Chapter:77 「捨てた名で呼ぶな」

 結局スカフィードは、景と、それから目を覚ますであろう五月のために改めてスープを作り直した。無論、博希が「作り直しスープ」にあずかることはできず、本人は憮然として皿をコチコチやっていたが、景とスカフィードのふたりにダブルたしなめをくらい、ふてくされた。  そうして、景がスカフィードのスープでほぼ元気を取り戻し始めた頃、やっと五月が目を覚ました。博希が矢継ぎ早にオーブのことを尋ねたが、 「ぼくよく解んない」  の一言で、その話題は終わった。もうしばらくは謎として引きずることがあるだろうというのが、景とスカフィードの結論。博希は納得がいかないようであったけれど。 「でもね、ヘンな感じは、した」  フォローのつもりなのか。思い出すように、五月は手をぐーぱーぐーぱーと開いたり閉じたりして言った。 「ヘンな感じ?」 「こう……なんていうのかな、身体中が熱くなるの。ヒロくんの氷をとかした時とはちょっと違う、それよりも、もっと熱い感じ。オーブだっけ? そういうの、握ってた覚えはないの」  五月だからなあ――だからどうだというのかとまでは言わず、博希はそう言って鍋に手を伸ばしかけ、景にぴしゃりと手をはたかれる。 「ともかく、いったん僕らの世界に戻りましょう。特別講義も近いし」 「その傷で出る気かよ」 「もうふさがりましたよ。このくらいのケガで欠席なんて」  やれやれ、とつぶやいてから、無理はすんじゃねーぞと付け加える。博希なりの優しさなのだ。  しばらくくつろいでから、その中で、スカフィードは博希と景に話した「あのこと」を五月にもきちんと話した。今まで黙っていてすまなかったこと、自分が王族だからといって特別扱いは必要ないこと――恐らくそのこと自体必要なかっただろうけれど――を。すると五月は、博希とも、景とも違う反応を示した。 「うわぁぁ。じゃあ、スカフィードって、王子様なんだ? ステキステキ。かっこいいね! でもぼくは王子様のかっこうのスカフィードより、神官様のかっこうのスカフィードのほうが好きだよ?」  王子様の格好――を、脳内でどういう風に認識しているのかは解らないが、五月はいとも簡単にそう言ってのけた。確かに神官服のほうをずっと見慣れているだけに、いまさら王族衣装に着替えられても戸惑うだけだろう。しかし、五月は多分そういうことは少しも考えていなかったはずである。むしろ純粋に「スカフィードに似合うのはどっちであるか」を考え、出した結論なのだ。 「そうか。ありがとう、私も神官服は気に入っている」  本当だ。正体が明らかになることの、何を懸念していたのだろう私は――――スカフィードは小声でつぶやき、ふわりと笑った。 「でしょでしょ? えへへ」  その様子を、博希も景も、ほほえましい感じで見ていた。 「通信機は次にここに来る時までには直しておく」  出立の準備をする景に、スカフィードはそう言った。 「あぁ……落とさずに持ってきていたんですね。ありがとうございます、直るのを待っています」  丁寧に頭を下げ礼を言うと、景は博希と五月のもとへ行った。 「では、次来る時は一番にここへ来ますね」 「ああ。待っている」 「じゃ、いくぜ。ホールディア!」 「またねー」  懐かしいにおいのする“ほころび”が開いた。三人はスカフィードに手を振りながら、“ほころび”の中へ飛び込んだ。 『……スカフィード様』  見送るスカフィードの後ろから、聞きなれた声がする。 「フォルシー」 『レドルアビデが姿を消した可能性があります』 「姿を……消した……? それはどういうことだ」 『コスポルーダ全土を覆っていた禍々しい魔力が、ここ数日のうちに薄れているようで……無論これだけで【消えた】と判断するには多少甘いかもしれませんが』 「奇妙な話だな。皇姫にかけられた魔法が解けかけていることと、何か関係があるのか……?」 『解りません。巡回は怠らぬようにいたしますが――』 「気をつけるようにな」 『はい、解っております。ただ……』 「ただ?」 『あ、いえ、何でもありません。では、スカフィード様も、身辺くれぐれもご留意くださいませ』 「ありがとう」  フォルシーがなにを言いかけたのか、スカフィードには解らなかった。フォルシーの澄んだ茶色の瞳の中に、ほんの少しの濁りがあったのだけは、認めることができたけれど。 