アカ Lost Color

読了目安時間:7分

第十三話

 仕えてから一週間が経とうとしていた。かつて慣れていた筈の上等な寝台や、広い浴場、他者からの不躾な視線には未だに不慣れな所はあるが、昼夜逆転していた生活の感覚、軽すぎる着心地の官服には多少馴染んできた頃だった。今年もあの日がやってきた。今日、この日も雨は降っていた。灰に淀んだ空、打ち付ける雨。憂鬱な気分が増幅する。心なしか頭痛がした。最近は眠れなくて、寝静まった城内の一室――要するに自分の部屋だが――上等な寝台の上でただぼんやりと窓の外を眺めて夜を明かすことがあったから、その所為かもしれない。鈍い痛みに耐えながら、榎月は今日も明鈴の側仕えをしていた。 「最近こんな天気が続いて、うんざりしてしまいますね」 「……ええ。まあ、こんな時期ですから。仕方ないでしょう」 「榎月。……こっちに」  言われるまま、明鈴の隣に座る。美しいと思う彼女の赤色も、今日に限ってはより頭の痛みが増すばかりであった。 「……どうか、なさいましたか」  忌々しくもうつくしい、その色に見つめられ、恐る恐る声を出した。あの日のことを、忘れようにも忘れられない記憶を、この身体が鮮明に憶えている。 「体調が優れないようにも見えたので。最近、どうですか。眠れていますか」 「……表に出てしまうなんて。これでは従者も務まりませんね」  観念して、不調を認めた。彼女の前だから何も偽る必要はなかった。もうこれ以上何かを、復讐のこと以外は偽ろうとは思わなかった。 「色々あってお疲れのことでしょう。そもそも貴方は夜に活動するのが常だったのではありませんか」 「……その通りで」  これ以上自分を見ないでほしい。赤い目に見つめられることによって、慕情、嫌悪、愛おしさ、憎悪……感情が、思考が、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられる。  熱はありませんか、と伸ばされた手を、思わず叩いてしまった。従者でありながら、主人にこのようなことを。許されるものではない。 「……申し訳ございません。少し、頭を冷やしてきます」  呼び止める声が聞こえた気がした。その声に止まる余裕はなかった。身体の震えを堪えながら、榎月は自室へ戻った。 □□□  叩かれた手は、じわじわと熱を持ち始めた。彼にそんな気が無かったのは分かっている。彼がどういう人間かもある程度は知っているつもりだ。けれど、何が彼をそうさせたのか、どうして彼は怯えたような顔を見せたのか、知り得ないものばかりで、なんだか遣る瀬無い。 「明? 入ってもいいかしらァ?」  扉の外から聖藍の声がした。どうぞ、と招き入れた。従者の柊月も居た。 「……あれ、榎月は?」 「ああ、彼は……今出払っていて」 「あら。何かあったの?」 「顔色が悪かったんです。最近眠れていないようでした」 「それは大変ねェ。睡眠不足はお肌にも良くないし……それに柊月も心配でしょ?」 「うん。……でも、心当たりはあるよ」  その心当たりについて尋ねると、柊月の顔に翳りが見えた。普段明るい彼がそんな表情を見せるのだ、榎月にとっても何か辛いものなのだろう、と察した。 「今日、ボクらの国が滅んだ日だから。多分、それで」 「……聞いちゃ不味かったかしらァ」 「ううん。……ボク、本当はあまり憶えていないんだ。ショックが強すぎたんだろうって、レヴィアの女王様には言われたけど……でも榎月はずっと覚えていて…………忘れられないんだと思う」 「……そうだったのですね」 「明鈴が気にすることじゃないよ。……ボクらの問題だし」 「やだわァ柊月。貴方だけの問題じゃないでしょ。出来ることならアタシも協力するわよ。ね、明」 「ええ、貴方ひとりで抱え込むことはありませんよ。私たちも力になれることがあれば、何なりとおっしゃって?」 「これじゃどっちが主なのかわからなくなっちゃうな……。ボクですらどうにもならないと思うのに、こんなこと頼んじゃっていいの?」 「私の無知が招いたことでもありますし。……せめて、落ち着かせることが出来ればと思うのです」 □□□  備え付けの家具以外、何もない殺風景な部屋。