Chapter:62 「お三人様とも恐らく大丈夫だとは思いますが……」

 晩も景は憂鬱なままだった。彼は自分で自分にこんな感情があることに、ただ、驚いていた。 「精神が至極不安定なのかもしれませんね――」  部屋の中、とく江の入れたダージリンを飲みながら、景はささやかな自己分析をしてみたが、そんなことで落ち着けるほど、状況は甘くなかったようである。  夕食時、祖母と自分と旭との、非常に話のしづらい――もっともそれはいつものことなのだけれど――メンバーで食事をとっていた景は、やっぱり、朝と似たような重苦しさを感じていた。目の前には主のいない椅子が、二つ……。父親は最近帰りが遅く、母親の円華はといえば貧血気味で寝ていた。  無理もない――と、彼は思っていた。今朝無理をおして起きだしてきたのだから。しかし祖母にとってはそれも気に食わなかったらしい。家人の前では健康を装えという無茶苦茶な論理である。だったらなぜ病弱な円華を浦場家の嫁として迎えたのか、景は一度、祖母か父親に聞いてみたかった。だが、いまだに聞けてはいないしこれからもきっと聞けまい。 「いいですよね。博希サンや五月サンは」  二人には決して言えない愚痴が、ポソリと出た。たぶんそれはわずかな嫉妬から生まれたものに違いなかった。 「……うらやましい」  ティーポットから二杯目の紅茶を注ぐと、景はふうと冷まして一口飲んだ。  夜は静かにふけようとしていた。  朝。景はもう半ば諦めかけていた。否、「諦める」というと少し語弊があるかもしれない。ともかくもこれ以上の手出しも口出しもできないことは解っていたので、余計なことはすまいと心に決めたのだ。  景は静かな瞳で――それはあとで気がついたことなのだけれど、その瞳は旭の見せるものと似ていた――朝食を腹におさめ、家を出ることにした。  父親は仕事の関係上、すでに出勤していた。ここ最近の街の騒ぎは、官僚である彼を駆り出すまでのものとなっていたのである。 「あの、坊っちゃま。今日は特講はお休みではないのですか?」  とく江が聞く。このデキたお手伝いは、景のスケジュールをすべて把握しているのである。 「……ああ……今日は、学校で博希サンたちに勉強を教えることになっているのです」  嘘である。博希たちと、コスポルーダへ行くことを約束した為だ。 「そうですか。うちでもよろしかったですのにね」 「おばあ様がお怒りになりますからね、学校にします」 「……うふふ、そうですね。では今日は、お帰りの方は?」 「少し、遅くなるかもしれません。夕飯はいただきますので、よろしくお願いします」 「承知しました。行っていらっしゃいませ」  とく江が言うように、昨日で一年生の特講は終わりだった。が、教室では二年生や三年生が特講中で、なおかつグランドでは運動部が走り回っていた。  そういえば体育館でもどたどたと音がする。そのことを忘れていたわけではないのだが、三人ははたと困った。 「ねえ。温室に入るの、部活の人たちに見られちゃったらいやだよね?」 「……うーん、そいつは困るなア」 「カーくんは、どうしたらいいと思う?」  話を振ってから、五月は「あ」と思ったらしい。両の手で口を押さえると、困った顔をして、景ではなく博希を見た。博希がパクパクと口だけで「ばあか」と言っている、それは景にも見えた。だが景は五月の頭をくしくしっとやって、言った。 「そうですね。――温室に入ることができない以上、なにか別の方法でコスポルーダに行かなくてはなりませんが……」 「要するにさあ、“ほころび”開かねぇと向こうにゃ行けねェんだよな。参ったなこりゃ」 「じゃ屋上に“ほころび”開けないかなあ」 「――え?」  五月の発言に、二人は面食らった。 「温室に“ほころび”開けるんなら、屋上でも開けるんじゃないかな」 「屋上に“ほころび”開いてコスポルーダに行こうってことか……?」 「そういうこと」  言いながら、五月はうん、とうなずいた。 「なるほどな! 俺この前、ビルの屋上から飛び込んだし温室前に出たし」 「しかしそれはリテアルフィの力ですし、温室前に出た時の“ほころび”は向こうで開いたものでしょう? ここで温室以外のところにも“ほころび”は開くものでしょうか……そして仮に開いたとしても、スカフィードのところへたどり着けるかどうかは」 「ゴチャゴチャ言わんと開くっ!」 