窓の中のWILL

Chapter:68 「円華は私の妻です!」

「今……」  父様、あなたは何をおっしゃったのですか? 景はなんとか、その言葉を飲み込む。 「円華が、心配なのです」  清一朗はもう一度、含めるようにそう言った。ただし、景にではなく、愛羅に向かって。 「清一朗! この危険な時に、あなたはわたくしを守らぬのですか! わたくしはあなたの母親ですよ!」 「円華は私の妻です!」 「!」  一瞬、愛羅が呆気にとられる。無論それを傍で聞いていた景も呆気にとられた。こんな言葉を清一朗から聞いたのは、生まれて初めてだった。清一朗はそれきり無言のまま、二階へと続く階段をのぼりかけた。が、その時、  グラ……ッ!! 「うあっ、」 「ひいっ」  屋敷がタテヨコに揺れた。 「円華……っ!」  清一朗はそのまま階段をかけのぼる。景もなぜか、足が動いていた。 「母様!」  しかし、 「か、……」  景が円華の部屋に入りかけた時、その目に飛び込んできたのは、立ち上がれない円華をしっかりと抱き締め、 「大丈夫だ。私がいる」  とささやく、清一朗の姿だった。 「父……様」  そのつぶやきが聞こえてか否か、円華は清一朗に向かって言った。 「清一朗さん、行かなくてよろしいのですか。呼び出しがかかっているのではありませんか」 「ああ……」 「わたくしは大丈夫です。清一朗さん、あなたは早く官邸へ向かわれてください」 「…………」  景はそっと階段を降りた。胸の中が、グリグリと痛んだ。  僕は最低ですね。  彼らの息子であるくせに……  誰よりも僕が……彼らのことを解っていなかった……  ポン、と、肩を叩く感触があった。景がふりかえると、それは清一朗だった。景はなにか言わなくてはいけない――と思ったが、喉が動かなかった。 「景」 「はい」  それだけ言うのが精一杯。手の中には汗がじんわりとにじんでいた。 「円華や旭を守ってくれ、景。任せたぞ」 「父様」 「信じている」  清一朗はそれだけを言い残すと、急いで家を出て行った。それだけでよかった。景は清一朗の言わんとするところを理解し、そして、考えた。すでに旭はとく江に支えられて部屋から降りてきていたし、円華も二階から降りてきていた。  ならば。  僕が今すべきことは、ひとつ! 「とく江さん、僕は少し出てきます」 「坊っちゃま……?」 「景さん。どこへ行くのですか? まさか寿司屋の悪童のところへ行くのではありますまいね、この非常時に!」  なぜおばあ様はそんなに鋭いのですか、という質問の代わりに、景はキッ、とした瞳で愛羅を見て、それから全員に言った。 「これが僕なりの、母様やおばあ様、姉様やとく江さんの守り方です」 「景さん」  旭が景を真っ直ぐに見つめた。 「姉様。僕は姉様の言っていることが、やっと解った気がしますよ」  景はそう言って、少し、笑った。旭はただ、静かな海をたたえた瞳で、景を優しく見つめ、うなずいただけだった。 「行って参ります。程なく戻りますので心配しないでください。――戻ったら、ハーブティーをお願いしますね、とく江さん」 「承知しております!」  とく江は胸を張ってそう言い、腕をまくった。 「母様。……僕は父様との約束は守ります。この家も、そして母様たちも、これ以上危ない目には遭わせませんから」 「景さん……」  景の瞳の真剣さに、円華はたおやかな体をくうと曲げてうなずいた。景もうなずき返すと、玄関に向かった。  が、たった一人、ものを言い忘れている人物がいたことを思い出した。 「おばあ様」 「許しませんよ、出て行くことは」 「許してくださらなくてもかまいません。僕は僕です。そして、この浦場家の跡取り息子です。そうですね?」 「それはそうです。当たり前です。しかし、それとこれとは違います」 「いいえ、違いません。それでいいではないですか。言ったでしょう、僕はおばあ様や母様を守るために出て行くのです。お説教ならばあとでたっぷり聞きますから。行って参ります!」  愛羅が止める間もなく、景は駆け出していた。  この屋敷は明治期に建ったものである。空襲ものりこえたほどの建物だ。これ以上どうかなるということはないだろうし、その前に、自分がどうかさせはしない!  「勇猛邁進・鎧胄変化!」 「来たな、最後の一人が?」  身体の周りに、蛇のようにうごめく蒼い光をまといながら、クラヴィーリは静かにつぶやいた。景はそのつぶやきを聞かなかったが、コスポルーダ人とおぼしき人物を認めた瞬間に、ふいに不安に襲われた。  博希と五月がいない。 「……どうして……」 「お前が【伝説の勇士】か……」 「……見て解りませんか。あとの二人はどうしました!?」 「どうやら遅かったようだな。奴らは俺が始末した――」 「!」 「案ずるな、お前もすぐに逝かせてやる!」  