愛している。――ユトレイシア秘密情報庁――

第7章

「それで、ルイ・コーの分子生物学の研究員としての椅子なんですが……」  尋問室をワンサイドミラーの向こう側に見ながら、セスは隣の椅子に座るギルバートに聞いた。ジム・クロウは目隠しされた上、後ろ手に手錠をかけらた、いかにもだるそうな様子をしている。 「ああ、もちろんわかってるよ。アメリカのボストン大学のほうに一応席を用意しておいたが……もしルイ・コーのほうでボストン大学は嫌だとか、アメリカには行きたくないといった場合、こちらで約束を守れるのはいつになるかわからんということになるな。なんにしても、こうなった以上彼はユトレイシア市内からはまず出たほうがいい。もしイェン一族のほうで護衛をつけられないのだとしたら、うちの保安部の人間を向かわせるが、そのほうがよさそうか?」 「いえ、彼はもうすでにロンドン行きの飛行機のチケットを手にしていますよ。最終の便でそちらへ向かうということでしたから……」ここで、セスはジャガー・ルクルトの時計をちらと見て言った。「もうすでに搭乗して、今頃は大西洋を渡ってるんじゃないですか。本当は居住地としてはイギリスを希望していたようですが、まあ、アメリカでも文句は言わないでしょう」  このあと、セスは彼にしては珍しくちくりと良心の痛むものがあったかもしれない。自分の裏切りがなければ……ジム・クロウはこんな惨めな状態で手錠をかけられるでもなく、今もあの三角州の居城の主でいることが出来たに違いないのに。  もちろん、こんな悪党に慈悲は無用であるとも、セスにはよくわかっている。けれど、結局のところ自分は彼と同じ穴のムジナなのだということもわかっていた。そして結局のところセスは、二十万ユト・ドルという金のためにジムのことを売ったのだと思い出し――プロの諜報員としてようやく思考を切り換えることが出来たのである。  一方、ギルバートのほうでもセスと似た種類のことで思うところがあった。つまり、ローレンス・リグビー情報庁長官の命により、今回のミッションまで突き進み、収穫が上がりつつあるのはいい。だが、このために<麻薬王>の異名を取る六本指の悪魔が犯罪の裏市場から消えたことで、暫くの間は混乱状態が続くことになるだろう。諜報の仕事というのはいつでもそうだが、それが「正しい判断だった」とわかるのは、かなり時が流れてのちのことである場合が多いのだ。 「あいつ、何かしゃべりましたか?」 「いや、そう大したことは何も、といったところだな。まあまだ尋問一日目といったところだ。人道から逸れた方法で拷問するというのは、長官直々の命でも下らない限りとりあえずする気はない。セス、おまえのほうで何かいい方法はないか?仮にも六本指の悪魔などと呼ばれる男と四か月も寝起きをともにして来たんだ。ジム・クロウはこういう聞かれ方をすると激昂するとか、ジェネラルの件に直接関係がなかったとしてもいい。あいつの感情を揺さぶるのにいい質問があったら教えてくれ」 「そうですね……前にも言ったとおり、一番いいのはあいつの前に愛猫のチェルシーを連れてくることですよ。それで、猫の六本ある指のうちの一本を切り落とすとでも言えば、案外早くゲロってくれるんじゃないですかね」  通常、猫の指、というのか前脚の人間でいう指に当たる部分は六つではなく五つに分かれている。だが、キィウエストで作家のヘミングウェイが可愛がっていた猫は六本指だったという。そしてジム・クロウもまたそのような猫を偶然見つけ……そのことに運命を感じ、不細工なその猫をとても可愛がっていたのだった。  その後、尋問がはじまり二十日が過ぎても、ジム・クロウの態度に一切変化はなかった。ディラン&トミーがキツく締め上げる聞き方をしても、「そんなんじゃまるで駄目だぜ、お兄さんたち」と軽口を叩いてばかりいた。「俺に本気で吐かせたいって思うんなら、熱したカナテコでも持ってきて顔や体の皮膚でも焼くことさ。それか、アメリカ軍がグアンタナモでイスラム教徒どもにやったみたいに……四六時中大音量の音楽を聞かせて眠らせないとか、白状しなけりゃ鉛をてめえの喉に流しこむぞとでも言って脅さなきゃまるで効果なんかねえよ」  ディランとトミーはこうしたジム・クロウのふてぶてしい態度に苛立つあまり、やり方を変えることをギルバートに提案したが、彼の意見はあくまで「人道的にいく」というものだった。というのも、彼らにはジム・クロウが今すぐにジェネラルの正体を吐いてくれなければ困るといった差し迫った問題があるというわけではないのだ。そして実際のところ、そのジェネラルというのが自分たちが求めている人物とはまるで違っていたという可能性というのも、十分ありうる話である。 「奇しくもジム・クロウ本人が言ったとおり、イラク戦争時、疑わしきは罰せよ方式で捕えてきたアラブ系の人々にグアンタナモ収容所では相当ひどいことが行われた。もし仮にアルカイダの一味でなかったとしても、生きたまま喉に鉛を流しこむぞと脅されれば……誰だってやってないことでもやったと言うさ。これは俺とルークの間で一致していることなんだがな、あいつはジェネラルが誰なのかを間違いなく知ってる。じゃなかったら、あいつのあの性格で大人しくなどしているわけがないだろう?もし心当たりなどまるでないことのために肩を撃ち抜かれて拘束されているのだとしたら、もっと怒り狂ってるさ。セスの報告にもあったとおり、あいつは巷で言われているほどクレイジーな人間じゃない。むしろ知的な狂人といってもいいくらいだな」  ギルバートの「じっくりやっていく」という方針に、その後もトミーとディランは渋々従っていたわけだが、やはり尋問が二十日も過ぎるとだんだんお互いに飽きてくるというのか、気持ちもだれ、沈黙している時間が長くなった。そして、ある瞬間にふと、トミーがうっかりこう洩らしてしまったのである。 「やれやれ。こうなっちゃもうおまえの愛猫のチェルシーでも連れてくるしかないな。おまえと同じく六本指の奇形猫なもんで、随分可愛がってたらしいじゃないか。部下がこの猫にエサをやり忘れたり、あるいは何かこのレディに粗相でもした場合には……その場で射殺しそうなくらい怒り狂うらしいな」  トミーもディランも、今日もきのうと同じく無為に過ぎるだろう虚しさに飽き飽きしていたのだが――この瞬間、ジム・クロウの態度にはっきりとした変化があった。 「わかったぞ!やっぱりミシェルだな!?あいつが内部に入りこんで、全部おまえらに情報を流してたんだろ?くそっ!!馬鹿にしやがって……おい、あの裏切り者の白人をここへ連れてこい!!ブッ殺してやるっ!!」  ジムは後ろ手に手錠をかけられており、また目隠しのほうもされたままだったが、突然椅子ごと立ち上がると、めくらめっぽう壁に体当たりをはじめた。 「映画やドラマなんかで見たことがあるぜ、こういうの!!どうせあれだろ!?監視カメラかなんかでこっちを見てるお偉いさんなんかがいるんだろうな。