「博希サン、あなた相変わらず行動が短絡的ですよ、もっとモノを考え――」  最後まで、言えなかった。すでに博希と五月は屋上に向かってダッシュしていたのである。 「二人――ッ!」  仕方がない。景もそのあとを追った。屋上までは至極近い。景が上りきった時、博希はすでに“ほころび”を開かんとしていた。 「さあ、開くぞう」 「僕の話は聞いていましたか博希サン? もっとモノを考えて行動――」 「ホールディア!!」 「五月サンあなたまでっ」  ぶうん、と、温室の時よりすこし妙な音を立てて、“ほころび”は開いた。 「開いたあ……」 「“ほころび”には違いないなコレ」 「でも温室じゃないだけすこし怖い気はするねえ」 「……行くんですか行かないんですか……早くしないとせっかく開いた“ほころび”が閉じてしまいますよ」  なるほどここが決められた場所でないせいだろうか、“ほころび”は縮みつつあった。 「うわわわ、早く飛び込もうぜっ」 「大丈夫なんですかね本当に?」 「言ってる場合じゃないよう――」 「それっ」  三人が飛び込んだ直後、じわじわと“ほころび”は縮んでいった。そうして跡形もなくなったのち、ひとつの影が、給水塔の陰から出てきた。 「完全ではないにしろ“ほころび”を指定地以外に発生させるとは。やはり俺が思った以上に――」  いや。  それともこれは大接近の?  ――ふん。 「どのみち、」  ここも……そしてコスポルーダも……忌むべき場所。  三人の着地は結論からいうと大失敗だった。 「おがッ」 「うわっ」 「きゃんっ」 「がふ――んっ」  ドサドサドサッと、草のわずかに生える土の上にしりもちをついたり背中から着地したり。だがそういう瞬間に至っても冷静だった景は、悲鳴が一人分多いのに気がついた。すぐに――誰よりも早く――立ち上がって、 「四人目が居ますね。誰です」  と聞く。その時五月も、自分の尻の下に、なにかやわらかいものが居るのが解った。博希も、自分の足がなにかを踏んでいることに気がつく。 「はれ? 鳥で虫でカッパの人だあ」 「おや……ずいぶんとお久し振りですねえ。生きてらっしゃったんですね」  五月の尻の下敷きになり、博希の足で地面に顔をめり込ませられた『それ』の正体は――そうデストダであった。五月がパッと離れる。 「なんだ。しばらく見ねぇから死んだかと思ってたぜ」  失礼な言い草だ、と、デストダは思ったし、事実そう言おうと思ったらしい。が、顔が博希の足によってめり込んでしまっている以上、発言ができない。更に失礼極まることに、博希はまだ彼の頭を踏んだまま足を離していなかった。やっとそれに気がついた景が、博希の肩をトントンと叩く。 「博希サン。そのままでは『鳥で虫でカッパ』さんは本当にあの世に逝ってしまいますよ。そろそろ足を離して差し上げなさい」  博希はそこまで言われてやっとちゃんとデストダを見た。  デストダは手足をバタバタさせてもがいていたが、その動きが次第にゆっくりになっていき―― 「あ、止まっちゃった」 「死んだかな?」 「ここで死なれては夢見が悪すぎますね。引き上げましょう」 「よーいしょ」  ずるうり。  やっと土の中から顔を出すことのできたデストダは、気を失っていた。 「息はしてますね。ま、これなら大丈夫でしょう」 「ところで、ここァどこなんかな? やっぱ温室じゃないと別んトコに出るもんだったんだな」 「ふむ……五月サン、久し振りにお願いできますか?」 「? ……あっ、そっか。チズヨデロー」  ぱぁ、と、光が生まれる。 「ううんと。ぼくらが今いるの、ピンクフーラっていう都市のすぐ近くだよ。この前いた、オレンジファイのおとなりの都市みたい」 「ほう、では目的地に近づいたも同じなのですね。このままピンクフーラ入りしましょう」 「でも、おにもつがないよ?」 「あァ、スカフィードの所に置きっ放しちまってたなァ」  しばし、三人は考える。 「ううむ……あ、五月サン、フォルシーの笛はお持ちですか?」 「うん、いつも、さげてる」 「フォルシーに僕たちの荷物を持ってきていただきましょう。スカフィードのところに戻るより、その方が僕たちにとっても、特にフォルシーにとっても楽でしょう」  人間の往復より荷物の片道の方が軽くてよい。そういうことを言っているのである。五月は「うん」と言って、笛を出した。  ひと吹き。