まだら模様の肉塊。俺のはらわたで這い回る、あの虫。早く寝たほうがいい。だが、横になろうとしたところで、ベッドの下にいるわけのわからない化け物に俺の心は掻きむしられる。俺を見下ろしたそいつの顔は見えない。ただの闇だが、説得力のある闇だ。怯えた俺は真夜中に目覚める。俺は誰にも聞こえない声で叫び声をあげるが女房は目覚めるはずはない。この叫びは俺だけのものだ。悪夢は反転し、現実に侵食する。俺はもう長いことうなされ続けている。気色悪くて吐きそうだ。そうだ、吐いた方がいい。虫よ、化け物よ、ああ、落ち着け、時間をくれ。でも虫はいつしか俺の皮膚の裏側を這い回り、化け物がそいつを楽しそうに見ている。趣味の悪いやつだとつくづく思うう。 だがいつしかその化け物と俺とは親友の仲になった。かたときも一緒だ。奴がいつも共に居ると感じる——むかしからの友人のように、 奴は隙あらば俺の肩に手をかけてくる。余裕をみせてウインクのひとつでもしてやれれば——真夜中に干し白いシーツが幽霊に感じるように、怖いと思うから怖いのだ。気の無い振りをして化け物をがっかりさせてやろう。憤懣やるかたなくなったそいつは胸元をさぐってくる。財布を抜き取られる——いたずらっ子め。紙幣を一枚づつ物色しはじめたそいつとはじめて目を合わせた。付き合いは長いが真正面から向き合ったのははじめてだ——底知れぬ真っ黒な瞳。真っ裸を見られたような心地になる。底知れぬ悪意を感じる。やめろと叫ぶ。化け物と二人きり夢の中で踊り続ける。 いいかげんに俺は目覚めるべきだ。甘美な春を胸いっぱいに感じ、どこかへ行くんだ。そうだ、いつか子供たちと行ったあの水辺公園がいい。あそこは理想的な時間の流れ方をしている。健康的に太陽の光を浴びて、日中は動きまわって夜は正体も なく眠り果てるのだ。朝起きて夜寝る。人として基本的なことだ。それともヤクザ映画の鉄砲玉のように二度と戻れない旅に出ればいい、のか? 閑話休題。自分で自分を褒めてやりたい。とうとう俺は固い殻を脱皮した。俺は勇気を振り絞ってソファから身を起こし、肘掛け椅子に腰をおろす。俺は泣いている。俺の筆は、いや、キーボード上のキーは弛まず打鍵されている。それがたまらなく悲しい。神様にでも跪いて祈ろうとしてふと気づく。ばかばかしい。信仰のない人間が祈って何になるんだ。これは俺が望んだはずだ——我々王国騎士団は独立国家を構築しやってきた使節団を次々に屠った。国交を断絶し同時に繁栄を望む——そう仕向けたのはきみだろうが。時計は長針と短針がばらばらに踊り出して今は何時だかわからない。それがどうした? なにをするにも手遅れだ。窓を開けて、換気する。月光でバラが照らされている。もう秋に近いはずなのに女房に育てているバラに 露が落ちている。俺も水が欲しい。喉が渇きすぎていて潤いたい。生きていたいと願いたい。俺はあのバラになりたい。 ここで改行。寝室に行ってはとんぼ返り。寝室のベッドはやはり苦手だ。化け物について思い出すし、酸素濃度が高すぎる。だから俺はキーボードのキィを叩き続けている。堂々巡り——ああ、いやだ。この椅子に座らせ、この文章を書かせているのは誰なのだろう? 俺の中の化け物が書かせているのだとでもいうのか? ばかなことを……。わかっている。俺は俺が可愛いんだ。 女房はベッドに横たわり仰向けでぐっすりと眠っている。寝息を立てている妻の顔を見つめる。はじめて女の子の手を握ったときみたいに胸がどきどきする。額に手をかざすと——吐息があたる。完全に完璧に彼女は眠っている。俺は手を彼女の首にやり、そのまま下へと滑らせる——胸のふくらみや腹を超え、下腹部に指を添える。そのまま手のひら全体を腹にそっと乗せる。この裏側にあのめくらの子供がいるのだ。 ああ。 俺は思わず眩暈する。ふと、彼女が目を覚ましてしまったと気づく。こちらを見て「どうしたの」と女房は聞く。「なんでもない」と俺は言う。そう、なんでもないんだ。何かが起こったとしても、それは俺の問題で、お前の問題じゃないんだ。 いいから、寝ろ。そうすればお前はこの夜の出来事を夢だと片付けてくれるだろう。あの化け物のことは、お前は生涯知らなくていい。
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