荼毘に付された父はきれいな骨格を保っていた。おもだった持病はなかったし、少なくとも内部は健康な状態でなくなったからだろう。ところどころで焼け落ちていたが、頭蓋骨以外の箇所もかたちを残している。焼き場から彼が出てきたとき、灰のにおいがぷんと残った。骨はばらばらではなかった。司法解剖は行われなかったのだ。僕が見えていなかった母親の行動を、そのときに初めて知った。 骨は葬儀中から泣き崩れていた祖母と一緒に鉄箸を持ち、ひとかけらをつまんで骨壷に入れた。それからずっと、祖母には僕がいるよ、悲しまないで、と声をかけた。自分の感情を抑制するためには他者を慮るのが最適に思えた。あるいは僕が感情を抑えるのは冷酷に過ぎるかもしれない。父を失った子供らしく泣きわめけばいいのかもしれない。だけど僕には父親の亡骸の前で泣いたあのひとときだけで十分だった。自分の世界を悲しみで覆い尽くすのは、自らの感情を殺すよりは簡単だと僕は信じた。 葬儀次第のすべてが終了して僕が父親の部屋に立ち入ったのは、参列者が全員帰路についたあとだ。子供である自分が先に帰されて家も静寂に包まれた時分だ。ひとりきりで何もすることがなかった。 彼の清潔な部屋に入ったのは数年ぶりだ。母親とは対照的に書類や蔵書が整理整頓されており、生活感が垣間見えるのはベッドのほんの少しの乱れくらいしかない。ウォークインクローゼットの扉を開ける。その中には上等な背広が何着も吊るされていた。遺体が発見された時にも着ていたブランドのスーツで、父親はひいきにしていたのだな、とわかった。彼が死んで初めて彼について知ることが多すぎるのに僕は罪悪感を持ちはじめていた。 奥にはブーツや靴下にシャツ、ズボンが丁寧にたたまれて収納されている。壮年の男が着るものにしては趣味が若く、バブワー、トリッカーズ、中にはフレッドペリーのものもある。背景に母と父との共通点を伺い知れた。イギリス趣味な若い二人が仲むつまじく話していただろう光景について思い巡らせた。 服の数々は僕が着るにはどれもサイズが大きすぎる。親戚に形見分けをしても数が余るだろう。いずれこれらはどこかに処分しなくてはならない。この服たちを着る者はこの世から永遠に去ってしまったのだから。 クローゼットを離れたときに音の存在に気づいた。静かに通底をざわめく厳かな音。デスクトップPCの排熱音だった。机の上に置かれたパソコンは電源が入れっぱなしになっている。ディスプレイにかけられたホコリよけの覆いを取り外してマウスを操作する。画面が起動すると膨大なテキストが映し出された。 母や叔父に見つかる前に消去する類いのものだった。一顧だにしてそれが、僕にとりあまり良い影響を与えるものではないと感じ取る。それでも誘惑はあった。父親の死について真相に迫る糸口になるかもしれないという直感が働いた。 肘掛けのついた父の椅子に座り直し、先頭から読みはじめた。だがそれは、僕の甘い見通しにひどく落胆するような文章だったし、ただただ現実を突きつけるような内容だった。文面はこんなふうだった——
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