おい、ミシェル!!おまえもこっちを見てるのか!?黒人の猿がすっかり騙された様子を見るのは、おまえにとってさぞかし楽しいことだったろうな。それなのにこっちは、おまえが孤児院育ちだってことも黒人の親友がいただのいう話も、何もかも信じちまったんだっ。畜生っ、ちくしょうッ!!」  このあとさらに、ジムは激昂して汚い言葉をいくつか吐き、ミシェルに対する呪いの言葉も口にした。そして彼がいつまでも壁に体当たりを繰り返していたため――トミーは彼の頬を殴ってもう一度椅子に座らせるしかなかったのである。 「これからどうする?」  尋問室に一度、ジム・クロウとディランのふたりきりにして、トミーは尋問室の裏側のほうへ戻ってきた。 「やれやれ。今のがあいつに行った尋問開始後初の具体的暴力ってとこですかね。ですがまあ、これもちょっとはいい傾向ですよ。これから奴は俺たちがミシェルのミとでも言えば、終始苛立ちっぱなしでしょう。もちろんこっちのほうではあいつがジェネラルなんて奴知らねえと言っているのと同じく、「ミシェルなんて知らないねえ。女の名前か、それともビートルズの名曲か?」とでも言ってすっとぼけるまでのことですから」 「確かに、これは尋問術に照らし合わせて言えばいい兆候だ」  ギルバートもそう答えはしたものの、隣にセスがいたため、顔に微笑みを浮かべはしなかった。セスもまた、決して口に出して言いはしなかったが、ジム・クロウの処遇を心配し、彼は時間の許す限りワンサイドミラーの向こうから彼の様子を見つめていたのである。 「俺があいつと直接話すなんていうのは、やっぱり駄目ですよね……」 「それは駄目だ」と、ギルバートが口にする前にトミー。「尋問の第一段階をようやく越えたんだ。そんなことをすればあいつがジェネラルの正体を口にするのが無期限に伸びるっていうそれだけさ。それに、おまえがあいつの情に訴えて味方につけたいなんていうのは、忘れたほうがいい夢物語だ。いちいちターゲットにそんなふうに感情移入してたんじゃ、そのうち現場で命を落とすぞ、おまえ」 「…………………」  セスは黙りこんだ。USISにスカウトされる前、彼は詐欺稼業で何人もの人間を騙してきた。だが、その中にセスが感情移入した人物というのは極めて少ない。けれど、ジム・クロウというのはその中のうちの誰とも違っていた。どうしようもない悪党であるはずなのに、彼を「裏切った」ということに対しては、何故かセスをして良心の痛むものを感じさせるのだった。  ジム・クロウの尋問になどいくらつきあっていてもなかなか事態は進展しまいと見てとり、ルークは自分の通常業務――オシントによる<悪のエリート>という犯罪組織との繋がりを示唆するものがどこかにないかと、相当昔の新聞、またインターネットの情報などを洗いだすという作業を続けていた。  そしてこの時、まだ尋問の交代時間ではなかったが、ギルバートはルークに電話して、若干ではあるが事態に進展が見られたことを彼に告げ、ランドンにこちらへ来てもらうことにしたのだった。というのも、彼のことを取り調べている四人の人間のうち、ジム・クロウはルークに一番心を開いているようなところがあったからである。 「ほうほう、そうですか」  ワンサイドミラーの向こう側を見ながら、まるで(実に好ましい)とでも言いたげに、ルークは白い髭を撫でていた。 「ま、今晩はいつも以上にうまいステーキとデザートでも食わせてやりましょう。可哀想に、彼は心が傷ついてるんですからな……ああ見えて、ジム・クロウのほうでもずっと考えてたんですよ。自分の悪の屋敷に住まわせてやってる人間はみんな、部下として信頼している相手ばかりではある。だが、何か事情があって自分を裏切るということはありうる。だがそうした場合、誰が自分を裏切ったのか――おそらく、その筆頭として名前のあがるのは当然、ミシェル=レギーニではあったでしょう。けれど、彼はずっと猜疑心に苛まれつつ、そのことを認めたくなかったのですよ。そのことが私にはよくわかります」  そしてこの翌日からは、ルークの進言により「緘黙作戦」を取るということになった。もちろん、まったくしゃべらないというわけではないが、向こうが何かしゃべりだすまでこちらはずっと黙っているということである。 「……なんだ、あんたら。気持ち悪いな。今度は一体なんだってんだ」  きのう、ジム・クロウは特上の美味しいステーキとパンにスープという申し分のない食事をした。これまでの間はずっと、栄養面についてはしっかり考えられているが、まずい健康食的なものばかり出されてきたのだ。そしてこうなってみると、ジムは確信した。裏切り者はやはり、あのミシェル=レギーニだったのだろうと。 「ジム・クロウ。おまえがジェネラルを知らないと言い張るとおり、俺たちのほうでもミシェル=レギーニなんて奴は知らない。だがまあ、おまえさんが随分気分を害したようだから、きのうの夜はちょいとばかりスペシャルな食事をだすことにしたんだ」 「ふうん、そうかい」  このあとはずっと、ジム・クロウはふてくされたような態度のまま、沈黙を守り続けた。そんな彼の様子を見ながら、ディランとトミーは鏡の向こうに向かって肩を竦めてみせる。  だがやはりそれでも、誰とも何もしゃべらずに無為に時を過ごすというのは誰にとっても苦痛なものだ。そこでジム・クロウは差し障りのない会話を自分のほうから次第にするようになっていったのである。 「それで、うちのチェルシーは元気なのかい?あんたら、まさか俺の猫のことまで尋問するほど暇人ってわけじゃないんだろ?」 「さてな。ただ、ひとつふたついいことを教えてやろう」  ディランは鏡の向こうに目配せしてから続けた。もしこの方向性で話すのが禁じ手なら、向こうから連絡が来るはずだった。 「おまえが捕えられてから、あの三角州の屋敷では一騒ぎあったようだぞ。チャン伯父の仇とばかり、中華街の裏社会を取り仕切るイェン一族が総出であの三角州の一帯を襲ったのさ。結果、おまえの部下どもは散り散り、いや、ひとりふたりは生き伸びたかもしれないが、ほぼ全滅したということだったな。そんな中でおまえの可愛がっていたチェルシーちゃんがどうなったのか、俺たちにもまったくわからない」 「そうかよ。それを聞いて安心した。というか、あんたたちも案外馬鹿だな。チェルシーのことをここへ連れてきて、本当に指を切り落とすぞと言ってたら……俺はジェネラルなんて奴、本当は知りもしねえのに、それだけは勘弁してくれえとばかり、あることないことなんでもしゃべったろうにな」  このあと、ジム・クロウは尋問官ふたりの態度と同じく、終日黙って過ごした。この日も三食に渡っていつも以上にグレードの高い食事を与えられたが、ジム・クロウは食のほうがあまり進まないようだった。そして監視カメラのほうに、寝転がっている彼がすすり泣いているらしい様子を見て……トミーもディランも「あともう一息だな」と残酷なことを言っていた。  