どうやらすぐ近くを飛んでいたらしく、件の鷹はほどなくやってきた。 『いかがなさいました?』 「ぼくたちね、さっき、ここに来たの。で、おにもつがないから、スカフィードのところから持ってきてほしいのね。お願いできる?」 『ええ、承知しました。しばしお待ちください』  ひょう、と、大きな翼がひろがった。博希はそれを見送って、背伸びした。 「それにしても」 「どうしました?」 「天気がいいなァと思ってよ」 「お弁当がほしいねえ」 「ピクニックですか――もっともそれにそぐわない方がそこにすっ転がっていることを忘れたわけではないでしょう、博希サンも五月サンも?」  指差した先にはまだデストダが気を失って転がっている。 「忘れちゃいねぇさ。……花でもさしとくか?」 「およしなさい。面白いですけど。――ほらフォルシーが戻ってきましたよ……って博希サン! 五月サン! なにやってるんです!!」  どうやら博希は言葉と同時に行動を開始していたらしい。あわれ気を失ったままのデストダは頭とか鼻とか口とか差し込み可能なあらゆる箇所に花を突っ込まれ、一瞬にしてメルヘンスパイと化していた。 「かーわいい」  もっとも先だっての悲劇――マジックで顔中落書き――と違って、取り除いてしまえばあとが残らない、という点では、あるいは幸運だったかもしれない。三人が荷物を持っていなかったゆえのラッキーとでも言うべきか。  博希と五月が『メルヘンスパイ』作成に精を出している間に、景の言った通り、三人分の荷物を持ったフォルシーが飛んできていた。 『こちらでよろしかったのですよね?』 「ええ、確かに、僕たちの荷物ですね。ありがとうございます」 「ありがと」 「サーンキュ」  メルヘンスパイをほっといたまま、三人は身支度を始めた。そばでフォルシーは行儀よく羽をおさめ見守っていたが、ふと、メルヘンの方に目をやる。 『……あれはなんです?』 「話すと長くなるんですけどねえ。レドルアビデの手の者で確かデストダという名の――鳥で虫でカッパな方です」  景のよく解らない説明の中、フォルシーはその名に少し、反応した。 『デストダ……? このヒトなのか花なのか解らない方、デストダという名なのですか?』  フォルシーの発言に無理はない。確かにデストダは花に囲まれている、というのを通り越して花まみれで、どこが顔なのだかも判別しにくい。パッと見には。 「そうだよ。花はまあ、俺たちのせいだけど」  博希がそう言ってぱっぱっと花をよけてやると、やっと本体が明らかになった。 「まだ寝てやがる。水でもかけてやるか」 「およしなさいというのに。――? フォルシー、どうしました?」  フォルシーの顔――否、鳥なので表情はそう読み取れないから、景は彼の瞳を見たのであった――は、驚愕の色をわずかに浮かべ、じっとデストダを見ていた。 『あ……あ、いえ、なんでも、ないのです……すみません、もう、行きますね?』 「? ……ええ、ありがとうございました。……」  翼が開かれた。 『そうだ……勇士様、スカフィード様からの伝言です』 「伝言?」 『ただ一言。私はお前たちを信じていると』 「ありがとうございます、と返事願えますか」 「どうもありがとうって言っておいて」 「たまにゃイイコト言うんだなスカフィードも」 「博希サンッ」 『それから』 「?」 『ピンクフーラにお行きになるのですよね?』 「ああ、そうだよ。そこが一番近ェんだ」 『――私の見たところ、お三人様とも恐らく大丈夫だと思いますが……あの都市は別名を“花の都市”あるいは“華の都市”と申します』 「ハナ……」 『お気をつけください。現在ピンクフーラはあらゆる意味において美しい者の立ち入りしか許しておりません』 「ええ?」 「絶対美主義というわけですね……いいでしょう。行きましょう」 『お行きに』 「ええ。行かなくては本当のことは解りません。あ、これは別にあなたを信用していないわけではなくね?」  それは景の素直な意見だった。ピンクフーラの住民だか執政官だか総統だかが絶対美主義であろうとなかろうと、行かなくてはならないのに変わりはないし、行ってみなくては真相だってはっきりしまい。 『解っておりますよ。ご健闘をお祈りしております』  フォルシーはぺこり、首を垂れると、飛び去っていった。 「さあて、行こうぜ」 「うん」 「急ぎましょう。