「………………」 『………………』  三人がもとの世界に到着した時、すでに辺りはオレンジ色に染まっていた。 「さって、帰るか……。次の特講はいつだっけ?」 「月曜ですよ。今は確か木曜」 「まだ四日もあるじゃないか!! もちょっと向こうにいてもよかったなあ」 「ヒロくんはそれでもいいかもしれないけどさ、ぼくとカーくんは大変だよ」  五月がそう言うと、博希は頭をぽりぽりとかいて「へっ」と言った。 「解ってるさ。だいたい景の傷だって養生しなきゃなんねえし」 「だから大丈夫だと言ってるでしょう」 「バカ。傷がうずいていきなり倒れられちゃ俺らが困んだよ。刺したのは普通のナイフじゃねーんだぞ、あのブラコン女の魔法ががーっつりこもった花びらだぞ。完全に治るまで寝てろ!」  もう完全に皮肉とは思えない――もともと博希は皮肉なんてそれと知って吐くような人間ではないけれど――台詞を吐く博希に、ふうやれやれ、景はつぶやくだけつぶやいた。だが、心配されるというのは悪くないものですね、と思った。いつも心配している側の景からすると、今度のことは至極目新しい感じがした。 「解りました。お説に従って、今度の特講までは家でゆっくりさせてもらいます」 「だろー。じゃ、月曜に会おうな」  三人は手を振って、温室前で解散した。  いらついた感情が、指先を伝わってキーをたたく。  どこからこの計算は狂ってきた……? 「もう、一刻の猶予もならないか」  力が欲しい。  力が。 ≪では……貸そう≫ 「!」 ≪なにを驚いている? お前が呼んだのだろう≫ 「ああ……呼んだ」 ≪……それにしてもずいぶんと力が弱まったことよ≫ 「俺は多少甘かったようだ。最初からこうすればよかった」 ≪そう悲観したものではない。――生まれたばかりの強大な魔力を感じる。多分――古き『伝説』が、目を覚ました≫ 「そうか」 ≪奪え。簡単だろう、お前なら?≫ 「簡単だとも。奪うさ。奪って――みんな奪ってやる!! ははははははは!!」  狂気の指が、キーを連打し始めた。 「もうすぐだ――もうすぐ、俺がすべてを支配する――」 ≪それでこそお前だ、リェイドール≫ 「捨てた名で呼ぶな。俺の名は、安土宮零一だ」  景が家に戻った時、家人はみんな無事でそこにいた。崩れた本棚や壊れた食器などの片づけもひと段落したらしく、彼がリビングを見たときには少し遅めのティータイムとなっていた。 「お帰りなさいませ、坊っちゃま」 「ただいま帰りました。遅くなってしまいましたか?」 「いえ、今みなさんお茶をたしなんでおられます。坊っちゃまの分もお入れしますので、どうぞ」 「ありがとうございます。父様は……?」 「まだ、お帰りになってません」  あれで相当な被害が出ているだろうし、まあ今夜は帰らないかもしれない……景は自室に入り、服を整えると、リビングルームへ向かった。 「ただいま帰りました」  それだけ言って座る。祖母・愛羅も含めた家人は、何も言わず自分の茶を静かに飲んでいた。無論彼女は何か言いたげだったが、恐らくとく江と姉・旭がたしなめたのだろう。母・円華はやはりたおやかに折れそうな身体を支えるように、ソファーにもたれ紅茶を飲んでいた。伏せた瞳に映るのは、たぶん旭と景だろう。 「ありがとうございます」  誰に言うでもなく、景はつぶやいた。旭が軽く、微笑んだ気がした。  結局のところ父・清一朗が帰ってきたのは、翌日の夜だった。街は一晩中復旧作業に動いていたようで、景は一日ずっと家の中から動かなかった。博希が言ったようにおとなしくしていようと思ったこともあったし、何より恐らく傷が全治していないためでもあった。それが証拠に、時折、背中の傷がずんと深く痛んだ。その日は、景が夕飯を食べ終わったあと、五月と博希から代わりばんこに電話があった。 『背中、どお?』 「ありがとうございます。おかげさまで傷を負った当時から比べるとずいぶん楽ですよ。五月サンが力をくれたおかげです」 『そんなあ。ぼく、何もしてないよ』 「五月サンはいるだけで僕らに力をくれますよ。自信持っていいんですよ」 『えへ』 「また学校で会いましょうね」 『うん。あそうだ、その前にお見舞い行くかも。ヒロくんと一緒に』 「おやそうですか? では気をつけていらっしゃい。とく江さんはいつでもいますから」 『そうだね。行く前には電話するよ。