そして緘黙作戦のはじまった十日後、つまりジム・クロウが捕えられて一月の過ぎようとする頃、ルークの提案で彼がミシェルのことを話すということになった。「そろそろ、こちらの温情があいつの身にも沁みてきてるでしょうし、こちらが与えた餌の分くらいは何かしゃべるかもしれません」  今まで、ギルバート&ルーク組は、ジェネラルのジの字も出さずに他愛もない世間話をしては談笑することさえあった。ジム・クロウの生い立ちや家族のこと、あるいはルーク自身の家族のことやギルバートが過去に経験した思い出話のことなど……もっとも彼らふたりは偽名を名乗っており、本当に自分の家族のことを話したりはしない。すべては相手にとって「適当」と思われる架空の設定である。だが無論、誰しも100%の真実性のある嘘などつき続けるのは難しい。ゆえに、そこには適度に彼らの過去にあった本当の話も少しくらいは混ぜられていたのである。 「ミシェル=レギーニのことはどう思ってる?」  一度「あいつが裏切ったんだな!?」と激昂して以降、ジム・クロウはあまりその名前には触れなかった。というより、あのように感情を乱してしまったことをすぐに後悔したようでさえあった。 「そんな奴、もうどうだっていいさ」  それでも、彼の苦々しい口調と顔つきから、ジム・クロウが感情を乱していることがルークにもギルバートにもわかった。 「確かに彼は、我々の間者だった。イェン一族の、ではなくな」  ギルバートがこう口にすると、ジム・クロウは前と同じようにやはり椅子ごと立ち上がっていた。そして「くそっ、クソッ!!」と何度もつぶやきながら、壁に無意味な体当たりを繰り返す。 「まんまと引っかかったぜっ!!普通に考えりゃ、どう考えたっておかしい話だってのに、殺そうと思えばいつでも殺せるっていう妙な安心感から……俺はあいつが安全な奴なんだろうと勘違いしちまったんだ。だがな、まあ、もうこうなっちまった以上しょうがねえ。自分の間抜けさ加減を後悔するっていうそれだけさ」  もう一度ジム・クロウが腰掛け直そうとするのを、ルークは手助けした。そしてさらに言葉を重ねる。 「こちらも命懸けだった……そのことは君にもわかるだろう?ミシェルが言うには、彼はジム、君に本当は友情を感じていたそうだ。シックスフィンガーデビルなんていう異名をとる男の元へ間者として赴くだなんて、どう考えたって楽しい仕事じゃない。だが、ミシェルは君の機嫌を損ねていつ殺されるかわからないと感じながら、忠実に仕事をこなしたんだ。君が逮捕されてからも、ここへは姿を見せないながらも随分君のことを心配してるよ。仕事とはいえ、君のことを裏切ってしまったことにも罪悪感を感じているらしい。だから、君のことはなるべく手厚く扱い、君にとってなるべく有利な条件でここから釈放して欲しいとさえ彼は我々に頼んでいたんだ」 「ミシェル……あいつは一体何者なんだ?実際、あんな黒人の犯罪者の巣窟みてえな場所に育ちのいい白人みてえに見える奴が一人でやって来るなんて正気の沙汰じゃないぜ。ま、話としては俺も聞いたことはある。警察が麻薬の潜入捜査官をこっちにもぐりこませて情報を向こうに流すなんていうことはな……だが、あんたらはジェネラルとかいう奴の正体のことしか俺に聞きやしねえ。これまでも何度も言ってきてるが、あんたらは質問を間違ってる。他の麻薬に関しての俺が知ってることなら答えようもあるってもんだ。だが人間、自分の知らねえことについてはどうにも教えようがねえよ」  この時のジム・クロウはどこか憔悴しきって見えた。人生にすっかり疲れきり、うなだれているようにさえ見える。 「じゃあ、質問を変えよう」とギルバート。「ジム、君のところには<ドクター>、あるいは<ドク>と呼ばれる医者がいるね?彼は一体何者なんだ?我々の情報筋によれば、気の狂った医者で、麻薬製造の天才だということだったが」  仮にこっそりとでも写真を撮ることが危険だったため、セスは彼の似顔絵を描いていた。そしてそれをさらにAIに手助けしてもらって本物そっくりの人物にまで仕上げていたのだが――犯罪者データベースなどに照合してもヒットしなかったし、他のクロウの部下とは違い、彼については本名さえもわかっていなかった。 「俺もドクターことはよく知らねえんだ」と、ジムはどこか皮肉げに笑った。「ただ、あんたが今言ったことは真実だ。あいつは気が狂った麻薬製造の天才だ。もしドクが俺に協力的じゃなかったら、俺が裏の世界で麻薬王なんて呼ばれることもなかったろうな。ドク曰く、麻薬製造ってのは純粋にケミカルな科学的作業なんだと。その他色々小難しいことを並べ立ててたが、俺にとってはまあ、最終的によりよいブツが手に入りさえすればいいわけで、適当に聞き流してたよ。元は医者ってのも本当だろう。だがまあ、俺にはやっぱりあいつのことはよくわからんよ。働きの分の金は十分保証してやったし、麻薬製造のことでは口出ししなかった。ドクの望む環境を与えてやり、ちょっとばかりその作業工程をサディンと一緒に手伝ったりしてやったというそれだけさ。その割にあいつ、自分で麻薬をやるってわけでもねえ。ほんと、よくわからねえ変な奴だよ」 「なるほどな。それで、そのドクとやらとは、一体どこで知り合った?」  ギルバートは、もしやこの<ドクター>と呼ばれる不気味な男が、ジェネラルとの接点ではないかと考えていた。そして、これはあくまでも勘にしか過ぎないが、ジム・クロウの戸惑った態度で、それが裏書きされる。 「えっと、どこでだったっけな。確かあれはクラブで酔っ払っていた時……」 「クラブで酔っ払うだと?」 (笑わせるな)というように、ギルバートはジムに気づかれぬよう鼻で笑った。 「ミシェルに聞いたところによると……君は普段、酔っ払うために酒を飲むといった飲み方はしないそうだな。しかも、麻薬の取引のためにクラブや自分の縄張り一帯を見回る時には、当然一滴も飲まないと聞いたぞ。そしてドクターのほうではダブル・スコッチが好物らしいが、こちらも酒に呑まれるといった飲み方はしないそうだな。そう考えた場合、少し不自然なじゃないか?そんなふたりが酒を飲んで意気投合だなんてことは、どう考えても起きそうにない」   「……俺だって今よりずっと若かった頃は、酒を飲んで道端で寝るっていったことがあったんだよ。その後、ドクターのお陰で質のいい麻薬が手に入るようになってからさ。どんどん商売を手広く広げて、金がどんどん転がりこんでくるようになったのは」  ジム・クロウはどうやら案外嘘が下手らしい。それに、どんなに気の強い屈強な男でも、毎日牢獄のような就寝場所と尋問室の往復だけしかしてなかったら――やはりだんだんに気のほうも弱ってくるというものだ。 「では、質問を変えよう」と、ギルバートは畳みかけるように聞いた。「ドクターと君が知り合いになったのはいつだ?