窓の中のWILL

Chapter:65 「……今日は……僕だけです」

 彼は帰りたくなかった。  できるならこのまま失踪してしまいたいとも思った、冗談を抜きにして。 「あの」  ぽつりと口を開くが、到底、目の前の人物に勝てるものではない。 「……踏みつけられた。土にめり込ませられた。……気を失った」 「それは甚だ不可抗力で、」 「そして自分込みで一面を花に飾られた!」 「ひっ」  びくっ。体が震える。 「俺はお前のそんな働きを望んでいるわけではない。解っておろう? ……進んでいるか、“砂”探しは?」 「一応は進んでおりますが、如何せんモノがモノだけに――」 「……お前まさか“砂”がこの世界のあちこちに散らばっているなどと思っているのではあるまいな」 「は……!?」 「図星か。――そんな訳があるまい!」 「ひっ」 「いいか、あの“砂”には普通のものと違う重力がある。お前は風にでも吹き飛ばされたものと思っていたのだろう……それは有り得ぬ! 風でなど飛ぶものか。必ずどこかにあるはずだ、探せ!」 「……何故です?」 「なんだと?」  初めて、聞き返した。 「なぜ、急くのです。レドルアビデ様、あなたは何故にそう急いて、“砂”を」 「……『読心』せぬのか」 「すればあなたはこの自分を“砂”に変えるおつもりでしょう」 「……フ! ……デストダ、そのことについてはいつか分かる時も来よう。今は言わぬ。ただ俺の言うことのみを聞いていればよい」 「……は」  彼――デストダはそのまま飛び去った。レドルアビデと呼ばれた赤き影は、【神の羽衣】を風に翻らせ、つぶやいた。 「ほどけた糸は織り直さなくてはな……お前の記憶は俺には要らぬもの……」  景は自分が再びアイルッシュの土を踏んだ時、そこが自分の教室であったことに気がついた。幸い一年生は特講休みのために、誰もいない。二年生や三年生にしても教室が違うので、今のは誰にも見られていないはずだ。  景の背中で、不安定な“ほころび”が、ういんと閉じた。時計を見る。屋上で“ほころび”をくぐった時から、ものの十分ほどしかたっていなかった。当然ですね、一晩でしたから。景は思いつつ、自分の席に座った。  もう、さっきのような不安定な気持ちは薄れていた。  僕は何を考えていたのでしょう。  オルデといったか、あの門番のあの微笑を見た時、景は確かに戦慄した。今までの敵に感じたものではない。少なくとも別の感情。  違うと思いたいけれど……  僕はあの時、オルデに父様の影を見た、そんな気がした。  父様もそういえば、笑わない……  少なくとも僕の前で笑ったことはない。  ならば?  父様は、母様の前で笑ったことは……あるのでしょうか……  景の脳裏に、オルデの屋敷で目覚める前に見た夢が思い返された。母親――円華がひとりでたたずみ、今にも危ない目に遭おうとしているのに、父親は――清一朗はどこにもいない。円華を助けに来ようともしない。ただ景のみが、動けず、叫び続ける。「かあさまを助けて」と。そんな夢。  ぞくりとした。あの夢がリアルにこびりついて、離れない。  父様は、母様を、どう思っているのでしょう。  昔、姉の旭や、お手伝いのとく江に聞いた。清一朗と円華は見合いで結婚したという。それも清一朗二十六歳、円華十八歳のことであったらしい。年齢差のことだけはずいぶん前から景も知っていたし、旭が生まれたのは円華が二十歳をやっと数えた頃のことであること、以後なんと十年経たなければ自分が生まれなかったこと、そして二人の子を産んだことでずいぶんと円華の体に負担がかかっていることも、彼は聞かずとも解っていた。  折れそうな円華の華奢な雰囲気はずいぶん前からであったのだ。それを体に負担までかけて二人もの子供を産んだ。円華の苦労はいかばかりであったろう。しかし、それを、祖母の愛羅や清一朗が祝福したかは甚だ謎であった。ことに今の景にとっては。  納得がいかない。  父様は母様をなぜ労らないのです。  おばあ様はなぜ母様を虐げるのです。  少し前に博希の家で遊んでいた時に、よくある『嫁姑の相談室』という番組が景の興味をひいた。博希にとっては景がそんなものに興味を持つこと自体が珍しく面白かったらしい。 「なんだよ。お前もなんかゾクっぽいの好きなんだな」  無論この場合の『ゾク』とは当然『俗』である。『族』ではなく。そして景がその番組に惹かれたのも、その時には説明のしようもなかったが恐らくは自分の家庭と少なからず重ねていたせいがあったのだろう、と、今になって彼は思う。  もしも、  二人の結婚が、  愛のないものだったなら。  そういう話は現代でもわずかではあるものの存在するらしい。もし自分の両親も、見合いによって無理矢理結びつけられたものであったなら、愛情などかけらもあるまい。  愛していない。  虐げられるから、それに耐えられないから、別れたい、だが、 「ただ……世間体のためだけに、離婚ができない……」  そういうことも考えられる。つぶやいてみて、その台詞そのものに、景は心臓が跳ねた気がした。  