花泥棒と秘密の猿たち

読了目安時間:5分

エピソード:13 / 37

6=9/10.evening

第十三話

 午後三時という時刻は誰かが言った通りに何をするにも不十分なタイミングだ。どこかへ遊びに行くにはもう遅いし、晩飯の準備をするには早すぎる。  だけどライブハウスという空間ではその点、社会における常識とは異なっていて——午後三時という時刻はだいたい夜公演に出演するバンドがリハーサルのため集合する時間として設定される場合が多い。昼公演が終わって出演者と客が退場し、従業員清掃が終わるころだ。従業員のシフトとしても転換に都合が良い時間設定なのだ。  土曜日の午後、叔父の見舞いを打ち切って向かったのは僕が所属しているバンドがその夜に出演する予定のライブハウスだった。自宅と同じ町内にあるそのライブハウスは、駅前の風俗街を抜けてビルが建ち並んでいる区画にポツンと立地している。傍目ではエスニック調の装飾と窓から覗くカフェスペースが洒脱な雰囲気を醸し出しているが、隣にある緑色の巨大な看板を掲げたファッションヘルス店の卑猥さによって打ち消されており、見る者にアンダーグラウンドな印象を与えるような佇まいだ。  あらゆるものに歴史があるように、そのライブハウスにも歴史がある。その店の前身は同じ町内にあり、駅北側の蔵前橋通り沿いに構えていた。店舗には自前のレコードショップもありハードコアパンクの愛好者にはよく知られていた場所だったが、一昨年に急遽運営会社から閉鎖を宣告された。理由はいち利用者の立場からは分からない。だが「昔ながらの小汚いライブハウス」というそのもの自体がクリーンな近代化を目指す経営者から疎まれてはいたのだろう。  当然ながら実際に手足を動かし運営に励んでいた店長はじめスタッフ陣からの反発が起こった——彼らは退社して新天地を駅南側の混沌として雑然としたこの土地に定めた。その場所は彼らにとり乳と蜜の流れる川のたもとであった——人は自分のために汗を流してくれた人間に肩入れする。客や企画を行なうバンドはそのまま新しいライブハウスに流れた。毎週末は盛況となり、新店舗は今のところ好調だ。  もちろん店長たちスタッフと元いた会社の間には確執があるのだろうが、そこは立ち入れない部分だ。僕らのようなバンドを単純にやっているような人間にとっては少しでも良いステージをすること自体が本望であり、新しいライブハウスはそういうことがストレスなく行える場所だったから、少し気にはなるものの預かりしれない部分だとしていた。  その土曜日に行われた企画は、自分たちが二番目の出演だと事前に知らされていた。逆リハといって、多くの場合、音響や各人の様子を確かめるためのリハーサルはトリ——出番が最終のバンド——から始まるため多少の遅刻は平気だったが、若年である自分たちを呼んでくれた企画者のことを考えると気が咎めた。定刻に足を運ぶのが道理だと僕は考えた。  あるいはただ単に僕が叔父のいる病室に長居したくなかっただけかもしれない。よく憶えていない。記憶が残っていようがなかろうと、そのとき起きた感覚あでは過去の自分と共有することはできない。とにかく僕はその三時という時刻に間に合わせられたのだ。  音漏れを防ぐために重く設計されている入り口の扉を開けると、すでに当日出演するバンドの人間が数組いるようだ。ギターの弦を換えたりストレッチをしたりと、それぞれがリハーサルの準備をしている。お疲れ様です、と挨拶をしつつ中へ踏み込む。  店内はバンドが演奏して客が入るライブスペースと歓談の場となるカフェバースペースと区分けされている。バースペースで配達の酒屋の相手をしていた店長にも声をかけて、企画者バンドのメンバーが固まっている場所へ出向く。二十代半ばの彼は金髪を逆立てていて強面だ。いっけん怖そうだが侠気のある良い男だ。「花村くんはもう来てるよ、たぶんトイレに行ったんじゃないかな」と彼は僕と組んでいる男の名前を口にした。僕らのバンドのベーシストだ。  企画者の彼と他愛のない話をしていると、化粧室から細身の青年が姿を現した。僕らのバンドが所属しているレーベルの名前が入っているTシャツにラフなダメージジーンズ、黒縁眼鏡のいつもの出で立ち。彼を確認して駆け寄り謝罪した。 「昨日は練習に行けなくてすいませんでした」 「気にすんなって、それより」相棒はメガネの位置を直して語を継ぐ。 「出番が終わったらすぐ帰れよ。やれることは少ないかもしれないけれど、お前が場にいるだけで残された者たちは全然違うもんだ」  父親が亡くなった翌日に相談で電話した。相棒は出演を取りやめた方がいいと言ってくれたが、そうしたくなかった。父親と叔父を裏切る行為だからだ。 「ありがとうございます」僕は頭を下げることしかできない。 「普通だろ。でもまだ良かったよ、今日のハコがお前のウチと近くて。先々週みたいに横須賀のライブハウスだったら遠くて帰りづらいしな。今日が終わったら、また次の練習のあとにでも飲みに行こうぜ。何か問題があったら俺に相談してくれ。それから、今後のライブや企画についても改めて話し合おう」  と、それから相棒は周囲に聞こえないように耳元でささやく。 「今夜がうまく行ったら、ここの店長に俺らの企画をやらせてもらえるように話してみようと思ってる。店長には前にやっていたバンドで世話になったし、俺も恩返ししたい」  頼むぜ、と僕の肩をぽんと叩いて、相棒は自分の機材の調整を始めた。  バンドが動力機関である以上は未来を見続けなければならない。別に残酷じゃない。あの頃の自分にとって、そのこと自体が何よりの救いだった。 ☆  ライブは客の入り具合を見て、予定時刻の六時半から十分ほど遅れて始まった。はじめのバンドを二曲と数分間だけ観てから、僕はトイレへと駆け込む。  個室で用と着替えを済ませて手を洗う。鏡に自分の像が映った。  自分の顔を見るのがずいぶん久しぶりのように感じる。想像よりもくたびれている様子はない。  僕は言われたように——胸の前で十字を切ったあとにトイレの扉を開けて、楽屋の椅子に座って出番を待った。

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