また、知り合った頃のドクターの社会的身分は?」  ジム・クロウが答えるまでに数秒あった。そしてそれは明らかに彼が嘘を考えつくための時間であることがこちらには丸わかりだったのである。 「ええと、かれこれもう何年になるのかな。俺はさ、ほら、ガキの頃から数字ってやつに弱かった。それに、記憶力のほうもあまりよくねえ。けどまあ、それも随分昔の話さ。俺が刑務所から出てきて、二番目の兄貴を殺っちまったあとだから……俺がドクターと最初に会ったのは十八とか十九とか、そのくらいの頃だったかな。ドクターのほうから何故か俺に近づいてきて、麻薬を造るための安全な場所さえ確保してくれれば、たんまり金を儲けられるといったように持ちかけられたんだ」 「そいつはまた随分おかしな話だな」と、ギルバート。すぐそばに座るルークの顔を見て、彼が自分と同じ考えであることがわかる。ジム・クロウは間違いなく嘘をついているのだ。「君が十八、九の頃っていうことは、君はあまりそこいらのチンピラ一般と大差なかったはずだぞ。第一、ドクターは年のほうはいくつだ?君と随分年が離れているように見えるが、そんな小僧っ子に何故そんな話を持ちかける必要がある?どうせなら……たとえばイェン一族のように、すでに裏社会で確たる地位のあるボスにでも申し出たほうがいいような話じゃないか」 「そんなこと、俺は知らねえよ。ドクに会って直接聞けって話だ。そういやあいつ、イェン一族の手からは無事逃げおおせることが出来たみたいかい?」  ここでギルバートは、ぐいとジム・クロウのことを椅子ごと自分のほうへ向けて言った。 「なんだか、他の間抜けなおまえの部下はともかくとして、ドクターだけは逃げられたはずだと確信しているような口振りだな。第一、おまえがこちらに何か聞く権利など、最初からありはしないんだ。さあ、こっちが聞いたことを順番に話せ。ドクターの年齢は?」 「ふふん。あんたもだんだん地が出てきたな。最初のふたりは俺をキツく締め上げる役で、そのあとに温厚な刑事よろしくあんたら二人が今度は御登場ってわけだ。ドクターの年齢?そんなのむしろこっちが知りてえよ。ま、俺より相当年上ってことだけは確かだが、俺はドクのことは好きでも嫌いでもねえよ。金儲けさせてくれる奴ではあるが、何分何を考えているのかよくわからない恐ろしい奴でもあった。だが、向こうでは俺のことを気に入ってたんだろう。あいつはより純粋な質のいい麻薬ってのを科学者よろしく製造するのが好きだったし、その販路については俺に任せて一切口出ししなかった。普通なら揉めるのはこのあたりじゃねえかと俺も思うよ。たとえば、自分の働きに対して分け前が少ないみたいな、そんな話さ。だがドクは麻薬造りが好きで、金のことにもそんなにうるさくなかった。そういう意味ではつきあいやすいいい奴だったのさ」 「そいつはおかしいな。つまり、ドクターと君の関係というのは次のようなものだったんじゃないのか?ドクターはジェネラルと繋がりのある存在で、本当はむしろ彼のほうが君の上司のようなものだった。今、ユト河左岸のダウンタウンでは、君がいなくなったことで裏社会のほうが相当混乱してる。裏社会の勢力図に大きな変化が生じたんだ。もしかしたら、ジェネラルが選ぶのは君である必要はなかったのかもしれない。それがイェン一族の長であるチャン・イェンでも他の誰かでも……麻薬製造の天才であるドクターが背後にいれば、そいつはいくらでものしあがっていけたろうからな。ただし、麻薬の世界は新顔には厳しい世界だ。そのあたり、君くらいのクレイジーさと肝っ玉があれば、裏の世界のボスになるにはうってつけだと、ジェネラルのほうでそう踏んだのかもしれない」  これは、ギルバートの推測の域を出ないただの意見ではある。ルークもまた(いい線をついていると思いますよ)と視線で頷いていたが、ジム・クロウのほうの反応は捗々しくなかった。というのも、彼はこれ以降ぷっつりと何か精神の糸でも切れてしまったみたいに黙りこんでしまったからだ。 「取調べのほうは人道的に行う」と言ったのはギルバート自身ではあったものの――何を質問してもジム・クロウがだんまりを決めこんでいたため、彼にしてもこの時が一番イライラしたし、衝動的にジムに暴力を振るいたくなるのを抑えこまねばならないほどだった。  相手の緘黙が一種病的でさえあったため、今日の取調べは一旦ここまでとし、ギルバートはディランとトミーに彼を連れていかせるということにした。そして、彼を見張る警備局の人間に「今夜は特に注意するよう」命じておいた。他に、自分の部下たちの多くが死んだという事実を聞かせた夜も、ギルバートは警備局の人間に「目を離さないように」と伝えていた。舌を噛むなど、その他こちらの予想しない形で自殺する可能性があると思っていたからだ。 「どう思う?」  ジム・クロウのいなくなったがらんとした尋問室で、ギルバートは疲れたような吐息とともに聞いた。 「そうですね。本部長の言ったことは実はかなりのところ的を射ていたんじゃないですか?じゃなかったら、あんなにまで見事に沈黙したりはしないでしょう。そもそもジム・クロウのことを麻薬王にしたドクターがジェネラルと繋がりのある人間だったのだとしたら……色々と辻褄が合おうというものです。ユトレイシア警視庁のほうに問い合わせてみましたが、イェン一族が襲ってくる前に、麻薬製造のプラントのほうは綺麗に片付けてあったそうですよ。無論、麻薬製造の痕跡のほうはありありと残っていたそうですがね……ですが、逮捕された者の中には、ドクターと思われる人物はいなかった。それに、死体としても見つかっていないようですしね」 「何分、昼日中に機銃掃射までしてジム・クロウを助けようとしたということは……ドクターなぞはジェネラルにとってもっと重要な人物だということだろう。彼自身、相当な切れ者らしいということから見ても、ジム・クロウの犯罪組織はこれまでだと思って見切りをつけたのかもしれないな」 「そうなると、どうにも解せない点が私にはあるのですが……」  ルークは白い髭に手をやりながら、深く瞑想するような顔つきで言った。 「ジェネラルとジム・クロウは、ジム・クロウとドクターの関係とは違って、何か友情的なものでもあるのかどうか。そうでもなければ、あそこまでの危険を犯して彼を助けようとした理由がわからない……また、友情的なもの、あるいは過去に世話になったという恩でもあるのなら、彼が堅く口を閉ざしている理由もわからなくはない。ですが、もしその逆に……」 「そうだな」と、ギルバートが後を引き受ける。「逆に、こうは考えられないか?あんな昼日中に軍用のヘリコプターが姿を現したのは、ジム・クロウを助けるためじゃない。奴を殺すためだった。あいつももはやこれまでとジェネラルのほうで見切りをつけたのだとしたら――あそこまでのことをして殺そうとしたというのなら、その理由は我々のほうでも理解できる。