窓からは灰色の空と、雨の景色が見える。今日は外を見たくないから、カーテンを閉めた。そのまま寝台に倒れ込めば、重い身体が沈んだ。雨音が聞こえる。降り頻る雨、ぬかるんだ土、鉄と硝煙の臭いがフラッシュバックする。血の気が引いていく。鉄と硝煙の臭いなんて、今まで沢山嗅いできたのに。あの日を思い出して、何度か嘔吐いた。……この記憶だけ消すことが出来たなら、幾らか楽になれただろうか。  控えめなノック音がした後、扉が開いた。誰が来たのかは分かっている。天蓋のカーテンに人影が映る。その隙間に、手が掛かった。見ないで、と声を掛けるも聞く耳を持たないらしい。開いたカーテンの隙間から彼女は入ってきた。乱れた髪を掻き分け、華奢な手が肌に触れた。今度はその手を拒まなかった。 「落ち着いたようですね」 「……そう見えますか」 「少なくとも、先ほどよりは」  身を起こそうとするが、やんわりと止められた。病気というわけでもない、ただ昔を思い出して弱っていただけなのに。 「そのままで。大丈夫です、私しか居ませんから」 「そういうわけにもいかないでしょう、今は」 「貴方が心配なのですよ、榎月」 「……先ほどは、」 「それはもう良いわ。これ以上言わせたら、またキリがないでしょう? ……今思えば私、貴方のことはまだよく知らなかった」  だから、教えてほしいのです。貴方が話せることでいいから。……話したくないことは話さなくていい。過去の傷はゆっくり癒していけばいい。そう彼女は言った。その優しさに、また絆されてしまいそうになる。 「……僕のことなら大体知ってるでしょ、手紙で」 「ええ、そうね。でもまだ知らないこともあると思うの」 「……何から話せばいい」 「なんでも構いません。今話せることなら、なんでも」 「……僕は自分の顔、嫌いなんだ」 「あら、どうして?」 「母親に似ているから。……継母は母親の妹で。あのひとから、姉を見ているようで不快だと言われて。父親は愛しい妻を思い出してしまうから、呼ばれた時以外は来るな、と」  両親に関しては良い思い出が無かった。だから女王から両親の話を振られても、聞く気にも答える気にもならなかった。話すとどうしても、際限なく憂鬱になってくる。なのに彼女に話してしまうのは、多分気を許してしまっているからなのだろう。 「弟だって僕と似てないわけでもないのに……どうしてこうも扱いの差が違うのかって、考えたら、」 「……」 「瞳の色が母親譲りで……こんなに冷たい目の色が、余計にそうさせているんだって……気付いて」 「……榎月」 「国が滅んだ時、もう自分の顔に難癖をつける親も、自分を壊れ物みたいに扱う使用人も居なくなって、安心して、清々したんだ。でも、それでも……手紙だけのやりとりでも、唯一心を開くことが出来た相手と会う機会を逃してしまったんじゃないかって……後悔もした」 「……榎月」  失礼しますね、と言って明鈴は、榎月に膝枕をしてそっと頭を撫でた。不思議と安心する、心地良いものだった。もし母親が生きていたら、眠れない夜にはこんなことをしてくれたのだろうか。 「枕、高くはないですか」 「……大丈夫」  もう、彼女の赤を見ても不快な気持ちにならなかったし、また手を払い除けようともしなかった。不思議と涙が込み上げてきた。明鈴はそれに驚く素振りも見せなかった。 「……ふふ、」 「そんなにおかしい?」 「いいえ。前に、貴方が……泣いた私を慰めてくれましたから。嫌なことを思い出して感情が昂ったのでしょう。私以外誰も見ていませんから、今は存分に泣きなさい」 「……どうしてここまでしてくれるの」 「理由なんて、そんな大したことでは」 「今の僕は貴女の従者だ、なのに」 「好きだから、という理由だけじゃいけませんか?」 「……え、いや、その」 「泣いたり照れたり忙しい方ね。前から好意はお伝えしていたつもりなのだけれど」 「……本気にされたら困らない?」 「構いませんわ」  この人はどこまでも本気なのだろう。こんなにも絆されてしまった以上、もう完全に折れるしかなかった。許されない立場だが、せめて想うだけなら。

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