それが事実なら。 「……落ち着きなさい、僕……!」  つぶやいて胸を叩く。それでも一度考え出すと、この天才少年の頭脳はどんどん深みにはまってゆく。  違う。僕はそういうことを考えたいのではないのです! 「……え?」  じゃあ、何を?  僕は何を考えようとしていたのですか?  その時、 「浦場か?」  どきり。景の混乱は一瞬、止まった。 「今日は特講休みだろう。自習か?」  景は教室の扉の所に、零一の姿を認めた。 「ええ、まあ。先生こそ何を」 「俺は一応教師だぞ。他の学年を教えに来たのさ」 「ああ……」  ぼんやりとした納得。まとまらない頭で、景は立ち上がった。 「いいよ、ちょっと顔出しただけだから。……松井と若林はどうした?」 「……今日は……僕だけです、どうかなさったのですか?」 「――いや。お前ひとりなのは珍しいと思った」 「そうですか……」  僕はいつもひとりですよ。そう言おうとして、また、心臓が跳ねる。嫉妬とも何ともつかない感情が、胸の隅からわいてくる。  いつから僕はひとり?  いつから僕はあの二人と……?  いつから僕は、 「まあ、いいや。じゃあ、あんまり根つめるなよ」 「えっ……はい」  この教師は、どうにも人の考えを途中で停止させるのが上手いらしい。景はやっとそれだけ言葉を返してため息ひとつつくと、教室から去る零一の背中を見送ってから、教室を出る決意をした。  帰りましょう。  いつまでもここに居たところで――何が解る訳でもない。  当然、自分がつい昨日まで是が非でも零一に接触しなくてはならないと思っていたことなど、今の彼のアタマからはきれいさっぱり吹っ飛んでいた。 「ただいま帰りました」  本当なら寄り道でもして帰りたいところだったが、不安定な気持ちのままでは寄り道をしたところで何の収穫にもならない。景はいつも以上に重たい気持ちを抱えて、まっすぐ家に戻った。  それでも、彼の周りはいつもどおりだった。とく江は景の声を聞くなり、玄関に飛んで来る。 「お帰りなさいませ、坊っちゃま。お早かったのですね?」 「――はい。――」  その返事はどこか曖昧だった。とく江は景の表情を少しだけうかがうと、 「お茶はお部屋の方でよろしいですね?」  と聞いた。彼女なりの気づかいである。 「そうしてください。……」  それが解っているだけに、景には唇の端を持ち上げるのだけが精一杯の礼儀だった。そのまま景はふらふらと部屋に入っていった。  さて。博希と五月はコスポルーダで何をしているのか、というと―― 「ねえ、ヒロくん。どうするのさ」 「どうするったってなア。とりあえず一晩野宿しちゃアみたが、景のヤツ、戻ってきそうにねェし……」  景が“ほころび”を作った森の中で、うだうだと時間をつぶしていた。 「だけど、ここでこうしていても仕方ないよね」 「あの近眼野郎が追っかけて来ねェとも限らんしなあ。俺たちも帰った方がいいかなあ?」 「まだ言ってる。あの人近眼じゃないよ。むしろ目はいい方だと思うな」 「お前ここにひとりぼっちにされたいらしいな!?」 「やだい」 「だったら――――」  そこまで言って、博希は、背中に危険な風が流れるのを感じた。生まれついての格闘バカ……もといケンカマシーンである博希であるがゆえの特技というべきか。瞬間、博希は五月の口を押さえていた。 (むぎゅ) (静かにしろっ。誰かいる)  本当は背中というほど近くはなかったが、二人の危機感をあおる意味では十分な距離だった。博希と五月にははっきり『誰か』の姿が見えていた。 (あの人!) (近眼野郎!!) (……なんでオルデって呼んであげないの?) (あんなヤツ、近眼野郎で十分だ!) 「いるのでしょう? ……出てこないと本当に殺しますよ、【伝説の勇士】さん?」 (!)  博希も五月も冗談と本気は解っているから、その言葉に嘘がないことは瞬時に理解した。そしてまずいと思ったのは、今この場に景がいないこと。向こうの狙いは誰でもない、他ならぬ景なのである。問い詰められるくらいならまだしも、実力行使に出られたら、あの変態に完全勝利できる自信は今のところなかった。無論力では勝てるだろうが、その前に彼を目の前にして身体が動くかどうかが甚だ怪しかったのである。  ここは逃げるしかない。二人は無言でうなずき合って、それから、這ってその場を立ち去ろうとした。が、 「そこですかっ!」 「うはあっ!?」  気配を読まれた!? 博希と五月は飛び上がらんばかりに驚いたが、さすがに実際飛び上がると串刺しにでもされかねない。姿を見せないように這う。それでも、剣呑な気配はとどまることを知らない。 「私から逃げられるとでも思っているのですか? 言ったでしょう、どこまでも追い詰めるとね……」  博希と五月は身を潜めたまま、冷や汗を流した。 (どうするの!?) (どうしようったって……どうする……帰るか?) (帰るって、ぼくらの世界に? だって、無断でこの村を出たら、厳しい罰が待ってるって誰か言ってなかったっけ!?) (だけどよ、景ももう帰っちまったし、こうなったらもう出ようが出まいが一緒だろーがっ!)  