こんにちは、柴見です。 前回ではPTSDになった出来事を簡単に書いてみました。今回はその後を綴っていきたいと思います。 事件が起こってからしばらくは普通に仕事ができていたのですが、いつあの人がいつ店に怒鳴り込んだり、鳴る電話の向こうにいるんじゃないかと思い始め、見えもしない影に怯え始めました。 やがて恐怖のあまり仕事にもならず、退職となりました。その職場の上司さんたちは本当によくしてくれました。最後まで励ましてくれて送り出してもらいました。 そこから実家に戻り、もう怖がることもないはずなのですが、身に刻まれた恐怖に怯え、何もできないでいることに強い罪悪感を覚えるようになりました。鬱の代表的な症状ですね。 何があっても何をしても、恐怖心と罪悪感がつきまといました。 実家に戻った後しばらくして、両親に働くように言われました。バイトには過去学生時代に働いたところがあり、そこを頼りにいったのですが、分かりやすく言えばそこで職場イジメにあいました。 仕事はろくにメモを取らせてもらえず、また焦りや不安などが仕事の邪魔をしてミスばかり。 それが (仕事ができない奴だからという理由) 叩くのに丁度良い免罪符になったのでしょう。自分は半年間職場でのストレスの掃きだめ口として扱われました。 誰に何を言っても聞いても怒鳴られる、怒られる、無茶振りをさせられる、無視される。居るだけで露骨なため息をつかれる。仕事をろくに教えてもらえず、見よう見まねでやっていましがた怒鳴り散らされるだけで、半年間駄目だったなと上司に冷笑されました。 そうした半年間のあと、初の自殺未遂を起こしました。 手首を切る、リストカットです。 結果といえばためらい傷にもならないひっかき傷が2、3残っただけで、そのくせすごく痛くて痕に残りました。中々消えませんでした。経験のある方なら分かると思います。 この辺りで、抑うつと診断されるようになりました。 仕事もできない、死ぬこともできない。手首を切ったときの親の泣いた顔が忘れられない。 どう、生きればいいのかな。生きてていいのかな。なんで生きてるのかな。なんで死ねないのかな。申し訳ないのに死んだらもっと申し訳ないかな。じゃあなんで生きてるのかな。どう生きれば、いいのかな。 そんなことばかり考えていました。 その迷路でいきついた先は、アルコールでした。
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喜多村やすは
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喜多村やすは
2020年5月10日 16時44分
柴見流一郎
2020年5月10日 17時02分
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柴見流一郎
2020年5月10日 17時02分
陽口行
そうなりますよね… 周りの人、病気への理解が無さすぎる。
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陽口行
2020年6月2日 16時45分
柴見流一郎
2020年6月3日 16時46分
コメント感謝です。 つらい、しんどいって口にしないと、周囲にも届かないことがあります。今回は柴見が周りを信じ切れなかったという理由もありました。
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柴見流一郎
2020年6月3日 16時46分
3年A組
2020年5月10日 21時45分
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3年A組
2020年5月10日 21時45分
柴見流一郎
2020年5月10日 22時36分
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柴見流一郎
2020年5月10日 22時36分
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