だが、あのヘリコプターが自分を殺しにきたと思えばこそ、ジム・クロウは一目散に急斜面を駆け出したのかどうか。そこのところが俺にもわからない」 「なんにしても、今夜は私が泊まり込んでジム・クロウのことを見張りますよ。ジェネラルに見切りをつけられたら、あいつはもう、五体満足でここから出ていけたとしても……元の古巣には当然戻れませんし、他に行き場など果たしてあるのかどうか。もちろんあいつのことをムショ行きにするのは簡単ですが、もしあいつがこちらの取引に応じた場合、また情報が真実なものであった場合、我々はあいつを無罪放免にしてやらなきゃならないわけですしね」 「そうだな」  ――この日の夜、ルークは警備局に詰めて、数時間仮眠をとった以外では、ジム・クロウの様子を注意深く見守っていた。すると、夜の二時頃、彼は突然のそりと起きだすと、監視カメラのある方角に向かって何か話しかけてきたのである。  そこでルークは、スピーカー越しにではあるが、彼にこう問いかけた。 「どうした?何か話したいことでもあるのかい?」 「ああ、やっぱりそうか」と、ジムは笑った。「相手はあんただとは思わなかったが、だがちょうど良かった。ミシェルの奴は本当に俺に対して友情なんて感じたりしてたのかい?それで、俺がドジを踏んで捕まっちまったもんで、そのことで良心が呵責しちゃったりなんかしてるのかどうか……そのことを聞きたかったんだ」 「ちょっと待て」  暗がりの中で硬い寝台の上に体を起こし、ジム・クロウはどこか心細い少年のような様子でそう聞いていた。おそらく、寝ているように見えて、随分長く考えることが色々あったのかもしれない。これはルークの直感だが、「今」なら彼は何か本当のことを話すかもしれないという気がした。だが手続き上、ルークひとりの判断でジムと格子越しに話したりするといったことは出来ないのだ。 「就寝中、申し訳ありません、本部長」 「いや、いいさ。第一、俺が今職場の近くに住んでいるのは、こうした時のためなんだしな……何があった?」  ベッドから跳ね起き、ギルバートは頬と肩の間に携帯を挟んだまま、着替えはじめた。そしてジム・クロウが今なら何か話しそうな様子をしているというルークからの報告を聞く。  秘密情報庁本部までは、車で十分もかからない。何分深夜という時間帯のことも考えると、車の渋滞といったことも計算に入れなくていい。そこでギルバートはノータイでストライプのワイシャツを着、グレイのズボンをはくと、ベルトも締めず、くつ下も履いていない状態でジャガーに乗って自分の職場へと急いだ。 「……本部長。もしかしてそれ、スリッポンってやつですか?」 「いや、車に乗ってから気づいたんだが、ちょっと寝ぼけてたもんでな」  夜勤の警備局の人間に頼んで、ギルバートはいつもの手順の通りジム・クロウのことを尋問室へ連れてきてもらった。常に目隠しが必要な理由は彼にすでに説明してある。もし彼をこのまま無事釈放するとしたら、こちら側の顔は知らないほうがいいということになるからだ。 「正直、こんな真夜中にでもあんたらが来てくれるとは思わなかったぜ。ま、これは声の感じから察した俺の勘というやつなんだが、たぶんあんたたちは締め上げ係のふたりよりも警察内で身分が上の役職なんだろうな……俺に言わせりゃあいつらは馬鹿と無能の二人組としか言いようがねえよ」 (あれでも、二人合わせて一応、IQが三百を越えるんだぞ)とは、もちろんギルバートもルークも言わない。 「我々の不肖の部下のことはともかくとして……ジム、君はミシェルのことを聞きたいそうだな。確かに彼は君のことを心配していたし、君と一緒にあの屋敷で暮らした四月ほどの間に、情が移るというのは変な話だが、友情のようなものを君に感じていたらしい。良心の呵責からかどうか、君のことも出来るだけ穏便に扱ってほしいと言っていたからな」 「そうか。じゃあ、あいつに言っておいてくれよ。俺のことなんかでおまえが良心に責めを感じる必要なんかないって。第一、短い間とはいえ、実際のところ結構楽しかったからな……だが俺は最後に、あいつがどこまで俺に嘘をつき、真実を話していたのかを知りたいっていうだけなんだ。たぶん、孤児院育ちでそこで一緒に育った黒人の親友がいたなんていうのも、全部作り話だったんだろ?」 「その点は本当だ」と、ルークもまた少しばかり寝ぼけていたせいか、急いで録音装置のスイッチを入れる。「ミシェルは確かに親に捨てられて、孤児院で育った。そしてそこに黒人の友達がいたというのも本当の話だ。我々も彼も嘘つきであるかもしれないが、それでも100%まったく何もないところから嘘はつけない。何かしら相手にも真実に聞こえるようにそこに本当にあったことを盛りこんだりするものなんだ……そうした意味で、ミシェルは任務のために君を騙したかもしれないが、かといってその友情が100%嘘かといったら、そういうことではないんだよ」  ジム・クロウは支給された灰色のスエット姿のまま、いつものとおりふんぞり返るようにして椅子に腰掛けている。だが今夜の彼は、この時流石に少しばかり居住まいを正すようにしていた。 「ミシェルと話すってことは、規則でそう出来ないってことだったものな……俺はあいつになら全部しゃべっちまってもいいかと思ってそう聞いたんだが、そう出来ないと聞いてやっぱり話すのをやめたのさ。なんでだい?俺があいつとサシで会ったらあいつの首根っこにでも噛みついて殺そうとするとでも思ってんのかい?」 「つまらないルールのためさ」と、ギルバートは答えた。「実際、彼のミッションのほうはもう終わった。ゆえに、本来なら少しの休暇ののち、次の仕事へ向かうといったところだが、やはり君のことが心配なんだろうな。毎日、この部屋の様子を見るために何時間も壁の向こう側で過ごしてるよ。だが、この規則というやつは、我々自身にも破るわけにはいかないものなんだ」 「まあ、いいさ。それよりあんたらはジェネラルのことをどのくらい知ってるんだい?ドクターのことさえまるで調べがついてないってことは、ジェネラルのことなんかもっと知っちゃいねえんだろう。こんなことを言うのは職務に忠実なあんたらには気の毒なこったが、実際俺にもジェネラルが誰かなんてまるきりわかっちゃいないのさ」  ルークもギルバートも、ともに机を挟んでジムと差し向かいになった。何故、今この時になって彼がしゃべろうという気になったか、あるいは手の込んだ嘘でもつこうと考えついたのか……今の段階ではまるでわからない。 「だが、おそらく君の元にはジェネラルからの連絡がどのくらい間隔を置いてかは知らないが、定期的に入るものなんだろう?それに、君がアストレイシア墓地で待ち合わせていたのもおそらくはジェネラルだ。それなのに相手について何も知らないっていうんじゃ理屈が通らないよ」  ルークにそう問いかけられて、ジムは溜息を着いた。 「今まではともかくとして、ここから先はすべて本当のことさ。