Chapter:63 「……夢かあ……」

 不本意な表情のままの博希は、門前に用意されたお立ち台に立たされた。門の中で見守る景と五月は、その光景がなんだかおかしくて、くすくす笑った。 「お前らひとごとだと思ってッ」 「黙りなさい。……言葉、1。書き留めて」  カルテのようなものを持った別の門番が、たぶん“1”と書く。 「通信簿のようなものなのかなあ?」 「きっとそうでしょうね。合計点数でこの村へ入れるか入れないか決めるつもりでしょう」  門の外ではお立ち台上の博希と門番とがやいやいやっている。まあ夜になりつつあるため他に村に入ろうとする者もいないようなので、そういう意味ではゆっくり審査してもらえるだろうが……。 「脱ぎなさい」 「脱ぐだア!?」 「体が美しくなければ顔が美しかろうと意味がない。脱ぎなさい」 「…………」  博希は門の中の方に目をやった。景と五月がジェスチャーで『脱いだ方がいい』と言っているのが解る。もちろん博希だってそんなことが解らないわけではない。脱がなかったらきっと自分だけ追ん出しをくらうだろう。博希は自分のTシャツをぺろんとめくって、上半身だけ、裸になった。ほどよく筋肉のついた健康的な身体。 「ふむ。身体、5」 「イエーイ」  何がイエーイなのかよく解らないが、とにかく博希はその点数に喜んだ。これでひとつ門の中に近づいたとでも思っているのだろうか。 「では最後に顔。集まりなさい」  その合図で、男女とりまぜて十人ばかりのキレイどころが博希の周りを取り囲んだ。 「うわ」  じ――っ、博希の顔をのぞき込むようにして見つめる十人。博希はとりあえず顔を崩さないように努めた。  実際は五分もなかったその時間だが、博希にはまるで三十分にも一時間にも思えた。十人がぱぱっと博希から離れた直後、彼はへなへなとお立ち台に座り込んだ。 「では点数を」  十人が数字の書かれた札を一斉に上げる。 「3、5、2、4、3、5、4、5、5、4。……合計40、平均4。書き留めて計算」 「――合計点数、10です」 「10? 一点足りないな」 「一点足りないっ?」  そのセリフは博希だけでなく、景や五月からも発せられた。 「まけてくれねェかな一点くらい」 「だめ」 「何がだめだよっ。だいたいなんださっきの『2』って。『2』ってどーゆー了見だよっ」 「それはもう好みの問題だ、『5』だってあっただろう」 「むき――――」  その場はもはや一触即発状態、あわや博希だけ野宿かそれ以前に彼が何かしでかすか――と思われた時、五月が先程『パスさせてくれ』と頼んだ門番が、五月と景の方を少し見た。 「?」  責任者らしい門番に、ひそりと何かをささやく彼。景はその光景を見て一瞬、この先のことを的確に計算したあげく五月の身に起こるかもしれないことを懸念して、五月をかばうような姿勢をとった。その計算が正解であったかどうかはさておいて。  門の外では責任者風の門番が博希に何かを告げているところだった。 「――では行きなさい。帳面への記入を忘れぬよう――それから、」 「えっ!? いいのか行っても!?」 「特別に許そう。そこの二人にも言わなければならないことなのだけれども、――くれぐれも許可なく村を出ぬように。出た時は重罰が待っていると知れ」 「重罰」  そうつぶやいたのは景だった。 「では村を出る時はどなたに許可をとれば?」 「執政官様に」 「……なるほどう」  そう言ったのは景にコスポルーダ語を聞きながら帳面を書いていた博希。ちかっ、と、危険な光が瞳に宿るが、景が「駄目ですよ博希サン、まだ何も解っていないのに」と目で語って事なきを得た。まったく好戦的な少年である。  こうして、長いことかかったがやっと三人は村入りすることができた。 「疲れたよ。最初に見つけた宿に入ろうぜ」  あーふ、博希はあくびをひとつする。 「……とりあえず、戸締まりが厳重にできる宿にしましょう、それから今夜は食事は抜きで」 「お前本気で言ってんのか!?」 「五月サンがまたさらわれても知りませんよ」 「なんでそんなこと解るんだよ?」 「実は、」  博希のあずかり知らぬさっきのことを、景は路上でとうとうと話して聞かせた。無論そこまで長い話ではなかったが。 「フーン、なるほどなア」 「じゃ、どうしよう? どこのお宿に泊まろう?」 「いえ、そうは言っても、僕や博希サンがすぐに目を覚ますことができれば良いのですからね――、……失礼ながら、むしろこの村に、そんなにたくさん宿があるとも思えませんが」 「どっか、人ン家で聞いてみないか」 「そうだね」  近所の家を訪ねて、三人が得た結論は、『この村に宿はひとつしかない』というものだった。 