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アイノマ。

読了目安時間:6分

最後の…アドニス。

 全ての材料をステアし終えたマスターはそっと静かに青年に最後のカクテルを差し出す。 「今宵、最後のカクテル。アドニスです」  マスターの言葉に、頷いてグラスに手を伸ばした青年の顔は優しい微笑みが浮かび上がっていた。  青年は何も言わず、グラスの脚を持ち、マスターを見つめながら、ゆっくり時間をかけて濃い琥珀色をしたアドニスを口から喉へ運ぶ。 「ふぅ、こうして立て続けに飲むと流石に酔うね」 「口当たりは良くともアルコール度数の高いものが多かったですから」 「あぁ、そうだね。だが、それも君の答えの一つ。俺に対する嫌味が含まれている」 「……そうかもしれません」 「エンジェル・フェイス、俺への嫌味も含め、あれは君自身の姿を君が客観的に現した」 「そう、私のこの己の姿は強いアルコール度数を隠している飲み口優しいエンジェル・フェイスそのもの。私自身を隠してしまっている容姿をカクテルと重ね、そして、それを黙って眺め続けてきた貴方への少しの嫌味を含めた」 「ブルー・ムーン、極めて稀な出来事という意味の名を持つ青い月。君はその中に俺に対しての二つのメッセージを込めた。そして、このアドニス。数え切れぬ君の想いと、俺に対する想いを全てこの中に詰め込んだ……。そっちに行って良いかな?」  カクテルグラスを置いて、じっと赤い眼差しを向けてくる青年が聞けば、マスターは黙って頷く。 「どうぞ……」  席を立ち、カウンターの中に入った青年はマスターの肩を叩いてカウンターの向こうにある席を指差した。 「君はあっち」 「私に客になれとおっしゃるのですか?」  首を傾げるマスターに微笑で答えた青年は、カウンターから出て行ったマスターが席に着くのを待つ。  初めての出来事に戸惑いつつ席に着いたマスターは、いつもとは逆に青年を見上げた。 「一体、何が始まるのです?」 「お客になる気分はどんな感じだい?」 「そうですね、妙な感じです。落ち着かない」 「そうかい。それは良かった」  戸惑うように言うマスターに八重歯を見せて笑った青年は手にシェーカーを握る。 「何か、作るつもりですか? 言ってくれれば私が作ります」 「それじゃ意味が無いだろう」 「え?」 「君の応えは俺に届いた。俺の想いとは全く違った、俺の納得する答えだ」 「納得する……。それでは」 「そう、俺を君は納得させた。すぐにでも君の戒めを解き放ってあげたいけれど、その前に君に俺の言葉を受け取ってもらおうと思ってね」 「貴方の、言葉……」 「ブルー・ムーン、そしてアドニスに込めた君の想いに対する応え」  静かな青年の声色にマスターの喉が一度大きく上下する。  自分の込めた想いに対する答え、それが一体どんなものなのか。  それを思うだけでその場から逃げ出したい衝動がマスターに降りてきて、逃げようとする足を強くつねった。  足をつねった痛さと湧き上がってくる胸の苦しさにカウンターへと視線を落としたマスター。  その表情と様子が、初めてこの場所につれてこられ、不安そうに自分を眺めてきた頃にあまりにもそっくりで、青年は口元に少し笑みを浮かべシェーカーを振る。 (……この音。あぁ、あの時の音と同じ。やっぱり貴方は変わらない)  マスターよりも滑らかでリズム良く刻まれるシェーカーの音に、マスターは足をつねるのをやめて、青年に気づかれぬように深呼吸をした。  シェーカーの音が止むと、目の前に静かにカクテルグラスが差し出される。  薄闇でゆらりと輝く、ガーネットのように深い紅がとても美しいカクテル。  マスターはそのカクテルを見つめ、視線を緩やかにカウンターの向こうで立っている青年に向けた。 「これが貴方の言葉ですか?」 「そう、君が差し出したブルー・ムーン、そしてアドニスに対する俺の言葉。それでは不満かな?」 「いえ、不満など。あるわけが無い……」  グラスにそっと唇をつける。  口に入った瞬間、香りとともにほのかな甘さが広がり、そして、喉奥へと運ばれる中で少しの苦味を発する。  マスターが喉に紅いカクテルを流し込んでいる間、青年はカウンターから出て、マスターの隣の席に腰掛けた。 「ブルー・ムーン。俺は君がこのカクテルを出した時、出来ない相談という意味を真っ先に思い描いた」 「フフ、それはそれは。貴方も意外と単純に出来ていたわけですか?」 「単純って。普通はそうだろう? BAR男性に結婚や交際を申し込まれた女性が大衆の面前でスマートに断りを入れるときに注文するのがこのカクテル。結婚や交際なんて出来ない相談だ。貴方とは付き合えない、大抵はそういう意味で使うだろう? それが君のブルー・ムーンは違った」 「えぇ、私は出来ない相談という意味でブルー・ムーンを差し上げたのではありません」 「叶わぬ恋、そして、完全なる愛。君のブルー・ムーンにはその二つの俺に対するメッセージが添えられていた」 「……そう、私は人でありながら悪魔である貴方を愛してしまった。聖と魔、二つの大きな力に私のそれは罪だと裁決され、それにより自らの記憶と性別を取り上げられ、聖でも無ければ魔でもない、両方を併せ持った人でもない、何も無い、何者でもない無の存在となってしまった。叶わぬ恋、でも、私が貴方を愛したのは完全なる愛」  両手でしっかり握られたカクテルグラスの中でわずかな波紋が広がり、青年はその波紋から、同じように波紋を見つめるマスターの横顔に視線を移す。 「君が、エンジェル・フェイスを作ったことで、自分自身の存在、今の姿が自らの本当の姿ではないということを思い出したのだと認識した。ブルー・ムーンを飲むことで、自らの記憶を取り戻したのだと気づいた。そして、アドニス。記憶を取り戻し、全てを分かった上で出す答えがこれなのだと俺は覚悟した」 「女神アプロディーテーが愛した人間の美少年、アドーニス。人間の私が愛したのは真っ赤な瞳を持つ悪魔の貴方」  頬に視線を感じながらも、青年を見ることなくカクテルグラスを少し揺らして、深みのある紅色が店内の光を反射させながら揺れ動く様をじっと眺め続けた。 「アドーニスが死の際に流した血はアネモネとなった。そしてアドニスは福寿草の学名でもある。黄色く明るい見た目とは裏腹に毒をもつ福寿草。二つの花の花言葉はアネモネが儚い夢と愛、真実、薄れ行く希望。福寿草が思い出、永久の幸福、祝福。一度として納得してくれず、希望が無いのかと落胆した私の気持ち。私と分かっていながらも私に何の説明も、言い訳もせず、ただこの場所にとどめ続けた貴方に嫌味のスパイスを。でも思い出を取り戻した今、真実を知りたい、私の想いは、貴方の想いは何処に向かうのか知りたいという希望を混ぜ込んだ」 「幾度と無く、俺を邪険に扱う君に全てを話してしまおうと思ったか知れない。しかし、それは誓約違反。君だけが裁かれ縛られていたわけじゃない。君のカクテルを定期的に訪れて飲み、決して真実を伝えず、君の想いに納得すること、それが俺の枷。ただの表面的な感情ではなく、奥底にある君自身の想いを三つのカクテルで受け止める。たとえ、君がどんな答えを出そうとも偽り無く審判する。そして、君が俺を納得させた時、君と共に俺も開放される」  青年は半分ほどカクテルが残っているグラスをマスターの手から取り上げた。

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