じゃねー』 「ええ。じゃあ」  博希から電話があったのは、五月からの電話からだいたい十五分ほど後のことだった。ただし最初に電話をとったのは、あの人だったけれど。 「悪童っ!」  その叫び声を聞いて景は部屋からとんできた。 「おばあ様!?」 「堂々と我が家に電話をかけるなどよい度胸ですね!!」 「おばあ様、僕に代わってください、博希サンなのでしょう?」  叱り覚悟で愛羅から受話器をむしりとるように奪った景は、すぐに受話器を耳に当てた。 「僕です、博希サン」 『……ああ! 景かぁ。うおー、よかった。大丈夫か?』 「はい、僕は大丈夫です。それよりもすみません、おばあ様が」 『いやー、ビックリしたぜ。受話器とった、と思った瞬間に「悪童っ!!」だもんな。なんで解るんだろ』 「え」  景も思った。なぜ。景の家の電話はかかってきた番号が解るシステムにはなっていない。いくらなんでもそんな、と思ったが、どうも冗談ではないようで、景と博希はそれぞれ首をひねった。 「聞いておきますよ」 『そうしてくれ。俺もなんか知りたい。ところで』 「傷なら大丈夫ですよ。まだ、たまに痛みますが」 『そうか。無理すんじゃねーぞ。痛いときは言えよ』 「今更」 『バカヤロ。お前よく無理するだろ、俺らになんにも言わずにさ』 「……。そうですね。ありがとうございます」 『五月から連絡あったか? 特講始まる前に見舞い行くからさ、とく江さんによろしく言っといてくれ。あのばっちゃんどうも苦手だわ俺』 「聞いています。とく江さんに話しておきますよ」 『おう。もうお前、早く寝ろよ? 傷に障るぜ』 「気持ち悪いほどの心配ぶりですね。ええ、そうしますよ」  それで電話は終わった。景はどうにも機嫌の悪い愛羅に恐る恐る近づくと、さっき二人の疑問になっていたことを聞いてみた。 「悪童の電波を感じました!」 「は……?」 「あの悪童が電話をかけると、いやしい電波がここまで来るのです。それを感じとれば電話の相手が誰かなどすぐに解ること」  そんな馬鹿な。と景は思ったが、言わずにおく。 「そもそもいやしい電波をこの家に近づけてはなりません。いいですか、」  博希批判及び縁切りの話が出る前に、景はとっとと自分の部屋に退散した。こういう話はいつものことだ、聞かないほうが吉。 「……ふう」  その時、後ろからとく江がきていた。 「坊っちゃま、お風呂が空きましたから、入ってこられたらいかがですか?」  とく江の手にはバスタオルが抱えられている。そういえばもうそういう時間である。 「そうですね、そうします」  景はとく江の手からバスタオルを預かると、ひとまず自分の部屋へ向かうことにした。着替えを取ってこなければならない。 「あ、とく江さん」 「はい、なんでしょう?」 「いつになるかは解りませんが、今度の月曜までに、一度博希サンと五月サンが来るそうなんです。よろしくお願いします」 「承知しました」  とく江はほんの少し頭を下げると、ぱたぱたと忙しく廊下を走っていった。 「さて」  景は部屋で部屋着に着替えると、下着ととく江からもらったバスタオルを持って風呂へ向かった。 「ふー」  外はまだ、解けきれていない氷のせいでそこかしこ寒い。夏とは思えなかった。家の中は暖かかったはずだけれども、景は脱衣所で部屋着を脱ぐと、思わずふるっと震えた。その時――がら、と脱衣所の扉が開いて、旭が入ってきた。 「あっ」 「ね、姉様」 「ごめんなさい、景さん。今からなのですね」 「あ、はい。出たらすぐ言います」  上半身裸だった景は思わず――間違いなく無意識に自分の傷を隠そうと旭のほうを向いた。扉に背中を向けた形で部屋着を脱いでいたので。しかし、彼女は景の隠そうとしたものに気がついた。 「景さん――――」 「え」 「背中……どうしたのですか? なにか傷跡がありますね」  言ってから、あら、聞いてはいけなかったかしらと口に手をやる旭。景はなかなか見ることのできない姉のお茶目な表情にぷっと笑うと、言った。 「これは――僕にとって大切な人々を守るためについた、名誉の傷です。きっとすぐ消えるでしょう……でも、気持ちだけは消えません。姉様のおかげです、ありがとうございます」 「そう。……よかった」  旭はそれだけを言って、微笑みのまま脱衣所の扉を閉めた。しかし、閉めてからすぐ扉越し、彼女は静かに言った。 