それをあんたたちが信じるか信じないかはそっちの自由だ。きのうも言ったとおり、俺がドクと知り合ったのは十九歳くらいの頃のことだ。『ジェネラルが君のことをここら一帯の裏社会のボスにしたいと言っているがどうかね?』と、向こうが聞いてきたんだ。容貌のほうは今とあまり変わらない感じだったな。プラチナブロンドの、男にしちゃ長い髪をしてて、バハマあたりででも焼いてきたのかっていうような黒い肌をしてた。黒いなんて言っても、白人が無理して日サロに通って肌を黒くしたみたいな、そんな感じさ。ま、会った瞬間に感じはしたよ。『コイツ、マジでかなりヤバイ奴だな』っていうのは気配からなんとなくね。それに、ドクはあの通りおよそ冗談なんてまるで言いそうにない感じの奴だ。で、とりあえず俺はあいつから話のほうを聞くだけ聞こうと思ったんだ。三角州の土地をすでに買い取ってあるから、自分の好きな設計で家を建てて、そこを犯罪の根城にするといい、なんてな。で、その横っちょに麻薬製造のためのプラントを建てて、そこから麻薬を運んで金にする。ドクはこの時、『お膳立てはすべて整ってる。簡単だろ?』とすら言った。だが俺はその時、兄弟殺しのシックスフィンガーデビルなんて呼ばれて恐れられてはいたが、ただのチンピラにしかすぎなかった。あとから一体どんなしっぺ返しを食わされるのかと思っちゃいたが……他に金持ちになる方法なんか、頭の悪い俺には思いつきもしなかったからな。で、あとで仮に悪魔に魂を要求されるのだとしても、地獄へ落ちるつもりでドクの言うなりになることにしたのさ」 「なるほどな。そういうことか」  ギルバートはそう答え、溜息を着いた。確かに、ジム・クロウはジェネラルを知っていた。そういう意味では捜査のほうは一歩前進したのかもしれない。だが、それが本当に<悪のエリート>、あるいは<悪魔のエリート>と呼ばれる組織と繋がりのある人物なのかどうか……そしてギルバートはここで(いや)と思う。(その組織の名前が<悪のエリート>とか<悪魔のエリート>などという名称でなかったとしても構わない。事実、一介のチンピラに過ぎなかったジム・クロウに「悪」の才能を認め、彼はユトレイシア市内一帯を治める裏社会の帝王となったのだ。その見立てがジェネラルによるものか、それともドクター個人の判断によるものかはわからない。だがいずれにせよ、彼らの「見立て」は正しかったといえる。それに、あんな昼日中から軍用ヘリで襲ってくるような連中だ。そんな組織をUSISとして見逃すなどということは到底出来ん) 「それで、ジム。君本人はこれまでの間にジェネラルと直接会ったことはあるのかい?」 「いや、本人に会ったことは一度もない。ただ、ドクターから報告があって気になることがあった時には……ほんの時たま電話があるってだけのことさ。あの木偶の坊二人が馬鹿のひとつ覚えみたいに繰り返し言ってた七月三十一日の午後三時三十七分五秒にあった電話は、確かにジェネラルから来たものなんだ。あんまり久しぶりに<彼>から電話があったもんで……驚きのあまりつい、ジェネラルなんて口走っちまった。まあ、それがおそらくよくなかったんだろうな。俺がいつも会ってたのは、ジェネラルの代理人さ。しかも毎回違う奴が使いとしてやって来るんで、ジェネラルとか言う奴が実は本当に存在してるのかどうかさえ――実際のところ、俺にはわかっちゃいないんだ」 (トカゲの尻尾切り)と、ルークがメモに走り書きするのを見て、ギルバートは頷いた。もはやジム・クロウの麻薬帝国は瓦解してしまった。そしてジェネラルやドクターにとってそんな彼はもはや用済みといったところだったに違いない。 「それで、そのジェネラルの代理人とはこれまでの間、時々アストレイシア墓地で会って、どんな話をしてきたんだ?」 「そうだな。会う場所は実は毎回違うんだ。高級料理店の個室っていうこともあれば、遊園地なんかのテーマパークってこともあるし……なんにしても、俺がこんな短い期間で裏社会の麻薬王みたいに呼ばれることが出来たのも、ジェネラルの助言に従ってきたからなんだ。麻薬の販路を拡大するにはあいつとこいつが邪魔だから、こうした形で消せとか、そういう指示が出るのさ。で、俺はこれまでの間ジェネラルの言うことに忠実だったし、<彼>の指示に間違いがあったことなど一度もなかった。だが、七月三十一日に会った代理人には、ミシェルのことをどうにかしろと言われた。ドクターが、「あいつはなんとなく嫌な感じがする」ってジェネラルに進言したらしい。だが自分が直接そう言ったんじゃ角が立つと思ったんだろうな……だが俺は、ミシェルなんかどうということもない小物のチンピラだし、面白いからもう暫くの間は飼い殺し状態にしておきたいって言ったんだ。ある意味、初めてジェネラルの指示に背いたのだとも言える。そして、ジェネラルの代理人がジェネラルに電話で確認したところ……まあ、もう暫くの間は泳がせておけということになった。で、アストレイシア墓地で会う予定だった代理人は、一体どんなことを俺に伝えにきたのかは知らない。やはりミシェルを殺せということだったりしたら、俺はジェネラルの言うことに言い逆らえないし、どうしようかと思っていたんだ。そしたらあのヘリコプターがやって来た。まあ、なんにしても俺はもう終わりさ。あんたらに自分の知ってることを全部話して、仮に無事ここを出ていけたんだとしても……結局のところ、ろくな死に方はしねえだろうな。それにあんたらは俺から情報を絞りとったら、ムショにぶちこもうって腹なんだろ?だが、刑務所ですら今の俺には少しも安全なんかじゃねえ。なんにしても八方塞がりだ。だが、俺はこのことでミシェルのことを恨んだりはしないぜ。むしろ裏切った相手があいつで良かったのかもしれねえとすら思ってる。なんでかっていうとな、あんな暮らし、およそまともなんかじゃねえし、俺自身、いつか誰かに自分が拷問したのと同じか、それ以上にひどいやり方で殺されることになるんだろうとずっと思って生きてきた。だからミシェルには、俺のことで何ひとつ良心に責めを覚える必要はねえのよ。ま、そういうこった」 「じゃあ、アストレイシア墓地で君の携帯に電話をしてきたのは?」と、今度はルークが質問する。実は記録のほうはすでに照会済みだったものの、会話の内容のほうはヘリのローター音や風の音、また電波の悪さなどでかなりのところ不明瞭だったのである。 「ドクターだよ。俺とは気があって長く楽しめて良かった、こんな結果になって残念だ……で、あとはもうドパラタタタッとヘリコプターから銃弾が降ってきた。果たしてあれは最初から俺を殺すつもりであんな手のこんだことをしたのか、それともジェネラルが警察に潜りこませてるモグラから連絡があって、結果俺のことを見捨てることにしたのか……これは俺の勘だがな、ドクターはたぶんもうどこか他国に高飛びしたんじゃないかね。