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花泥棒と秘密の猿たち

読了目安時間:4分

第九話

「内臓って、心臓のこと?」  精神のメタファーとしても多く用いられる臓器。魂の通貨である血液を全身に駆け巡らせるバイパスである人体の中核器官。 「それも含まれる。だが、俺の言っているのは腸だ。切り取ったアレのことだよ」と、彼は点滴のついていない左腕を使ってベッド横の小さなテーブルへ乱暴に手をまさぐらせる。手が当たって、彼の言うところの『アレ』は床へと転げ落ちてしまった。ガラス製でフィルムケースほどの大きさ。円柱の形をしたその瓶には、赤黒く壊死した三センチほどの肉塊が化学物質により保存されている。彼から分離されたときそのままの状態に保っているのだろう。 「俺の一部だ。大切にしてくれ」  僕はガラス瓶——彼の腸の一部が入った——を拾い上げ、再びテーブルに置く。 「医者が話してくれた。腸は脳みそと同じように独自の神経伝達物質とやらがあるらしいぞ。脳から腸、と指令を下す順序だけでなく、逆に腸が脳を動かす場合もあるんだと。ほら、テストの前日に腹痛で悩まされるってことはないか?」 「ないよ」と率直に否定した。盲目の人間はその特性からひとたび口を開くと、饒舌になる場合が多いらしい。彼らは世界を言葉で認識しているのだ。 「でもお前は俺にケツを叩かれたいからここに来た。そうだろ?」 「それは、」息を呑んだ。自分の顔が赤くなるのが分かる。  そんなこと、この人がわかるはずはないのに。 「わかるさ、そんぐらい。俺もしょっちゅうだった。緊張はストレスを生む。ストレスは腸を傷つける。その腸の指令がお前の脳に下っている。——それが助けを欲しがっている今のお前さ」  黙った。これ以上自分の感情を読み取られるのはごめんだ。 「でもな、あまり俺に期待するな。切り離されて感情が削がれてしまった俺は糞尿と血液の詰まった、ただの肉の管だ。ほら、掴んでるものを見ればさ。……わかるだろ?」  僕の手は仕事をしている。先ほどと同じように胃液を汲み上げるチューブを握っていた。中の液体の行き着く先は彼の胃の中にある。そこから彼の体から上方に向かえば食道を通って喉から口に、下に向かえば塞がれていてまだ開かれていない腸が、そして排泄される肛門へと繋がるはずだった。実感を持って人間が一本の管だと理解できたのは、彼のおかげなのだろう。 「それから無口でいると誤解されるから気をつけろよ。お前にとって損にしかならない」  僕の無口は彼のせいでもあった。ゆっくりと彼の顔を見る。閉じたままの目の周りは落ちくぼみ、深い翳りがある。視線を落とし、これから痩せこけていくだろう彼の頬を見つめた。  ベッドテーブルに置いてある小さな置時計は午後二時半を示した。辞去しようとしていた時刻はとっくに過ぎている。退室させてもらう旨を伝えると、彼の顔の筋肉にこわばりが生まれた。彼は目で語らないぶん表情が豊かだ。残念だという意思を伝えたいのだとすぐに理解できた。 「そうか。裕喜はどうしてる?」 「元気だよ」嘘をついた。  弟の裕喜は金曜の晩に「探さないでくれ」と記した書き置きを残して未だ行方知れずのままだ。捜索願すらまだ出してない。  病気の彼には知らせない方がいい、というのが母親が出した結論だった。 「お父さんのことは大丈夫なのか」と訊かれた。言葉に詰まった。「母が全部やってくれています」とだけ伝えた。照明をつけていない部屋の中が暗くなっていく。青が目に染みるほどの晴れていた空が曇り始めている。 「今夜が終わったら、母さんの力になってあげてくれ。いろんなことにな」  横たわる彼の口元には含みのある笑みが浮かべられている。痩せ我慢の余裕だ。まるであと一発もらえば倒されてしまう老いらくのボクサーのよう。  椅子から立ち上がった。持参したカートを手に取り踵を返す。 「また火曜日に来るから」 「わかった。でもな、翼」呼び止められた。体を出口に向けたまま首だけで振り向く。 「誰もお前のことなんか見ちゃいねえよ。安心しろ。陶酔感はまやかしだ——、くそったれな幻だと考えて間違いない。だからそのとき一瞬だけに集中しろ」彼は檄を飛ばしてくれた。「葛藤が不毛なら、誰もいない便所の中で十字でも切ればいい」  彼の声は弾丸のように響いて病室をしんと静まりかえらせる。 「そうすりゃ少しは落ち着く。で、気張れ。俺に言えるのはそれくらいだ」  対面の老患者が口をあんぐりと開けてこちらを見ている。盲目の彼には分からない。 「きっとお前はそれができる人間だ」そう言った彼の唇には先ほどまでの余裕が消えている。僕はベッドに横たわる彼をただ見据えた。そして、 「ありがとう」と短く礼を言った。 「なにせお前は王様になるんだからな」と、ベッドの上の彼——叔父が言った。

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