両方とも正論といえば正論である。それにここでこのまま平ぺったくなっていたところで、事態に進展が見られないことくらい、解らない二人ではない。 (……解った。カーくんのとこに、帰ろ?) (おう、“ほころび”作るぞ!)  二人はがさっ、と立ち上がった。それがオルデの目に入らないはずはない。 「見つけましたよ!」 「きゃーっ、ヒロくんっ!」 「いくぞっ、ホールディア!!」 「何をたわごとを、……!?」  博希が叫んだ瞬間、現れた黒い歪み。それはまぎれもない、“ほころび”。 「急げ五月!」 「うんっ」 「くっ……なんです、それは!? 待ちなさい!」 「待てと言われて待つアホはおらんッ!!」  それが最後の言葉だった。博希と五月の飛び込んだ残像のみを残して、“ほころび”は消えた。 「な……っ」  オルデにしてみれば“ほころび”を見たのは初めてだったし、ここがいかに『魔法』が日常的に常識とされている世界であっても、目の前からいきなり追っていた二人が消えたという事実は、彼に相当な動揺を招いた。 「……まあいい、あなた方が消えたところで何も変わりはしない……!」  オルデは唇の端に微妙な笑みを浮かべると、踵を返して走り出した。  この変態門番、まだ何かをしでかしそうな気配である。  景が“ほころび”を作った地点に近かったせいか、博希と五月が降り立ったのは、自分たちの教室の、ほんの目の前の廊下だった。ただし、それに気がつくより先に、彼らには気がついたことがあった。 「うひゃ」 「きゃん」 「ごふぁ」  またひとつ悲鳴が多い。今度は二人とも、前よりは冷静になれていたので、気がつくことができたのだ。恐る恐る、博希と五月はお互いの足下を見た。 「!」  二人の足の下には零一がいた。動かないところを見ると、どうやらいっぺんに二人に踏まれて、気でも失っているらしい。博希と五月は零一の背中をどしどし踏みながら、慌てて、無言で会話した。 「!!(アドだよアド!!)」 「~~(ああもうヒロくんたらぁ~~)」 「!?(ところでなんでここにアドが居るんだ!?)」 「?(ここ学校でしょ? いてもおかしくないんじゃない?)」 「!(しまった! もしかしてアドにバレたかな!)」 「……(それはないと思うけど……)」 「……(よし。ともかく降りよう)」 「?(そいで、もう、帰ろう?)」 「(了解)」  二人はそれで、やっと背中から降りた。零一はノシイカのように床に伏せたまま、未だに動いていない。博希と五月は荷物を担ぐと、逃げるように教室をあとにした。 「坊っちゃま、お茶をお持ち致しました」 「あぁ……ありがとうございます」 「はい」  とく江からティーカップの乗ったトレイを受け取ると、景は机の上にそっと置いた。だが、カップに口をつけることはなかった。机に向かう気力も、今の景にはなかった。  きちんとメイクされたベッドの上に、ぼふんと顔をうずめる。モスグリーンの波が、自分の体を巻き込んでわずかに揺れた。  これはどういう気持ちなのでしょうか。  精神分析上は――――   自分の心の分析など、できるわけもないのを知っていて、景は布団の中でもごむがとつぶやいてみていた。  リズムが著しく狂わされている感覚。だけど――――  今日ぐらいは……僕のリズムは狂いきってもいい。  そんなことを考えてしまう。  眠りたい。だが、眠ることはできなかった。 「ただいま帰りました」  玄関のドアが開く。とく江がいそいそと迎えに出ると、それは景の姉の旭だった。 「お帰りなさいませ。お早いお帰りですね」 「いえ、書類を取りに戻ったのですよ。……あら……」  ふいに、旭は靴棚に目をやった。いつもはこんな時間になかなか見ない靴が、靴棚に収まっていた。 「……景さん……家にいるのですか?」 「あ……ええ、今日はお早かったようで。ただ、……」 「ただ?」 「少し、元気のないご様子でしたが。一応お茶だけは持ってゆきましたけれども」  旭は少し考えた。さすが景の姉だけあって、この才女には景の元気のない理由が、考えてとれたようであった。 「……とく江さん、電話をお願いします」 「お嬢様、何を……?」 「今日は半休を取ります」 「え!?」 「お父様とおばあ様には内緒ですよ?」  旭はいたずらそうに、少し笑った。旭がなんの考えもなしに半休を取るような娘ではないことはとく江には解っていたから、彼女は黙って電話を持ってきた。  景はその頃どうしていたかというと、旭が帰ってきて、なおかつ半休を取ったことも知らず、部屋からふいと出てきていた。部屋にいてもくすぶるだけだという考えに基づくものであることは言うまでもない。  長い廊下を歩く。時代がかった装飾の施されたその廊下は、今の景にはいつにもまして冷たかった。ため息をついて、顔を上げる。  その時、景は、今ここにはいないはずの人物の顔を認めた。 「景さん」 「姉様……?」

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