で、またどこか別の国で俺みたいなチンピラにでも目をつけて、裏社会のほうを支配する……なんてことを繰り返すのかもしれない」 「こちらでも、そうした内部の密告者の存在については現在調べているところだ。それで、ジム、君のほうではどうする?君にとってもこのユトランド国内はもはや安全とは言えないだろう。こちらでしかるべき身分を用意し、君の希望する第三国へ脱出させるということは出来るが、カタギでやっていくのはつらいぞ」  ジム・クロウはここへ連れて来られてから初めて、重い溜息を着いていた。無論、これまでに麻薬で稼いだ金が相当ありはするだろう。ギルバートもルークも、彼が形成手術を受け五本指となり、その資金を元手に何か商売でもはじめてやり直すのがいいのではないかと思っていた。彼の生い立ちには同情すべき点が多くあるし、セスからの報告として聞く限り……「チャンスさえ与えられれば、本当はそう凶暴な奴ではないし、信頼できる部下のことはボスとして手厚く遇したように、会社の社長にでもなれば社員のことは大切にするタイプですよ」とのことだった。 「ふん。あんたら、尋問のやり方も温かったが、俺をこのまま第三国へ逃がそうだなんて……ちょっと頭オカシイんじゃねえのか?それとも、そんな都合のいいこと言っておいて、俺のことは最後に目隠ししたまま刑務所のほうへ護送しようっていうハラなんだろ?それならそうと早めに言っておいてくれ。それならそれで、こっちもそれなりの腹積もりでいなきゃならねえからな」 「いや、君が考えなきゃならないのは、ユトランド以外のどの国へ行くのがいいか、これからの人生の先ゆきのことだよ。それで、ジェネラルには君をユトレイシアの裏社会のボスに仕立て上げることで、どんなメリットがあったんだい?裏帳簿を見る限り、そう多額の献金をジェネラルにしていたとも思えないが……」  ジム・クロウは目隠しされたままだったが、それでも彼が自分の人生に絶望しているらしいのがギルバートにもルークにもよくわかっていた。というより彼は、UNOS(と彼は信じているらしい)がこのまま自分をブタ箱へ入れずに無罪放免にするとはまるで信じられないのだろう。 「それと同じ質問を、俺もジェネラル……いや、正確にはジェネラルの代理人か。そいつにしたことがあるよ。一体俺みたいなチンピラに手を貸して、お宅にはどんなメリットがあるのかってな。そしたら、ジェネラルにはジェネラルの――なんつうのかね。<悪>というものに対する考え方があるらしい。つまり、誰か自分の気に入った人間を選び、裏の社会にある程度コントロールを加えることが目的だっていうことだった。一種の悪の哲学として、放っておいても麻薬を売ったりなんだりっていう連中は雨後のタケノコのように次々生まれてくる……だが、優秀な司令官がいてそこをうまく治めていければ、彼らはそこから莫大な利益を得られるということだった。裏の社会ではどうしても馬鹿が馬鹿を治めていたり、クソがさらに輪をかけたようにクソな奴と喧嘩していたりする。俺がジェネラルに納めていたのは、全売上の二割程度にしか過ぎなかった。どう少なく見積もっても、俺なら五割は要求するね。だが、ジェネラルはなんでも俺の自由にするようにさせてくれたし、それであればこそ俺は、ジェネラルが本当はどんな人間なのか一度でいいから会ってみてえとも思わなかった。とにかく、向こうの言うとおりにしてりゃ、俺に得なことはあっても損なことは何ひとつとしてなかったんだから」  ここで、ギルバートとルークは顔を見合わせた。やはりこのジェネラルというのは、<悪のエリート>、あるいは<悪魔のエリート>と呼ばれる犯罪組織のボスということなのではないかと。 「ジム、君はもしかして、<悪のエリート>、あるいは<悪魔のエリート>と呼ばれる犯罪組織のことを聞いたことはないかね?」  ここでジム・クロウは、さもおかしそうににやりと口許を歪めて笑った。 「そりゃあんたたちが今の今まで俺のことを尋問してきた――」  とここまで言いかけて、ジム・クロウは突然ガタガタと体を震わせはじめた。「ううっ」と苦しそうに呻きはじめたため、急いで手錠の鍵を外す。だが、ジム・クロウはすでに顔の表情を強張らせ、口からはよだれを垂らしたまま動かなくなった。 「救護部の夜勤の医者を呼んでくれ!」  ギルバートはそう叫び、心臓マッサージを開始した。だが、救護部の医師がやって来るまで汗だくになりながら心マッサージしていたにも関わらず……ジム・クロウは医者が到着すると同時にAEDを使用しても、死の淵から再び甦ってくることはなかったのである。そして医師は最後に胸ポケットからライトを取りだすと、ジム・クロウの瞳に当て、首を左右に振っていた。 「取調べの最中に死んだのですか?何故、こんな深夜に……」  不審な面差しで見つめられ、ギルバートとルークは慌てて弁解した。脅迫的な手法によって自供を強制している最中に相手が心臓発作を起こしたなどと勘違いされては堪らない。 「我々は彼に暴力を振るったりなどはしていませんよ」と、ルーク。「そうではなく、彼のほうから話したいことがあるようだったのです。それで、こんな深夜に取り調べるということになったのですよ。そのあたりのことは彼のことを検視していただければわかるはずです」 「一体君らはわしを誰だと思っとるんだね?」  救護部の夜勤担当である白髪頭の老医師はそう言って笑った。 「わしがここで夜勤の医師として勤めはじめて、もう十六年にもなるわい。しかもその前にわしがいたのは、ユトレイシア医大の解剖部じゃぞ。やれやれ、気の毒に……おそらくこれは毒物じゃろうな。検視して何か出てくればよいが……」  ケヴィン・クルーズは夜勤専属の担当であったため、これまでギルバートもルークも一度も彼に会ったことはなかった。医師として腕のほうはどうなのだろうと疑いたくなるような容貌をしてはいるが――すでに背中が曲がり、衣服のほうもあまり身綺麗そうに見えない――ケヴィンはきびきびした態度でギルバートとルークにこう命じていた。 「この十六年の間、実に色々なことがあったもんじゃよ。悪いがあんたら、ストレッチャーでこの気の毒な仏さんを運んでくれ。それも一秒でも速く、じゃ。あんたらも、二十四時間以内に毒の成分が痕跡なく消えてしまう薬物があるのは知っておるじゃろ?その薬物の効果を最近では八時間以内にまでロシアのFSBでは縮められることに成功したらしいという情報がある。さらにその後、五時間、三時間と縮められる可能性があるかもしれないと考えれば、検視を開始するのは速いにこしたことはないからな」  こう聞いて、ギルバートとルークは救護部から急いでストレッチャーを持ってくると、ジム・クロウの体を地下にある検死解剖室へと運んだ。もうそろそろ夜が明け染めてこようという時刻ではあったが、検死解剖室のすぐ隣は死体安置室となっていることもあり――彼らはケヴィンにあとのことを頼むと、何かわかり次第内線で連絡をしてくれと言って別れた。  >>続く。

