ゴタゴタ言うな、今のうちに行くぞ!」 「はいっ」 「うんっ」  三人は急いで温室の中に入っていった。  ビカッ、と、温室が一瞬だけ光って、それぎりその周りは静かになった。 「…………」  零一は静かに起き上がった。 「……まさかそこまでしてコスポルーダへ行こうとするとは……」  立ち上がって温室をじっと見つめる零一。その瞳に、鈍い光が浮かんでいた。 「スカフィードっ!!」  “ほころび”から飛び下りるなり、博希はそう叫んだ。 「博希!? ああ、五月も景も」 「今すぐオレンジファイに向かうぜ! 心配すんな、メシは食ったから!」 「は? は? ……」  スカフィードは唐突にそんなことを言われたことで、しばし、面食らった。 「やっと博希サンに元のような元気が出たんです。彼のしたいようにさせてあげましょう」  景があとから出てきて、そう言った。 「なるほど。解った。ではすぐにフォルシーを呼ぼう」 「ええ、そうしてください。すみません、なんだかゆっくりする暇もなく」 「いや、私的には嬉しい」 「なんでえ?」 「やっと勇士らしくなってくれたようで」 「……ああ……」  景は少し納得した。  スカフィードが呼んですぐに、フォルシーがやってくる。 「理屈抜きでオレンジファイへ急いでくれ!」 『承知しましたっ!』  大きな翼が舞った。 「……せわしいなあ……」  スカフィードは翼のはばたきを見送ってそうつぶやいた。  いつかまたゆっくり話すこともあろう。彼は苦笑まじりに言うと、家に戻って鍋に火を入れた。 『お膝元の村に行ったほうがよろしいでしょうか?』 「ん? んー……」 「どうしました?」 「いやな、ディルの村がどうなったのか気にもなるなあって……」 「ああ、そういえばあれから一年くらいはたってるんだよね。どうなったのかな?」 「多分――平和になっていると思いたいですが――寄りますか?」 『先日の村の隣がお膝元ですが――』 「じゃあ、お膝元でいーや。もしかしたら会うこともあるだろう」 「そうだね」 『承知しました』  フォルシーはコクリとうなずいて、急降下を始めた。

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