「……じゃそこに行くしかないわけだ」 「そういうことでしょうね」 「それじゃあ早くいこ。ぼく、眠たーい」  五月がそろそろむずかり始めた。博希は五月の背中をぽんぽんと叩きながら、宿らしき灯を探した。 「……アレ違うか? ほら、なんかそれっぽい」  博希は夜目も利くらしかった。彼の指し示した先には、どうやら本当にそれらしき宿の灯が見える。 「行こうぜ」  そこまで行くのに時間はかからなかった。もはや眠りかけた五月をおぶった博希の代わりに、景が戸を開ける。  からり。 「ごめんください。お部屋をお願いしたいのですが」 「はあい」  奥から出てきたのはナイスミドルという文字のよく似合う男性だった。 「……は」  景は少し、呆気にとられた。美青年がきれいに年を取ったら、きっとこんなふうになるだろうという見本のような顔だったのである。 「お三人様ですか?」 「はっ、はい……すみません、一人すでに眠りそうなので、部屋の方を急いで用意していただきたいのです」 「承知しました。そちらの方、どうぞ――ああ、あなたはしばらくお待ちくださいね」  景にそう言い残して、ナイスミドルは博希を伴って階段を上がっていった。  景は少し宿の中を見回した後、ロビーのソファーに座った。そういうつもりはないのだが、どうも周りが気になる。床はきれいに磨かれ、塵ひとつない。古びた感じはあるものの、清掃がきれいになされているせいだろう、全体に清潔感の漂う宿であった。つい、と窓枠に指をやっても、指はきれいなままで、景は冷静に気味が悪くなった。  潔癖にも程がありますね。  彼の脳裏に、今更ながら昼間のフォルシーの言葉がリピートする。『あらゆる意味で美しいものの立ち入りしか許していない』……。要するに汚れたものは自動的に追い出すと、そういうことなのだろう。ならばこの宿の奇妙な清潔さも納得がいく。この村に入ったのはさっきで、しかも夜だったからよく解らなかったが、たぶん明朝村を歩けば、ゴミなど見る影もないほどに美しい世界であるに違いない。  だけども。  なにか……うなずけない。 「いけませんね、一人になると余計なことを考えてしまう」  首を振る。その時彼は、ふいにカウンターに目がいった。 「うん? ……」  小さな小さな写真たてが置いてある。フレームの中では男性と女性が微笑んでいた。 「これは……ご主人では」  つぶやく景。フレームの中で微笑む男性には、この宿の主人であろう、先程のナイスミドルの面影が少し、あった。  では隣で微笑む女性は? 「私の恋人です。いや、でしたと言うべきですか」  突然背後からそんな声がして、景はどきりとした。すんでのところで写真たてを取り落としそうになる。 「あ……すみません」 「いえ、良いのですよ。――お友達はお二人とも、ぐっすりとお休みになられました」 「そうですか、ありがとうございます。……あ、宿帳をまだ書いていませんでしたね」  景はカウンターに向かって、さらりさらりと三人分の名を書いた。その間に奥へ下がっていたナイスミドルは、カップをふたつ、持ってきた。 「どうです、今入れてきましたが」 「ああ、いえ、僕ももう、部屋へ下がりますので」  そう言って階段を上りかけた景の背中に、つぶやくような声がぶつかった。 「――その写真の女性ね――私の、恋人だったんです」 「……それはさっきもおっしゃいましたね。だった、というのが引っかかりますが……結婚、なさらなかったんですか?」 「できなかったのです」 「できなかった? どちらかの親御さんが反対でも」 「執政官様の反対がありまして」 「はい?」  景は呆気にとられた声を上げたが、瞳には微妙に剣呑な光を浮かべていた。完全に浮かべられなかったのは……心に、なにかが引っかかっていたから。それが何であるか、はっきりとは解らなかったけれど。 「執政官……様が反対したら、結婚も適わぬということですか? それほどの権限を執政官様はお持ちと?」 「……ええ……」  主人は自分のものであろうカップの中身を一口飲んだ。  景は自分の喉が、ぱり、と音を立てるのが聞こえたような気がした。……渇いている。つられる形で、景もカップの中身を飲んだ。 「それであなたは今もひとり?」 「――そうですね。今更別の相手を探しても――今はただ、彼女の幸せを祈るのみです」  どくん。 「幸せを……彼女はすでに結婚を?」  どくん。  この……心臓が泡立つ感じは一体? …… 「ええ。だけども彼女が傷ついてしまうのだけは嫌です。たとえ他人のものになったとしても――私は彼女を守りたい。……どんなことをしてもね」 「――え」  どくん。  瞬間、景は背後に剣呑な気配を察知した。立ち上がって振り返るが、姿は見えない。