日曜日の告別式は滞りなく行われた。土曜日のライブのあと、そのまま帰宅した僕は服も着替えずにベッドに倒れこんだ。疲労が重なっていて夢も見ない正体のない眠りだった。意識を取り戻したときにはもう家を出なければいけない時間に近くなっていて、慌てて制服に着替えて家を出た。 急いだおかげか、式典開始時刻の三〇分前には式場に到着した。駅から一〇分ほどの場所で、後日母に聞くと急な弔問でも対応できる斎場を業者と打ち合わせて指定したそうだ。 父は式場で一番目立つ場所に居た。 生花に囲まれた白木祭壇の中央にあった父の遺影は——家では見る機会のなかった、精悍な顔つきで真正面を見据えている写真だった。出処はいつか弟が見せてくれた新聞に掲載された時の画像と同じで、会社で広報用に撮影されたものだった。 その下に桐張りの棺が鎮座していた。正面から左手が頭部分らしく、棺の蓋に扉がある。そこを開くと主役の顔が覗けるつくりになっている。 僕はそれを開いた。 自然と、涙があふれた。父の顔は生気を失い土気色になっているが、高い鼻筋と厚い唇はまさしく彼のものだ。号泣し嗚咽混じりになりながら視線を感じる。葬儀社のスタッフからのらしいそれを完全に無視した。かまわない。身内の死に涙する遺族なんて彼らとしても何も珍しくはないだろう。せめて今、この時だけは感情を露わにする僕を僕自身は許した。 そのときはじめて、自分が父親を愛していたのに気がついた。 一週間の猶予は葬儀会社にとって「父の人生」という題材の短編映画を制作するために十分な期間だったらしい。告別式の開始後まもなく上映されたその映画で、彼の生まれた年に起きたわが国の政界の出来事や国内外の歴史を否応なしに記憶させられた。 父と母のなれそめをその映画ではじめて知った。父が営業職で各地をまわっているとき、担当のガソリンスタンドのアルバイトとして働いていた母を見初めたのがきっかけだそうだ。よくある話だ。ナレーションによると十歳以上年齢の離れたカップルだったが周囲でも評判になるほど仲が良かったそうだ。趣味が共通したため交際が始まったと説明していた。でも「共通の趣味」とやらについて僕には思いあたるふしはなかった。 映し出されていた静止画像はふたりのツーショットで、年若い母と温厚そうな中年になったばかりらしい父の姿がそこにはあった。アルバムを開いたりだとか機会はあったはずだ。でも父は自宅でいつも眉間にしわを寄せていたから、若い父をはじめて見るような錯覚に陥った。
コメント投稿
スタンプ投稿
このエピソードには、
まだコメントがありません。