どうやら夕方が近いようです」  三人は無言のまま、気絶したデストダをほっといてピンクフーラに向かった。忘れていたわけではないのだが、連れて行くこともできないという結論が各々の中で出たらしい。  ――デストダはその約十分後、目を覚ました。 「…………」  あお向けになったまま、しばらく空を見つめる。やがて、彼の脳裏に、先程までの記憶がじわーんとよみがえってくる…… 「あいつらぁぁぁぁッ!!」 「?」 「どうしました五月サン?」 「ん、誰かに呼ばれたような気がしてね?」 「気のせいだろ。ほらもう門が見えてきたぜ」  五月の第六感も博希に一蹴され、デストダの存在はこの時完全に三人の脳内から消え去っていた。 「どうやらフォルシーの言っていたことは当たっているかもしれませんねえ。門番がいますよ……」 「なんかやたらキレイキレイした門番だなオイ」 「うわあ、みんなぼくみたいに美しい」 「。」 「……」 「何でヒロくんもカーくんも黙るの?」 「……ノーコメントです」 「景に同じ」  それでも門番がまわりに花だか光だかちりばめたいほどにキレイ系だというのは確かだった。しかも男である。これで屈強だったりしたらイヤだよなあ、とは博希の言。景もそう思う。 「どうするよ、もうすぐ夜になるし――」 「行かなくては始まりませんよ。……通してくれるでしょうかねえ」 「俺や五月はともかく景はなあ」 「あなた自意識過剰という日本語はご存じですか!? 僕や五月サンはともかく博希サンは難しいと僕は思うんですがね!」 「…………」 「…………」 「……とにかく五月は無条件でパスだろうな」 「……そうでしょうね」  二人はそれ以上の言い争いをやめた。と同時に、居るべき人間が一人そこから消えているのに気がついた。 「五月サンはっ!?」 「あン!? ……あそこだっ!」  五月は門の方に向かって歩いて行く。いつの間に出発したのか、その後ろ姿はすでに遠い。 「類は友を呼ぶってヤツか?」 「違うような気もしますが……それにしても不用心すぎますよ! あんなんでまた誘拐されても知りませんよホントに……」 「お前ってホント世話女房なのな」 「ほめてるんですか? 行きますよ早く!」  博希と景は五月のあとを追った。歩いている五月と走った博希&景では、どちらが早いか計算するまでもなく解る。 「五月サン!」 「あ、ヒロくん、カーくん」 「何やってんだお前。あんま心配かけんなよ」 「うん……ごめん、なんだかふらふらっとして……」 「ふらふらっ?」  景はまたしてもヤバい薬の類か何かかと警戒した。だが五月の体に何かが起きているというわけではどうやらないらしい。 「ふらふらっとして門に近づいたというわけですか?」 「うん」 「ふうん。ま、今夜は早めに寝ろよ。ひょっとしたら疲れがたまってるのかもしれないからな」 「ありがと」  三人はそのまま門まで行くことにした。門には先程遠くから確認したキレイ系の男性門番が何人かと、数人の女性がいた。 「止まりなさい」 「……おーや」  博希はつぶやいた。言葉までキレイ系だとは思わなかった。それが正直な意見だろうか。 「僕らはこの世界を旅している者です。この村に宿を取りたいのですが、お許し願えませんでしょうか」  景が門番に負けず劣らずのキレイ系な言葉で慇懃に挨拶をする。門番は一通り、三人を見た後、オレンジファイの最初の村でも出されたような帳面を出した。 「書けということですか」 「君と……そこの髪の長い子をまず」 「なんで俺は書けないんだよ!?」 「審査にかける」 「なんで俺だけ!!」 「しっ、博希サン。黙って審査にかけられておあげなさい。でないと、下手をすれば博希サンだけ野宿ですよ」 「ちっ」  憮然とした博希に何も言えず、景は帳面を書き終わった。門番はいちいちそれを確認して、景と五月のみを門に通す。五月は残される博希を不安そうに見て、門番のひとりに言った。 「あのね。ヒロくん、ぼくたちの大切な仲間なの。通してあげて? お願い」  しばしの沈黙。門番は目を潤ませる五月と冷静な景をチラリと見て、 「……審査如何によりますからっ」  言った。  景はその門番と博希とそれから五月を代わる代わる盗み見て、思った。   こりゃ仮に博希サンが基準に達していなくても通りますね。  と。

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