蒼い光が、唐突に景を襲う。 「うあっ……!」  景はそれをようようよけると、弓矢を召喚した。 「……どうやら、おしゃべりが嫌いなタチのようですね?」 「聡いな!」  槍のような鋭い光。攻撃の暇がないとはまさにこのことですね――景は召喚した弓がなんだか邪魔に思えてくるくらいはっきりそうつぶやいた。 「聞かせていただきましょう、あの二人は、あなたが殺したのですか!?」 「俺はゴタクは嫌いなんだがな。聞きたければ教えてやろう……俺の魔法をくらって、真っ逆様に落ちていったまま戻ってこないのさ」 「魔法を……! ……真っ逆様に……!?」  景は一瞬絶句して、しかし、なぜか笑みがこみあげてきた。くすくすと笑いながら、景はやっと、矢をつがえることができた。 「なにがおかしい?」 「馬鹿馬鹿しくて笑ったのですよ。僕は基本的に現実主義です。確認もしていない殺人を、僕は信用しません! 乾坤一擲、お食らいなさいっ!!」  ヒョウ、と放たれた矢は、真っ直ぐにクラヴィーリを狙った。避けられることは想定済みである。それくらい強い相手であると、景はこの数分の間で悟っていた。しかし、避けられっ放しですませはしない。景は目の前の、まだ名も知らぬ相手を見据えながら、次の矢をつがえた。 「寸鉄殺人(すんてつひとをころす)!」 「ぬう」  矢はクラヴィーリの脇を、わずかにかすめて低速し、消えた。 「そういえばあなたの名をまだ聞いていなかった。あなたはピンクフーラの総統ですか」  景の問いに、クラヴィーリはさもおかしいことを聞いたかのように、笑った。一瞬、どこから放たれた笑いか、景は解らなくなる。 「……笑っている……!?」 「当たり前だ、俺とて笑う……しかし、さっきの奴らも、そしてお前も、なぜ俺がピンクフーラからの刺客と思うのか……くくく、おかしな話よ」 「違う、ということですか」 「違うさ。俺はブルーロック総統、クラヴィーリ!」  青い光が放たれる。 「くっ」  それをほうほうの体で避けると、景は再び、矢をつがえた。ものを言いながら矢をつがえなくては、この場合、危ない。 「クラヴィーリ……とおっしゃるんですね。ブルーロックといえば僕らが訪ねていない最後の都市! なにゆえそこの総統が動くのです!」 「たまにはこういう番狂わせも面白かろう?」  青い光が、手のひらの中でためられる。景はそれを素早く見、そして、弓を引く手に、きり……と力を込めた。 「レドルアビデの、差し金ですね?」 「他に何がある? ――そらっ!」 「! ……っ」  街中凍りづけの事件は、もちろん、すぐにほぼ全ての人間の知るところとなった。これまでの事件と同じように、街の半分は機能しなくなり、レスキュー関係やマスコミは様々な意味で右往左往していた。  その中で、わずかに冷静に、しかしややもって焦って、影が揺れた。 「……クラヴィーリ……!? 奴がなぜ……まだマリセルヴィネも動いていないというのに」  瞬間。影は背後に、今、いるはずのない気配を感じた。 『解らないか? いい加減に愛想を尽かしかけたのだ』 「ほう。……直接来るとはな……」 『お前が言うから、奴らとも遊んできた。しかし、失うものが多すぎる』 「おかしなことを言う。復活はたやすいはずだが?」 『いつもなにもかもが完全とは限らぬ』 「……計算、違いでも?」 『少なくとも奴らを生かしていることが最初の計算違いだ』 「奴らがそう簡単に死ぬわけもない」 『どうする?』 「……、……解った。こちらでも動こう。そろそろ、」 『ああ。幕を引かなくてはならぬ』  気配は満足したように消えた。ゆらりと、赤い残像がわずかに残った。 「…………」  影は、カツンと床をかかとで叩いた。それから、どこともつかない所を見やり、息をゆっくり吐く。 「……もう、ひと月くらいは、なんとかなるかと思っていたが」  計算がいつも正しいとは限らない。  少しのミスが、少しの虫食いが、計算を狂わせる。  自分の計算式を虫食ったのは――  影は思考していた。近づいてくる足音にも気がつかず。  一筋の蒼き光。景が弓を引くのは、それからコンマ秒ほど遅れた。しかし、矢は正確に光をとらえ、ぶつかり、中心で相殺する形で消えた。  ――ふと景は、思った。  おかしい。  僕の見たところ、クラヴィーリはゴタクをのべるのが嫌いな性格のはず。  さっき本人も――そう言った――なのに、なぜ。  おしゃべりが多すぎる。  まるで僕が遊ばれているような。そんな……  景は再び矢をつがえ、きりきりと引き絞りながら、クラヴィーリをにらんだ。 「おしゃべりは嫌いなのではなかったのですか」  するとクラヴィーリはニッ……と笑った。悪意のこもったのでも、皮肉のこもったのでもなく、正確に、楽しそうに――愉快そうに、微笑した。 「お前は別さ」 「……!? 