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  • コウテイペンギンさん

    一夢

    ♡4,000pt 2020年1月12日 9時33分

    投稿お疲れ様です!取り調べ中にジム・クロウ死亡!密室の中の殺人!?色々推理するのが楽しいですね!遅効性の毒?他殺?犯人はUSISの中にいる?何故このタイミングで殺された?あえて監視カメラで録音中に殺したのは目撃者を作るため?続きがとっても気になります!

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    一夢

    2020年1月12日 9時33分

    コウテイペンギンさん
  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    蒼月 凜

    2020年1月12日 21時19分

    謎解きの解き明かしの部分については、実はそんなに大したことなかったりして(^^;)ただ、ジムのこの件についてはもう少しあとになってからまたちょっと出てくると思います。ジェネラル探しに関しては振り出しに戻った感じなんですけど……再びまたどこかから捜査の線が伸びると思います(^^)

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    蒼月 凜

    2020年1月12日 21時19分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ひよこ剣士

    墨屋瑣吉

    ♡500pt 2020年1月17日 12時49分

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    続きを楽しみにしてるよ

    墨屋瑣吉

    2020年1月17日 12時49分

    ひよこ剣士
  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    蒼月 凜

    2020年1月17日 16時22分

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    ありがてえありがてえ

    蒼月 凜

    2020年1月17日 16時22分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • 男盗賊

    新部文月

    ♡500pt 2020年1月12日 8時57分

    ジ、ジムがあああああああ!!!! あの腹切っても死ななそうなジムがここで退出だなんて……

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    新部文月

    2020年1月12日 8時57分

    男盗賊
  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    蒼月 凜

    2020年1月12日 21時15分

    わたしもジムはなんか悪運強そうとか思ってて…もう少し色々しゃべってくれてたら、ジェネラルが誰か知らなくても、ギルたちにヒントっぽい何かを残してくれそうだったんですけど(;ω;)唯一、セスとの友情は嘘じゃなかったと、彼が信じてくれたのが救いかなって、自分的には思ったりします(涙☆)

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    蒼月 凜

    2020年1月12日 21時15分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • シュウ・スターリング(デンドロ)

    マルティン3行

    ♡200pt 2020年1月11日 23時11分

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    続きを楽しみにしてるよ

    マルティン3行

    2020年1月11日 23時11分

    シュウ・スターリング(デンドロ)
  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    蒼月 凜

    2020年1月12日 2時32分

    ありがとうございます♪(^^)ジムは今回……といったようなことになってしまって(;ω;)ジェネラルの正体からも再び遠ざかってしまったギルたちですが、物語の最後のほうでわかるようには一応なっているので、暫し気長にお待ちください、的な??(^^;)

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    蒼月 凜

    2020年1月12日 2時32分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)