花泥棒と秘密の猿たち

読了目安時間:4分

エピソード:30 / 37

第三十話

 寝室で見た月とこの書斎から見える月はきっと同じものに違いない。同じ夜は数限りなくやってきたが二度と来ないことはなかった。まるで新聞配達のように同じ時間に行儀良くやってきてくれるのだ。新聞? はてな、月で起こるニュースとは——いけない。脱線してはいけない。——月で日々取り組まれている経済活動、または汚職事件、政権あらそい——知ったことか。女房ひとり相手にするだけでも俺は目が回りそうだというのに。  生活の中でひとつだけの救い。翼。つばさ。かけがえのない俺の子供だ。むかし俺は翼に「誰よりも強くなれ」と言い含めた。この家で、母親から——耐えられるためには強くなければ生きていけない。しかし言った当人である俺が先に崩れ落ちるんだから笑いものだ。あいつに俺の狼狽を知られるわけにはいかない。俺はあいつがわからないように演じ続ける。この書斎のソファにからだをあずけて月の光を受けた庭のバラのように安らかに眠ろうとする。だが、横たわる俺の枕元にあまたの化け物が立ち、覗き込んでいる。殺気を感じて俺は叫ぶ。  裕喜を医者に診せたのがそもそもの間違いだったのだ。そして裕喜を女房に任せきりにしたのも。運命を定めたチェシャ猫に嘲笑される。いわく人間は飽くことのない欲望の動物だと。それもいいだろう。脱落者はただ去るのみ。そういえば勘違いした奴がむかし「俺のために」と動いて破滅したんだっけ。ああ、前例に倣おうとするのは何一つおかしくはない。何も問題はないはずだ。  今朝、ナイフが届いた。刃渡り十七センチでブレードは鈍い輝き。念のため出発前にキッチンでよく研いでおこう。ロープは妻の必要なものと一緒に園芸店で購入した。ふたつとも決済のカード履歴が残るのは気になる点だがまあいい。場所はあの河川敷がいいだろう。水辺公園も見えるし、ひょっとしたら朝にランニングする翼がみつけてくれるかもしれない。愛した存在位にみつけられるのならば。だとしたら、俺の人生は幸福だ。  ばかをやるのもいいかげんにして、もう眠ろう。寝た方がいい。眩暈がする。意識が途切れがちだ。まだら模様の肉塊。胸の鼓動はまだ続いている。はらわたの虫が口から這い出してくる前に終わらせよう。虫は俺の思考を餌にして肥えてもはや飽きられているようだ。その日は近い。まだら模様の肉塊。  くだらない。なぜこんな文章を書いているのだろう。まだら模様の肉塊。俺はもう何も考えたくない。明日も朝五時に起き出して仙台まで行かなくてはならない。俺は子供たちを愛している。翼も、裕喜も、かけがえのない俺の宝だ。まだら模様の肉塊。それは妻で、裕喜で、翼で……、そして俺だ。俺は生きていかねばならない、と思う。生きて、生きて——しかし、何んのために? ……  内容はそこで途切れた。日付は父の遺体が発見された前日だ。僕はブラウザを起動し、自分のメールアカウントを立ち上げる。全文をコピー&ペーストして内容を保存した。部屋の窓を開ける。持参したペットボトルの水を飲む。少量を残してからにして、灰皿代わりにしてタバコを吸う。  これは遺書なのだろうかと、僕は考えていた。普通の人間ならばこんな意味のない文章を書かないだろう。だが、病的な神経の持ち主となってしまった父ならば、あるいは書き残しておきたい気持ちにならないとも限らないかもしれない。  父の検死結果について、報告に来ていた捜査員が母へ昼に話しているのを立ち聞きした。凶器とみられたナイフに残された指紋は父本人のものしか検出されなかったそうだ。  胃の中の残留物は遺体発見前夜に家族四人で食べた夕食のシチューのほか、アルコールが多量に検出されていた。死期を悟った象は一頭で死に場所を見つけるという。父は象にはなれなかった。死を目前とした父は怖気づいたのだ。父の残したテキストデータを警察に知らせるつもりはなかった。それは彼の恥だった。  少し薄暗くなってきた空には、ほんのりと月が出ていた。文章中に出てきた月とは趣きが異なっているだろうが、同じ月のはずだ。けむりを月に向かって吐いてみる。紫煙は一瞬だけ月の存在をかき消して、すぐに姿を消してしまった。  父は母の妊娠を察していた。そして母が宿してる子供が、叔父によるものだと思い込んでいるらしい。だけど僕には——、残念ながら彼の推理が外れていると間違いなく判断できる。  叔父のペニスは勃起できないからだ。

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