「いい目をするようになりましたね、景さん」 「!」  足音が遠ざかってゆくのが聞こえた。しばらく呆然としたあと、景は服を脱いで風呂場へ入った。ぷんと入浴剤が香る。まず身体を洗って、それから彼は、ゆっくりと湯船に沈んだ。 「いち」  治りかけの傷に、温かい湯がぴりりとしみた。気がつかなかったが、あちこち半端に治りかけた擦り傷がある。たぶんここ最近でできたものだろう。それでも五月の力のおかげか、どれもほぼ完治に近い。 「――ふー……」  ぶくぶく。この日の風呂は、なんだかとても気持ちがよかった。  博希と五月は土曜の昼にやってきた。前もって景がとく江と旭に愛羅のバリケード役を頼んでいたので、いつだかの急来訪よりはスムーズに部屋に通すことができた。――それでも、階下からはガミガミガミガミと、日本語になっているのかいないのかよく解らないような、とてももと華族様のお血筋とは思えないくらい過激な罵詈雑言が小一時間響いていた。 「で、もう、傷はいいのか?」 「ええ、もう、全快に近いですね。お風呂に入ってもしみなくなったし、たいしてうずきもしませんし」 「よかったねえ」 「ええ、本当によかったです。ありがとうございます」  景は五月にぺこりと頭を下げた。五月が「えへ」と照れて、それから、打ち消すように両手を振る。 「そんなことないない。カーくんが治ろうと思ってたからきっとうまくいったんだよ。もうこのことは言いっこなしね」 「そうします。すみません、でも、本当にありがとうございました」  ひとしきり、色々な話題に花が咲いた。飲み物も足りなくなり、とく江は何度もお代わりにかり出された。しかし彼女としてはそれが嬉しいらしく、喜々として三種の茶を代わる代わる出しては話にわずかな茶々を入れていった。  しかし三人が一番困ったのは―――― 「楽しそうですねえ。今度は何のお話ですか?」 「わああっ!?」  コスポルーダの話をしていた時だった。こればっかりは茶々を入れられても困るしとく江を話にまぜるわけにもいかない。 「なにか、いつ行くとか、どう動くかとか……ご旅行にでも?」 「ま、まあ、そんなところです」 「ちょ、ちょっと小旅行にさ」 「そそそそ、そうなの。日帰りとかそんなんでね」  あはははははと張りついた笑顔で、三人はとく江をやり過ごさんとあたりさわりのない返答をした。あぶないあぶない。  とく江が行ってしまってから、三人は改めて額をつき合わせた。 「特講が終わるまで、僕は待つべきだと思います」 「まあそりゃどうせ特講は水曜までだしな。明日行くって手もあるけど、景の傷も五月のオーブのことも心配だし」  景と五月はそれぞれ、「いや自分は大丈夫だ」というようなことは言わなかった。言ってもまた話題が堂々巡りするだけである。心配してもらうだけありがたいと思ったほうが、この場合は一番よいことなのだ。 「ですから――やはり木曜の朝から行くのがベストでしょうね」 「そだね。その頃にはきっとカーくんもすっかりよくなってるよね」  それがいいそうしよう。話がそういう形でまとまったとき、すでに時間は夕方近かった。 「ああ、やべ。配達配達。また母ちゃんに包丁投げられる」 「じゃあ、ぼくも帰るよ。途中まで一緒にいこ?」 「そーだな」  博希と五月は景に送られて玄関まで出た。やはりこのときもとく江の協力ありがたく、愛羅が出てきて二人――特に、博希――を罵ることはなかった。 「とく江さんにありがとって言っといてくれよ。ずいぶん助かった」 「ええ、言っておきます。では月曜日、学校で」 「じゃあねー」  二人が見えなくなるまで手を振ってしまうと、景はくすくすと思い出し笑いをしながら家に戻った。やっぱりこの三人でいるのが一番いい。  彼にとっては、特講の日がくるのがとても楽しみだった。  今この街で、彼にかなう禍々しさを持った人間はいない。 「もう猶予はない。『伝説』、狙わせてもらう!」  ぴき、と右手が震えた。人間のものとは到底言いがたい手だった。禍々しい気配を持つその手は、しゅうしゅうと瘴気さえ放っていた。  ただ――その色だけはあまりにも白かった。どうかすれば病的に。褒めるように言えば美しく、その右手は、真っ白だった。

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