意味を計りかねますね」 「お前のような聡い奴が、俺は大好きなのさ」 「!!」  景は全身が総毛立つのを覚えた。瞬間的に、この前の門番、オルデの顔が脳裏に浮かぶ。 「御冗談を」 「冗談だ」 「…………それこそ僕の大嫌いな冗談です! 撃破ッ!」  問答無用で放たれる矢! しかしクラヴィーリは、まるでそれが予定通りの行動であったかのように、矢をつかみ、あまつさえポキリと折って捨てると、また、微笑した。 「……俺は気紛れにできているのさ、レドルアビデと同じように。俺の最も悪い癖だがな、すぐに『遊びたがる』……」 「…………」  では自分と現在戦っているのはすべて『遊び』のうちだというのか。この鋭い光が『遊び』。 「博希サンや五月サンとも、遊べばよかったのに。さぞかし楽しかったでしょうが……」  景の放ったわずかな皮肉に、クラヴィーリは手の中の蒼を少しずつ強めながら、応えた。 「遊んださ。ただし、すぐにこの光をくらって死ぬことになったが……」 「!」  話が元に戻ってきた、景はそう思い、また、戦慄して、矢をとった。 「引っかかりますね。確認もしていないのに、なぜあの二人が死んだと解ります?」 「俺の魔法をくらって生きていた者は――今までいない。そして、未来永劫、現れぬ……!」  蒼の光がぐるぐるとめぐりながら、その色を深めて―― 「終わりにするぞ、【伝説の勇士】!」  光が、目の前に迫る! 「っ……ならば、僕らが、その魔法をくらって生きていた、最初の人間になりましょう!」  景はとっさに、弓で自らをかばった。矢をつがえ、なおかつ、それを放つまでの間、そして、身をひるがえす間はほとんど与えられなかったのだ。ただし、景ほど『聡い』人間が、何も考えずにそんなことをするわけはない。弓を前に出した瞬間、彼は、自分が『爆発』しそうになったその直前の感覚を思い出し、そこまで意識を高め、――無論、それは感覚に過ぎなかったから、どこまでその感覚に近づけたかははなはだ怪しいものであったけれど――ある意味で、武器を防具代わりに使ったのである。 「くううう……っ!」  蒼い光がぐいぐいと腕に圧力をかける。強烈なエネルギーが、自分を取り込もうとしている……  駄目だ。僕の力ではこの光を……止められない……  手が緩みかける。ふうっと、蒼の筋がわずかに、腕に絡みつく……  瞬間! 『バカかお前! なにやってんだよッ!!』 「……え……博希……サン!?」  しかし、声だけがして、姿は見えない。 「幻聴? ……」  それだけつぶやいて、我に返る。右腕が輝くような蒼に光っている。腕全体が、心臓まで凍ってしまうような冷たさに覆われている……! 「づううううっ!」  ビリビリとしびれたような感覚。景はそれで、完全に意識が戻った。  そうですよね……! ここで僕まで氷づけになる訳にはいきません! 「乾坤……一擲ィィィィッ!!」  ごお、という音がして、景の手にしている弓が緑色に輝く。その色はまだ淡く、景を守りきるだけの力はないように思われた。しかし、 「……ほう、面白い……!」  ぶわっと、弓にはじかれるようにして、蒼い光は四方に散った。まるでそれは霧のように。まるでそれは煙のように。 「……言った……でしょう、僕はあなたの魔法をくらって生きていた、最初の人間になる……と!」 「それでも――完全ではなかったな」  クラヴィーリは唇のはしをついと持ち上げ、くくうと笑った。 「…………!」  景はその笑みをもって侮辱されたような気分になった。否、間違いなく侮辱されている。彼は唇をぐっとかんで、クラヴィーリをにらみつけた。解っている。解っているのだ。  『防ぎきれなかった』。  腕が……蒼い光の筋の絡みついた右腕が、ぎい――ときしんだ。動かない。  ――凍っていた。蒼く透明な光にとらわれて、景の右腕は、標本のように硬直したまま、動かなかった。 「次は、外さぬ」  瞬間的に、景は身体をひるがえしていた。今、この状態では、なにをどうしてもこちらに勝ち目はない。  ならば…………! 「憶したか、【伝説の勇士】!」  景は跳んだ。  高く高く跳んで、その姿はすぐに、街の中に消えた。 「甘い……すぐにでも探し出してやろう! 楽しい鬼ごっこの始まりだ!」 「安土宮先生」  足音が、扉を開いた。 「まだ、いらっしゃったんですか? このあたりは避難勧告が出ましたよ、早く行きましょう」  同僚教師の声に、零一は我に返ったように立ち上がった。 「――ええ。もう、行こうと思っていました」  パタンとノートパソコンを閉じ、笑顔で零一はそう言うと、少しだけ――ほんの少しだけ、唇のはしを持ち上げた。  しかし、それは、彼より二歩先を歩いていた同僚には、見えなかった。

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