その時、――足下が、奇妙にぐらついた。自分の身体そのものがぐらついたのだと理解するのに、しばし時間をとる。 「……!?」  まさか、と思った。それと同時に、なぜ、自分が――という疑問もわいた。だが口がうまくまわらない。 「なぜ、です、な……ぜ!」  一体何に対して疑問を投げかけているのかも解らないが、景は誰でもいい、自分でも構わない、誰かから何か答えが欲しかった。『自分は薬を飲まされたのだ』という、解りきった回答以外の、何か。  頭がぐらぐらする。さっきいきなり立ち上がったのが、恐らく薬のまわりを早くしたに違いなかった。景はソファーを支えにようやく立っていたが、やっとその時思い立って通信機に手を伸ばした。 「ひろ……きさ……」  そこまで言って、後ろから通信機をつけた方の腕を掴まれる。体から力の抜けていくのを感じながら、景はぼんやりと思った。  誰です。  僕の腕を掴むのは……  ご主人ではありません、よね。  だってあなたは目の前にいる……  景の目の前では、主人が、これ以上はないくらい悲しい瞳で彼を見つめていた。 「なぜ」  つぶやいたきり、それが景の最後のビジョン。 「――――んあ」  博希がわずかに目を覚ましたのは、ちょうどその頃だった。もちろん部屋は真っ暗で、五月がどこに寝ているのかもはっきりしないし、景の姿も――無論それは当然のことなのだが――見えない。 「……夢かあ……」  なんの夢を見ていたのか、彼はもう一度毛布をかぶって、いい寝息を立て始めた。 「ありがとう。念のために来ておいて良かった」  ぐったりとした景の身体を支えたのは、さっき後ろから彼の腕を掴んだ人物。 「――お約束の方は――」 「解っている。ああ、でも私はともかく執政官様はどうでしょうね?」 「え……!?」 「私はもういいですよ。この子が居るからね」  景の少しほつれた髪に指を通して、人物はそう言った。 「ですが、」 「執政官様がどうなさるかは解らない」  主人はぞくり、とした。冷たさを含んだ瞳と声に、動けなかったのだ。 「それじゃあ」  人物は景を軽々と抱え、出ていった。主人はその背中をぼんやりと見つめ、肩を落として、 「…………っ」  涙をこぼした。  朝、博希は至極自然に目を覚ました。いつもなら景に起こされるまで起きないのだが、今日は…… 「うぉぃ、五月ぃ。起きろぃ」 「うーん。……」 「仕方ねェな、おい景、お前五月を……、……景?」  博希の寝ぼけていた頭が一気に覚めた。景がいない!? 「五月ッ。景知らないか?」 「知らなあい……」 「いないんだよあいつっ」 「どうしてぇ?」 「俺が知りてェよンなコト! 布団がえらいキレイなままだし荷物は置きっ放しだしッ。起きろとにかく!!」 「あ――ふぅ」 「あくびしてる場合かっ。……っかしーな、ドコ行ったんだあいつ?」  五月は布団からもそもそと出て、髪を梳きながら、言った。 「とりあえず朝ごはん食べない? カーくん、どこかお散歩してるのかもよ」 「――そうだな。そうすっか」  二人は階下に向かった。朝食をとっていれば戻ってくるだろうというとても単純な考えが、二人の頭を支配していた。  用意された簡単な朝食をとりながら、博希は思い出したように言った。 「そういやあ、」 「どしたの?」 「今朝ちゃんと起きられたのさ、夢見たからなんだ」 「ユメ?」 「景の夢」 「カーくんの?」 「うん。……なんだっけか、ちっちゃな景が、誰かに手を引かれて――遠くに行っちまうような」  カチャーンッ! 厨房で音がする。無論それは主人が皿を取り落としたからだ。それが解らない二人ではない。 「割れたかな」 「割れたな。……そう、そんな夢さ」 「ふうん、ふしぎな夢だね」  主人が何故に皿を取り落としてしまったか、真意が見えるわけもなく、二人は来ない景を待ちながら、夢の話をしながら、朝食をとりつつ朝を過ごした。  どくん。  どくん。  どくん。  なにかがみえる。  このヴィジョンは?  ――あれは……  「かあさま、」  折れてしまいそうな白さのそのひとは、  自分のはるか先を行く。  ひとりで、  どこへ……  「そっちへ行ってはいけません、かあさま、そっちは」  あぶない。  それは解っているのに。  動けない。  「とうさま、」  どこへ行ったんですか?  かあさまを助けてください、  なぜあなたはいつもいないんですか!?  「かあさまっ」  ぼくではだめなんです、  おねがいです。  どこへ行ったんですか、とうさま! 「――はっ」  本当にそうつぶやいて、景は目覚めた。

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