大江戸あやかし絵巻 ~一寸先は黄泉の国~

黄泉の国

 希之介は素早く、源八から距離をとった。 「ほら、化け物が怒っているぜ」  源八の手下どもは、その化け物を目の当たりにして、悲鳴を上げながら逃げていった。  だが、源八は凍りついていた。恐怖で振り返ることができないのだ。全身に鳥肌が立ち、嫌な汗が背筋に沿って流れていた。  そいつは化け物というには、あまりにも不確かな存在だった。真っ暗な穴がドロンと、ただ、そこにあるだけなのだ。深い闇は巨大な鮫の(あkぎと)に似ていた。凶暴な顎が大きく開いて(よだれ)をたらしている。何であろうと、貪欲に飲み込んでしまう。。  源八も彼自身の恐怖ごと、〈闇の顎〉の中に吸い込まれた。悲鳴一つ残さずに消え失せてしまった。  希之介がゆっくりと後ずさっていると、小道の方で悲鳴が上がった。どうやら、〈闇の顎〉はもう一体いたらしい。逃げていった源八の手下どもが、その餌食(えじき)になったようだ。  これで希之介は逃げることもできなくなった。 「やれやれ、仕様がねぇなぁ」  能天気な声音とは裏腹に、彼の顔は青ざめていた。〈闇の顎〉との距離がジワジワと縮まっているからだ。 「俺を食っても、うまくねぇと思うんだが」  すり足で木漏れ日のある場所に辿り着くと、そこで腰の竹光を抜いた。キラリと光ったのは、刀身に銀箔が貼られているからだ。  時代劇の撮影用に使われる竹光に貼られているのはアルミ箔だが、希之介の竹光の輝きはそれに勝るとも劣らない。熟練の職人の手によるものか、まるで本物のように見える。  希之介はひらひらと、刀身を左右に踊らせる。それは光の渦を生み、次第に輝きを増していく。かすかな陽光を幾度も反射させて大きな光を作り出し、化け物の深い闇を照らし出そうというのだ。 「おまえさんに飲み込まれるのは二度とごめんだ」  しばらくすると、希之介のこめかみに汗の珠が浮かび、呼吸も荒くなってきた。それでも気力を振り絞って、懸命に刀身を振るう。速度が増すと、光の輝きも増していく。 「そっちの世界に行くのは、遠慮させてもらうぜ」  希之介は5年前に、〈闇の顎〉に飲み込まれていた。きっかけは町外れで襲ってきた辻斬りを返り討ちにしたことだが、その際の殺意と狂気、血の臭いが化け物を呼び込んだのかもしれない。 〈闇の顎〉の中は、もう一つの江戸があった。おぞましくも、死人どもの暮らす世界だったのだ。希之介が覚えているのは、ただ恐怖のみである。身も凍るような恐怖。あの時は間違いなく、半分死んでいたのだと思う。  本物の江戸に還ってこられた理由は不明だが、もしかしたら、何が何でも元の世界に戻りたいと心の底から願ったためかもしれない。何はともあれ、かろうじて命拾いをしたわけである。  希之介は己の悪運に感謝した。竹光のつくりだした光が功を奏したのか、体力が尽きる前に、〈闇の顎〉が獰猛な口を閉じたのだ。禍々しいものは少しずつ遠ざかると、あっという間に消え失せてしまった。  希之介は地面に座り込むと、しばらく立ち上がることができなかった。  だが、いつまでも、こんな場所にはいられない。いつ、また、黄泉の国へとつながった〈闇の顎〉が現れるかもしれないのだ。  希之介は疲れた身体に鞭打って、よろよろと小道を下る。鳥居を潜り抜けると、人の笑い声が聞こえてきて、どうにか人心地(ひとごこち)がついた。 「あれ、マレさん、こんなところでどうしたの?」 「よろよろして、どこか悪いのか? 大丈夫かよ」  通りで声をかけてきたのは、サブとトクだった。元気な二人の顔を見て、希之介は自然と笑顔になった。 「何でもねぇよ。腹が減って、たまんねぇだけだ。おまえらもどうだ。蕎麦(そば)ぐらいなら、おごってやるぜ」  サブとトクは子犬のようにはしゃぎまわる。弾けるような笑い声を聞いて、希之介は張りつめていた心が解けていくように感じた。 「こいつあ、何よりの厄落としだ」そう言って、二人の背中に手を合わせるのだった。

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